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正統派ぶしゅの鑑!みえちゃん

飛んでるおばあさんになれたら私は幸せだろうなって思う



アイコン 名前 みえちゃん
アイコン パイロットNO.8836番
    1992年12月 取得
アイコン ホームエリア 朝霧
 

朝霧とど丸クラブ会会員・上○屋友の会会員・元朝霧野宿友の会会員・(最近はホテルルー○イン会員!?)・朝霧どう○レーシングチーム ナビゲーター・コーヒージャンケン友の会会員
好きな物:温泉・昼寝・生ビール・くまのプーさん
嫌いな物:身体測定




お世辞にも上手いとは言えないフライヤーである。立ち上げはなかなか1発で決まらない。ランディングで機体は前に落とす。もちろんコース取りはひたすらまっすぐ、講習生初高々度コースをぶっ飛ぶ。真の正統派“ぶしゅ”である。しかし、フライヤーとしての姿勢は前向きで健全だ。彼女をみていると趣味のパラフライヤーの原点をみる思いがする。彼女は自分の『風』をよく知っている。今出ていいかどうか。自分で自分にOKをだすまで、彼女は何時間でもテイクオフで待ち続ける。そして、ぶっ飛ぶ。でも誰よりも、飛ぶのが幸せそうなのだ。

20才の時から幼稚園の先生を17年。ベテラン教諭である。ここ5年ほど、彼女の職業意識がどんどん高まっていくのが、傍目にもわかる。近年は、保育者向けの「劇あそび講習会」の講師を務めることも。パラは生活のなかでどういう位置づけ?と問うと、「パラはパラ、何かの為にしてるわけじゃない。独立したひとつの楽しみ。日帰り温泉と同レベルかな」(笑)

東京生まれ、東京育ち。
東京都練馬区在住。ファルホーク全盛期にコンペ・フライヤーだったご主人と二人暮らし。
「今は仕事がすごく好き。30くらいイヤなことがあっても70くらいは楽しいことがある」という。
(2003年5月 BY TAM)



■子供の頃
『ぶ主連』のみんなと同じでやっぱり運動神経にぶかった。本が好きで図書館によく行ってた。同人誌に原稿かいたり、中学生くらいまでの夢は「児童文学作家になりたい」だったのね。あ、むかーし、パラワに『パラ童話』なんてのいうの書いたこともあるよ。高校のころはブラスバンド部で音楽やってて、打楽器をやってた。お芝居も好きで、当時、第三舞台とか夢の遊民社とかがはやってた頃で、私は第三舞台が結構好きだった。


■パラを始めたきっかけ
24才の時、高校の時ブラスバンド部でいっしょだった親友が、ある日突然「ハングがやりたい」って言い出して、で彼女は、当時パラもハングもスクールのあった朝霧に行ったら「女の子はとりあえずパラグライダーから始めたら」ってイントラからパラを薦められて、やったんだって話を聞いた。彼女とはずっとつるんでて仲良かったから、それを聞いて1日体験に行ってみたのね。猪の頭のテイクオフにつれて行ってもらったら、みんなアペックスでフワフワ飛んでた。それみて、「あ、ここから飛びたい」って思った。本格的に続けるって言うんじゃなくて、1日体験でやめないで、山から飛べるようになるまで続けたい、とにかくここから飛びたいって思ったのね。さらにその親友が、目の前で30万、あの頃のお給料なんて安いから、その2倍も3倍もする金額のグライダーを買う契約をしていたのも驚きで、給料の何倍もするものを買う気にさせるほど楽しいものなんだ、それなら私もやろうかなって思って、それもあって始める気になった。とりあえず、猪の頭のあの山から飛べるようになるまでやろうって。


■パラやって変わったこと
パラはじめてから、自分にもいろんなことが出来るんだってことがわかった。私は運動苦手だし、小さい頃からずっと太ってるから、そういうコンプレックスもあったんだけど、パラはじめてから、「私には、他の人には出来ない、空を飛ぶことが出来るんだぞ!」って思って、いろんなことに挑戦してみる気持ちになれた。私には無理って思ってた運転免許もとったし、生涯しないぞって思ってたスキーも初挑戦したし、お酒のおいしさもこの頃覚えたし、インドア派だったのに、テント買って、どこでも寝られるようになったし。、あと男の人とかともほとんど付き合ったことなかったんだけど、あ、へんな話だけど、パラ来ると、もてたっていうか、ちやほやされて、そういうの初めてだったから、いろんな意味で自信がついた。いろんなこと初めてやる楽しさとか、出来なかったことが出来るになった嬉しさとか、パラはそういう思いと結びついてる。
ここにくると良いことがいっぱいある、パラにくると楽しいことがいっぱいある、っていうのが刷り込みになっていて、だからいままで続いてるんだと思う。


■一番恐かったこと

結構危ないことやってる。でも恐かったっていうのは・・・あるかなぁ・・・?気がついたらやっちゃったなぁっていうのが多いから。

先ずね、あんだけ広い、猪の頭のランディングに降りられないっていうのがあったのね。高々度4本目の時。ランディングの「指の林」に突っ込みそうになって、あーこのままだとぶつかるってガっとひいたら、ストール入って木の高さくらいからストンて落ちて…でも、落ちたのがふわふわの畑だったから怪我はなかったんだけど、見てたイントラがいっちゃったかと思うくらいの落ちかただったらしいのね。本人はあんまり大変なことだと思わなくってアウトサイドしちゃったぁとかそういことしか思ってなかったのね。

高々度5〜6本目のときは、ランディングのとき機体を前にシュートさせて、水を張った水田にバーンと落として投網状態。そのあと7本目でやっと、まともにランディングできたんだけど、14〜5本目のときは、仲間内の先輩がリッジの取り方を無線誘導してくれてた時に、テイクオフ左におもいっきり突っ込んで山チン。自分で木から下りられる体力もなくて、ものすごい急斜面で夜8時くらいにようやく救出されて。でもその時も恐いっていうよりは、あ、大変なことしちゃった、みんなに迷惑をかけてしまったっていう気持ちの方が強かった。次の日、仕事だったからグライダーの回収もスタッフにお任せになってしまって、もうひたすらごめんなさい状態。怖いっていうより、ほんとに人に迷惑かけてどうしようってそればっかりだった。

まだあるなぁ、150本目位のとき、試乗機でワンサイズ大き目のグライダーに乗ってみたら、真ん中からつぶれて馬蹄形になってテイクオフ前に思いっきり落ちたの。少し打撲とかはしてたんだけど、全然動けるし、「大丈夫です」っていったら、見てた人は、顔面蒼白ものの落ちかただったらしい。結局後から、膝が少し腫れて、でも足ひきづって歩ける程度だったけど。そのことがあってからまたまっすぐしか飛ばなくなったのね。

で、そんなふうにいろいろやって、幼稚園の先生って仕事休めないし、みんなに迷惑もかけられないなって、それでだんだん安全指向になっていったのね。ここでターンきったら上がるかな、この風で飛んだら上がるかなって思っても、またあのときみたいに落ちたら迷惑もかかるし、いろんな事が起きるなぁって、そう思うとだんだんまっすぐしか飛ばなくなった。


■ベストフライト〜西富士の思い出〜

ただ一度西富士に渡れたのは、アクトスーパーに乗り換えたとき。
ファルホークの一番いい機体だったし、ちょっと大きめだったし。当時ファルって講習機と上級機の二つしか選択肢がなくってUさん(当時の朝霧のイントラでコンペティター)なんかも乗ってて、講習機じゃないのに乗ったの初めてで、それで絶対行けるって思ったの。その少し前にはじめて200mくらいゲインして、前兆はあった。その時はじめて
パラって3次元なんだ、水の中泳いでいるみたいって思った。それまでぶっ飛びだったから私には2次元だったの。障害物がなんにもない空間を飛ぶっていうのが新鮮だった。
で、西富士いけた時は、知ってる男の子がすぐ前にでてテイクオフ右前で抜けてったのね。で、あっこのターンだって回してたら行けた。で彼についていったような形なんだけど、200mくらいグンとあがって、その後は先輩フライヤー(今の旦那)がずっと無線誘導してた。西富士からまっすぐ帰ってきたらランディングから700くらいあったかな、今にして思えばもったいなかったなぁ・・・
あとはスイスの湖を渡ったフライトが楽しかったなぁ、ぶっ飛びだったけど距離がすごい長くて、湖のうえ回り込んで・・・怖い思いしなくてもぶっ飛びでもこんなに飛べるんだって思った。

新婚旅行沖縄フライトも良かった。それはもうぶっ飛び人生はじまってた頃で、天仁屋で飛んだんだけど、あそこホントにぶっ飛んだら最悪で悲しいけど、1時間位、誰もいない空を、沖縄の海に少しせり出しながら、ずっと飛んでいた。



■なかなか上手くならないことについて


和泉恭子さん死んじゃったじゃない。別に個人的に知ってる人じゃないんだけどね。まだ、私もちょっとは上手くなりたいって思って時で、ファルホークレディースチームなんかもあって大会で活躍する人っていっぱいいてさ、和泉さん若いのにすごいなぁ、田中みゆきさんくらいなったらちょっと雲の上の人だけど、和泉さんすごいな、うらやましいなぁ、いつかあんな風に上手くなれるのかなぁって、口にはださないけどちょっと思ってた。

そんな風に思ってた頃に死んじゃって。あの頃PC−VANで通信やってたんだけど、パソコンの画面に『お葬式に行ってきました。・・・天国で安らかに云々』っていうコメントがのってたんだよね。さらっと。で、なんていうか・・・それで終わりだよね。あ、ぽんて死んじゃって終わりなんだなって・・・それまでいいなってちょっと思ってたんだけど、あ、それで人生おわりなの?ってふっと思ったんだよね・・・それもあって、なにがなんでも上手くならなくてもいいなって思うようになった。

パイロット証もらった時に、(現スカイ朝霧校長)中村さんがコメントを書いてくれたんだ。それが、技術が上手いとかじゃなくて
『あなたは自分が安全に飛べる風を判断できるようになったのでパイロットとして認めます』って。その言葉を、今でもすごく大事に思ってる。

  −天子とか毛無に行ってみたいとは思わない?

最近、6年ぶりにグライダーを買い換えて(オゾンのヴァイブ)、とっても安定していて気に入っているので「怖くないなら、ちょっと前山から出てもいいかな?」なんて、思わなくもないけど。またスイスでいつか飛びたいとか、いろんなエリアを飛びたいっていうのもあるけど。でも、もう危ない思い、怖い思いしてまで飛ばなくてもいいやって思う。絶対怪我しないなんて保証があれば、山チンでもごめんなさいで済むんだったら、(笑)そんなのありえないけど、何か保証というか、心の保証みたいなものがあれば、毛無とかちょっと行って見たいって、思うような・・・。
でも・・・仕事がすごく大事なのね、幼稚園も大事だし、講習会の仕事も大事だし。
いろいろすごく大事なの。怪我しちゃって今の仕事やいろんな楽しいことをパーにしたくないのね。そこまでやりたい訳じゃないのね。なんせ私にとってパラは『日帰り温泉』並の楽しみの一つに過ぎないわけだから。(笑)

うちの親がテレビでみてたんだけど、70才か80才のおばあさんがパラグライダーで犬をのせて海辺で、たぶんぶっ飛びなんだよね、ふわっと飛んでたんだって。 ああ、そういうのっていいなって・・・
上手くなって高いとこと飛ぶより、おばあさんになっても安全で楽しく飛んでられるフライヤーになりたいなって。それって途中で大怪我しちゃってもできないし、生活にゆとりがって、経済的余裕もないとできないよね。いろんな条件がそろわないと出来ない。すべてひっくるめて、飛んでるおばあさんになれたら私は幸せだろうなって思う。


■なぜ長く続けてこれたか

結局は好きなんだよね・・・
テイクオフの瞬間が私は好き。下手なんだけど・・テイクオフで足が離れる瞬間、人間の脳ってアルファ波が出るって、どこかで読んだんだけど。飛んだ瞬間、立ち上げじゃないのよ、ライズアップ下手だもん。(笑)足が離れて飛んだその瞬間が私は好き。


■だんなに一言

じいさん、ばあさんになっても一緒に飛びましょうね







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