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元祖『ぶっ飛び主婦』AYAちゃん

ただ飛べることが楽しくて。飛んで、降りて、ああ、私はこれで嬉しいの、なんか文句ある?((笑)

アイコン 名前 AYA

アイコン パイロットNO.8×××番
    1992年8月 取得
アイコン ホームエリア 松田・丹沢
  世を忍ぶ、仮の姿はさすらいの派遣社員兼業主婦
のんびりパンを焼くのが趣味。
自宅のエスプレッソマシーンで入れたカプチーノをこよなく愛している。スタバのキャラメルマキアートも大好き。(…と、ここまではフツーの主婦っぽい)
特技はカーナビを操作して仲間の回収ルートを探すこと。道路での方向感覚は結構あると自負しているがフライトセンスとなると…お〜いどこよ???どこなんだぁああ?ちなみに人口密度の低い空域が好き。ぶっ飛び日記

(http://www.taga-sans.net/note/c_note.cgi)
炸裂中。わが道行ってます。
すべては彼女のHP『ぶっ飛び日記』から始まった。
ほのぼのとしたトホホ感の漂うノリのいい文章。自虐的でありながら、明日への希望をしっかりつないでいるそのフライト姿勢。シンプルで実用的な料理のレシピは毎週末フライトしながらもしっかり主婦しているバランスの良いライフスタイルを感じさせられる。ぶっ飛び主婦連合はこの『日記』への共感から始まった。

実際にご本人に会ってみると、日記の印象通り、柔らかく穏やか、でも『ぶっ飛び日記』よりは、はっきりとした前向きな意志を感じさせる人である。パラに対する取り組みも、なかなかどうして半端ではない。「なぜ長くパラを続けてこれたと思いますか」と聞いたら、ただ一言「面白い」と言い切った。

神奈川県座間市在住。コンペ機をのりこなすバリバリフライヤーのご主人と二人暮らし。去年、相模川沿いに家を建てた。住宅ローンはチョッピリ負担だが、松田エリアを擁する丹沢山系が一望できる眺めが気に入っているのだという。

最近、フルタイムの仕事に変わった。「ちょっと稼いでマニラに行きたいんです」という。もし自分が行けなくてもご主人は行かせてあげたいのだそうだ。(2003年4月 BY TAM)


■子供の頃

ずばりインドアな人でした。部屋の中でレゴ・ブロックとかお絵描き、人形遊び、工作とか。嫌いだったのは鬼ごっこ。捕まえられなくて。比較的外交的な子供でしたけどトロかった…逆上がりもできなかったです。(大人になってやったら出来るようになってたけど)、一人遊びが好きで、何人もの声音が聞こえるのでお友達と一緒なのかな?ってがらって部屋をあけたら「あら、一人でいたの?」って母が驚いてたんですけど・・・

小中学と転校が多くて、新しい地元の『掟』がなかなかわかんなくて、子供ながら苦労しました。早く大きくなりたいと思ってた。子供に返りたいとか絶対思わなかった。だから人生に巻き戻しはしなくていいです。2回だけ巻き戻したいと思ったのは、パラで怪我したとき。事故の前に戻したかった(笑)


はじめのきっかけ

高校生のころ(89年)NHKのニュースで車山のパラをみて、ふーん、こんなスポーツがあるんだって思ったのが最初。そのときアナウンサーが体験してたんですけどなかなか浮かないので、飛ぶの大変なんだなって思いました。あの頃の機体って浮かないんですよね。で、怪しい入門書を本屋で立ち読みして、パラワールドの創刊号、これ今でもだんなの実家にあるんですけど、大学生になってそれでみつけたスクールに入りました。初めていった日はフォローで斜面に向かって立ち上げしました。(だ、だまされた??)高校生の頃は吹奏楽部でトランペットやってて、大学でもオーケストラ入ったんですけど、そっちのほうはやめちゃいました。パラ、面白くって。お金もかかるし。いつも貧乏でバイトばっかりしてました。


■スクール生の頃

困った人、進歩の遅い人でした。浮くまでに4〜5回かかりました。ただ浮くのに。今の体験コースなら初日から浮きますよねぇ〜。でもNHKのテレビみてたんで、こんなモノかなとは覚悟してたんですが。チクショー、浮いてやるぅ〜!って毎回へとへとになって家に帰ってました。取り柄は『継続は力なり』って、あんまり力にはならないけれど、一度始めたことはとりあえずしばらくつづけるという性格なんです。

2年かけて、P証を強奪しました(笑)。エリアのないスクールだったんで、高高度飛ぶのにみんなツアー(さすらいの旅?)にいくんですけど、P証ないとあちこち行けないじゃないかーって、イントラさんに駄々こねました。だんなさんに出会ったのはスクール入った直後で、だんなさんは先にP証とってて、この頃はグループでよく一緒に飛びに連れていってもらいました。一緒に飛んでるうちに意気投合して、つきあい始めたのはP証取る直前でした。そういえば、だんなさんが初めてうちにきて両親と顔あわせたのは、怪我した私を送ってくれた時でした。あ、2回目もそうだった。(笑)、就職して機体も買い替えて1年後の24歳の時、結婚しました。
結婚早いですか?家が結構厳しかったんで、飛びにいってもなるべく10時には帰らないと両親も心配するかなあなんて思いつつすごしてたし、小さな頃から何となく早く独立しもしたかったし、何よりも運良くとても気の会う相棒もみつかっのがイチバンの理由でしょうか?旦那さんとご縁がなかったら今も独身だったかなあ?自分も友人も私は結婚遅そうだと思ってましたから。


■エリア放浪記


最初は箱根。あちこちツアーしながら昔の松田に行ったり、そのあとDK朝霧にいったり、そこで仲良くなった人が丹沢の会員の方でそのご縁で、丹沢の入会テストうけて丹沢で飛ぶようになりました。丹沢はバリバリ飛ぶベテランばかりで、条件もシビアで怖いイメージだったんですけど、意外とそんなことなくて、腕はいいけどバリバリじゃないお父ちゃんが多くて、いい感じでした。やっとホームができたって感じです。ホームエリアをもつまで長かったですね。でも、ちょっと事故にあって、しばらく飛んでなくて、エリア山崎(※現在のホームエリア)にくるようになっったのはその後、2000年秋になってからです。


■なぜ長く続けてこれたか

面白い、からです。
こんなこと(パラ)でもしなければ外の風とか天気とか雲とか、いった先々の眺めとか。パラやってなかったら見なかったです、きっと。家にいるとくさくさしてだめなんです。外が好きですね。

あとはいろんな人に会えること。昔は限られた友達しかいなかったし、あと男の子、もといオヤジさんの友達とかも増えたし。職業や年齢の違う人に会えるし面白いです。パラやってる人って個性の強い人多いですよね〜。でもフライヤーの人間関係ってあまり踏み込んだところがなくて、飛ぶとき以外は全然会わないけど、また会ったらその場でお友達って、そんな距離感も自分にあってると思います。人に無理に合わせないっていうフライヤーの気質が自分にあってるんですね。


■怪我・事故・やめようと思ったこと

実は、怪我は結構ありまして…。99年に丹沢で落ちて怪我したのが一番大きい事故でした。このときはほんと、いろんな人に迷惑かけて、怪我して運ばれて、遠くまで飛んでいっただんなさんとやっと会えたとき、開口一番「もうやめるから、もうやらないからごめんね」って言いました。周りももうやめるって思ってたみたい。でも次の日には「またやるかどうかわからない」とビミョーに言い回しを変えていましたねえ。
このときの怪我はちょっとひどくて2ヶ月入院して、復帰するまでに1年のブランクがありました。怪我の後、最初はだんなさんに付いて行ってエリアで見てるだけで幸せだってと思ってたんですけど、でもやっぱりだんだん飛びたくなってきて、パラできない悲しさをだんなさんに八つ当たりしたりして(笑)。で、親にもちゃんと話して、機体もクラス1のに替えて、元のスクールのイントラの人にちょっと丹那で面倒をみてもらって、丹那で復帰フライトをしました。あとはだんなにくっついて白馬で飛んだり。嬉しかったです。

ただ飛べることが楽しくて。飛んで、降りて、ああ、私はこれで嬉しいの、なんか文句ある?(笑)飛んで・降りて・嬉しい。人によってはどれだけ飛んでも不満てことあるし、パラの幸せはひとそれぞれなんですよね。ふしぎだなぁ〜。
私は、飛んで降りてそとでのんびりしてビール飲んで、それで幸せ。そう思ってぼちぼちやってます。
最近その初心を忘れかけそうになるので、肝に銘じてすごさねば。

■ぶっ飛び日記について

ぶっ飛び日記を始めたのは復帰一年後の2002年秋です。最初だんなさんがHPを開いて、自分のフライト記を書いてたんですけど、だんだんその最後に、「今日のAYAはそれなりにソアリングしてた」とか、「ヨメはたそがれていた」とか書き始めて、それが独立していったんです。勝手にページとかも用意されちゃって。
(※AYAちゃんは丹沢・松田ではヨメと呼ばれています)

星のアイディアですか?あれはただの思いつきです。洒落でやってて。最初、妙技で5本もぶっ飛んじゃって、でもHPではぶっ飛びもデフォルメしてトホホなネタになるな〜こうなったらこの路線で行くしかないと思って。そうしたら意外と反響があって面白くて1年以上やってます。

あのページ、親もみてくれるんです。だからあんまりシビアなこと書いたらビックリすると思って、ノンビりムードでぼちぼち書いてます。日刊スポーツの鈴木さんがリンク張ってくれたり、だんだん見てくれている人が増えてきて「今日は星いくつ?」とか聞かれることがあって嬉しいですね。あんまり気合いいれても続かないから。あと、イケイケのだんなさんとトホホな私の両方のフライト日記みれば、その日のエリアの状況が正しくわかるって声もあります。「おっ、今日はヨメもソアリングしたのか」って(笑)


■ぶっ飛び主婦的立場からの意見
体は一つ。1日は24時間。サーマルソアリングはご縁とタイミングです。
気長に飛べばいい日もあるさ〜。絶対多分恐らくきっと。


■だんなに一言

あなたはあなたで我が道を行きなされ。応援してますヨ。









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