直線上に配置

目下急成長中! たっちゃんインタビュー

何万人、何億人もの先祖の人たちが憧れても実現できなかった夢を今僕らは手にいれてるんですよね

アイコン 名前 たっちゃん
アイコン パイロット証   1999年11月取得
XC証      2000年10月取得
Flyer No.    34O83782
アイコン ホームエリア
 妙高 → 岩屋 → 現在 朝霧

  卒業研究テーマは「人工衛星の非ホロノミック拘束条件に対する最適制御」
将来やってみたい夢のテーマは「パラグライダーの非定常流れにおける数値流体解析」「全翼機用低レイノルズ数翌型の設計」「再突入機のパラグライダー翼の設計」(NASAに先こされなかったら。)
究極の夢は紅の豚もびっくり、オールジュラルミン製の「マイ水上飛行艇の建造」これで、全国のエリアを回りたい。(^^)


どこからみてもまともそうな好青年的外観とは裏腹に、どことなく可笑し味のある不思議な人である。今年35歳になる大学院生。子供の頃から漠然と空を飛ぶことを思っていたという。一度公務員(水産庁・漁船課!?)になったが、思うところあって退職し、再度学業に勤しんでいる。

向上心に燃える現在成長中のフライヤーで、コンペにも意欲的。そんな彼がなぜ『ぶしゅ連』にいるのか?インタビューを終えた今でもよくわからない謎の部分が残る。

親しい友人は、『まだイケテナイ、あともうちょっとのフライヤー、お酒飲ますとサムイおやじギャグ炸裂』と評す。最近DHV1ー2の機体から、2クラスのバルカ ンに乗り換えた。イケテルフライヤーになる日も近いのか。がんばれ!『ぶ主連』イチ の若者?!


(2003年5月 BY TAM)



■きっかけと始めた頃


子供の頃、泣き虫でよくお姉ちゃんに泣かされてました。漠然とパイロットになりたいと思ってましたね。 中学の時、目が悪くなって、でパイロットにはなれないなと思って、で宇宙のほうに行 こうって思って、でそういう大学に入りたいと思ったんです。結局2浪しても無理で、研究室単位で細々と宇宙をやっている大学に入り、その研究室に入りました。

もともと空飛びたかったんで、大学4年の時、たまたま先輩がパラに誘ってくれて、その時(公務員)試験の直前だったんだけど、試験そっちのけで、「行きます!行きます!」って、それで、妙高(黒姫高原)に行くようになりました。あ、その試験? たまたまでしたけど受かりましたよ。

妙高は、ぶっ飛びエリアだったけど、山小屋があって、酒飲んで騒いで歌ってパラやって、飛べなくても騒いで、地元の人たちとドライブして、それがひとつの週末のサイクルになってました。温泉旅行気分で飽きない。飛べなくてもぶっ飛びでも楽しかった。


■機体暦

妙高で、講習機のアミューズとかエコールをずっと貸してもらって。最初に自分で買ったのはイーデルのスペース。94年頃、色で決めました。よく飛ぶという話も聞いてたし。5年のって、そのあとスーパースペースっていうのを中古で買って、次の機体が決まらなくて“つなぎ”で乗って1年。でその次レスポンス買おうと思ってたら、そのとき転勤で岩屋エリアにいて、初めて行ったときランディング結構荒れてて、エーッ、ウソーッ!ここのエリアはこんな状況でもとばすんだ、だったらレスポンスじゃだめだ、命ないなって思って、で1−2のエレクトロンにしたんです。

黒姫は基本的にエリアの本流の北が強い時はTOが隣の山のローターとなるので、3m/s以下しか飛べないぶっ飛びエリアなんです。そこからの転校だったのでいろんな意味でカルチャーショックでしたね。


−−エレクトロンからバルカンというのはずいぶん性能あがった感じですね?

ジャパンカップに一般で出るためにバルカンにしました。1−2では性能的にJのタスクをクリアするのは難しいと思う。今のバルカンは、まあ、家族からの1−2シバリ (どうやら遠藤家のパラ安全基準らしい)がようやくとれたんで、ホントはブーメラ ン買おうかなって思ってたくらい(笑)。今年は、F1にたくさん出たいです。出る ことに意義があるっていう段階ですが、出ることによって、自分の足りないところが見えてきて、どんどん上手くなれるのが楽しい。


■一番怖かったこと

やっぱ飛んじゃいけない日に飛んでしまったこと。黒姫で、10分に一度だけすごいフォローがくる日があって、10分にいっぺんだからあいだ見て行けるなって。かつぎあげのエリアだから降りるのヤで。とりあえず講習場までだったら大丈夫だろって、それで、テイクオフしたその瞬間にフォローが入って、そしたら機体は生きてて前へ走って、僕は足がおいつかないから引きずれるように20mくらい、スーパーマン状態。顔面だけすらないようにしてでずるずるっていったらアゲンストが入ってきて機体がバーンて上がって、で出てしまいました。止まってくれ−と思っていたのに飛んじゃって、フォローとアゲンストのぶつかるところでくしゃんとやられて、すごいことになって・・・・・降りるときも逆転層の下まできたら、今度は強烈なブローが入っていて前に出なくなっていて、ゲレンデの真ん中の林にツリーしそうになって、なんとかサイド フォローで降りました。


■怪我

友人の真横にランディングしようとして5mからストールしてむち打ちしたの が一番おおきな怪我ですかね。スタ沈、山沈はありません。たまに、イケイケになる時があるけど、基本的には結構怖がりなので慎重だと思います。



■ベストフライト
先週の足尾のクロカンチャレンジ。バルカンのおろしで初クロカン。一番TOPで 1550くらいで、先頭-第2集団がクロカン不慣れの人が多かったけど、集団で上げては走り上げては走りを繰り返し、茂木まで25.1km。

初心者の頃のサイコーは、妙高でのぶっ飛び30分。よわーいリッジで降りない。そういうのが楽しかった。ぶっ飛んで満足してました。


−−研究で航空やってるんだったらもっと本気で、グライダーなんかやろうと思ったことな いの?
グライダーは1回だけ乗ったことあって、いいんだけど、機械で飛ぶより、やっ ぱ、パラの方がいい。風きってとべるし、ハングに比べてもなんたってお手軽!


−−彼女いない歴2年だそうですが?『ぶ主連』なんかにいても主婦ばっかりで見込 みないですよ(笑)
あーそうですね。よそ行こうかなぁ(笑)
好み?やっぱパラやってる人じゃないと・・・たぶん続かない。うん、やらないとダメ。


■ぶっ飛びについて

飛べることって、本当にすごいことだと思うんですよ。昔から大空を飛ぶことを夢見てきた人たちは沢山いましたよね。でも本当に極最近になってパラっていう道具を手に入れて、個人が動力の力を借りないで気軽に空を飛べるようになった。何万人、何億人もの先祖の人たちが憧れても実現できなかった夢を今僕らは手にいれてるんですよね
だから、僕らの時代に飛べるということは、奇蹟に近いとおもうんですよ。よくぞ、自分の生きている時代にこの道具が発達してきてくれたって思います。そういう意味で、例えぶっ飛びといえども、奇蹟に近いことが目の前で起きてると思うんですよね。

それに、ソアリングを考えてみると、上昇しているときは、2機、3機でガーグル作って上げているのは楽だし楽しいけれど、自分一人で回しているときは、外さないように集中していて、あんまり楽しむ余裕がないと思うんですよ。最後に上げきって好きなところへ走る、つまりすきなとこへぶっ飛ぶときが楽しいと思うんですよね。そういう意味でもぶっ飛びはパラの基本の醍醐味だと思います。


■最後にぶしゅへの提言を一言

えー提言ですかぁ、うーん、なんだろう。(駄洒落を考えているらしい・・・待つ こと1分半)
・・・・・・・(駄洒落の方もまだまだこれからの人である)






トップ アイコントップページへもどる

直線上に配置