中途半派代表・薫ちゃん

『これ以上真剣になる時ないよねっ。その飛びで?って言われるかもしれないけど?(笑)』

アイコン 名前 薫ちゃん
   

アイコン パイロットNO.125××番
    1994年 4月 取得
アイコン ホームエリア 朝霧(朝霧以外ほとんど知らない)
  好きな物:ふかふかで抱きしめられる物(ふかふかの牛糞ではない)
嫌いな物:西かぶりの猪之頭、自分が一番高いときの吸い上げ、サーマルの出てるランディング
趣味:献血(けして献血ルームのお菓子が目当てではない)
特技:とっても可愛い声で会社の電話を取ること(ほんとだってば!)
熱しやすく冷めやすく、調子に乗りやすくて落ち込みやすい。気分にかなり波があるのでもろに波をかぶる亭主は大変であるが、修行と思って諦めているらしい。現在、資産倍増計画実行中 (なんのこたない宝くじを買うだけである)。宝くじ当てて会社辞めてお盆休みの皆のフライトツアーについてくのが夢さ!!


このインタビュー『アッパーグラウンド』をはじめてから、絶対にこの人の話を聞きたいと思っていた。他のメンバーについては、なんとなくパラを始めた動機や続けている理由の想像がついていたのだが、薫ちゃんに関してだけは皆目検討もつかなかったからだ。本当にどうしてこの人が飛び続けてるのか不思議だった。おっとりしていてあまり物事にこだわりがないように見えるし、飛ぶのがものすごく好きというような入れ込みもない。月に1度か2度夫婦で朝霧にきてあっさり飛んで、さくっと帰る。遠征には興味もないようだし、技術向上に燃えている風でもない。ランディングの宴会だって雰囲気を楽しんではいるようだが酒飲みではない。そんな淡白なフライトスタイルで10年。この継続はどこからくるのか?

本人にもその理由はわからないようだが、長時間のインタビューの中でひとつだけわかったことがある。それは、彼女は今の朝霧タイムを夫婦の週末の過ごし方の定番メニュのひとつに取り込んで、そして十分それを楽しんでいるということだ。夫婦どちらか片方だけがおいしい飛びをして、外した方にストレスがたまるようなこともなく、一人だけXCに行ってしまい片方が取り残されて待ちぼうけなどということもない。テイクオフとランディングの間で、夫婦それぞれが好きなようにぶっ飛びを楽しみ、古い仲間達の遠慮のない馬鹿話に控えめに加わり、疲労困憊することのないうちに帰る。実に上品で節度ある楽しみ方だ。若くして老成しすぎている感がなくもないが、夫婦パラが長続きする一つのスタイルであるように思う。

東京都葛飾区生まれ、江東区在住。生まれも育ちも江戸っ子。ちょっとおたく系でマイペースフライヤーのご主人と二人暮らし。結婚して13年。老舗アパレル関係会社の管理系部門に勤務する。あまりけんかはしないそうだが時々モノにあたってしまうという。ぶつぶつ言いながらもいつも我慢してくれる優しいご主人に、薫ちゃんは「とても感謝している」とちょっと照れながら語ってくれた。(2003年9月末 BY TAM)



■子供の頃

やっぱ(『ぶ主連』の)みんなと一緒で運動神経鈍くて、逆上がりできない、跳び箱飛べない、運動会の組体操でも一人だけ逆立ちできなくて支える方に代えてもらったこともある。生まれも育ちもずっと東京の葛飾で、甘い父親と恐い母親としっかり者の姉に囲まれておっとり育ったかな。活発だったけど本が好きで、読書ばかりしてた。小学校3年生の時のクラスでいじめっ子と一緒のクラスになって、またそいつがすごいヤナ奴で、地元有力者の娘で気に入らない子を順番にハブにしてくようなことしてたの。でそのターゲットになっちゃって、先生も知らんぷりだし、それどころかハブにされてんの知ってんのに『お昼は外で遊びなさい』なんて言うし。それが3年生から5年生まで続いて、6年の時ようやくクラス変えで離れたし、フツーの先生になったけど、もうすっかり不信感の固まりヨ!おかげで本はかなり読んだマンガもね(^^)。

−それが今のオタク傾向の素地形成の始まり(笑)?

そうかなぁ・・・そういえないこともないけど。でもオタクなのはダンナで私じゃないっ(笑)!

ま、そんな感じの小学校時代だったんで、中学は私立に行ったんだけど、友達の作り方がわからないのよ。で相変わらず本、読んでたんだけど、中2のとき、なぜだかやたらとかまってくる子がいて、人なつっこいっていうか、どんどん近づいてくるタイプの子で、その子から「卓球部においでよ」って声かけられて、3年の時に入った。

  −3年からクラブはいったの?


2年の時は帰宅部で、まあ中高一環教育だから3年からってのもありなのよ。そのときの友達は今でも続いてる。クラブ自体は根性一筋とかいう感じじゃなくて、要するにお嬢さん芸なのよね。いちおう本人たちは真剣にやってるんだけど、大会出ても予選の一回戦敗退があたりまえーみたいな。親も「それで飯食うわけじゃなし」ってよく言ってたなあ。5,6年生(普通でいう高校2,3年生)になって受験一色になってきて、私は英語コース、つっても英語が得意なわけじゃなくて、たんに文系受験クラスなんだけど、その友達ともなんとなく選ぶ道がずれてきたって感じになってきたなぁ。


大学では図書館学専攻してて、国会図書館とか好きだったのよねー、で、本に埋もれて暮らしたいなぁなんて思ってたんだけど、公務員で図書館員になれるとは限らないし、公務員試験もヤで、で図書館はあっさり諦めた、あ、でも私って淡白だけど根に持つタイプなのよお〜(笑)。当時、大卒女子を多く採用してたのはコンピューター関係と小売業なんだけど、コンピューター関係は性格的に無理と諦めて、で今のアパレル会社に入った。22歳からずっと同じ会社。部署は替わってるけど。なんていうか、もう他に行こうという熱意もないし、この年だと他にいくの怖いし、受け入れ先もないよねえ(自嘲)。


はじめのきっかけ


だんなとは見合い結婚なのよ。平成2年2月かな。だんなは結婚前ハングの講習を受けたことがあって、でもあのなで肩の体型でしょ?(笑)運動神経もないしハングは無理と思ったみたい。で、結婚してパラ一緒にやってみないって言われて、フツー男って自分が得意なモノに誘うじゃない?でも自分も初めてのものに誘うって珍しいなあと思いつつ、でもまあとりあえず彼がハングやった信濃平に一日体験に行ったのよ。そしたら風が悪くて待ち時間はやたら長いわ、やったらやったで水たまりに突っ込むわで散々。こんな待ちがながいもんできないって言ったんだけど、しばらくして今度は朝霧を見つけてきて、泊まるところもあるしそんなに遠くないしっていうから、夫婦でスクール入って始めたわけ。

  −じゃあパラについての牽引役は旦那様のほうだったんですね、それは意外でした。
このだんなの方は薫ちゃんに輪をかけてどうして飛んでいるのか謎の人である)


そのころは車なくて、お義父さんの車借りてきてたんだけど、その車で事故って、車使いにくくなって、電車でアサギリすることが多かった。大月駅の汚いトイレとかで鍛えられて、そういうのもだんだん平気になっていったなぁ。


■スクール生の頃

下手でねー、「力入りすぎー」ってよくイントラに言われた。それと反応が鈍くてね、うんちゃん(SET朝霧時代のイントラ)なんかにもずばり「鈍すぎ!」って言われた。
初飛びの日に、いや初飛びするはずだった日に、かーっとなっちゃうと自分でも何やってるのかわかんなくなるタイプなんで、フロントもったままずっとはなさずに猪の頭でスタチンして、もう夕方だったから、回収終わったらすっかり夕方で、また今度ねっ言われた。実際の初飛び?覚えてないのよ、それが。覚えてるのはそのスタチンのことだけ。いままでログブックを2回無くしてるからもうぜんぜん思い出せない。

2本目まで誘導で飛んで、3本目で一人で飛んだんだけど、ターンいれようと引いてるつもりがぜんんぜん引けてなくって、藪に突っ込んだらいばらで顔切った。たいしたことないなって思ってたら血がポタッと落ちて・・・まあでもやめようと思わなかったのは、パラのせいじゃなく自分のせいって思ってたから。

なんだかんだで月イチフライヤー続けて、そのうちロッジの雑魚寝の縁もあって、みえちゃん、S井さん、山羊さん(B6みえちゃんの旦那様、S3の古参フライヤー)やHさん、ハングのT田さんたちと知り合って、ランディング宴会に参加するようになったのよねえ。みんなの車にも随分便乗させて貰ったなあ。

ようやくP証とったのは、いまのNP制度が出来る直前。とっててよかった。今ならきっとPとれないよ


■ベストフライト・ワーストフライト

あんまりないのよ、そういう華々しいの
嬉しかったこと?そりゃ『白馬の王子様』事件
は怖かったけどサイコーに嬉しかったよぉ。もうダンクSさんにならいくらでも騙されたっていいってくらい。(笑)  

あと初めて田貫湖が見えたときとか、アクトARに乗り替えてリッジソアリングができるようになって、西富士のTOPで雪の南アルプスが見えたのは感動したーっ。


注)白馬の王子様事件とは?
ある日、ちょっといけいけ気分だった薫ちゃんは、珍しく猪の頭でヒットし、禁断の鉄塔を超え、長者方向へと向かった。(おーっ!)ところが、鉄塔向こうは吸い上げ曇のある気配。薫ちゃんは怖くなり引き返そうとするが、中途半端な決断が高度を落とさせる。そして、薫ちゃんのエレクトロン・ルージュは高圧線を越えられない位置にまで下がってしまったのだ!。鉄塔向こうに降りる場所なんてない。焦る薫ちゃん、危うし薫ちゃん。絶対絶命のピーンチ。しかし腐っても10年選手の薫ちゃん、最悪の場合にそなえ無線をいれることは忘れない。「鉄塔向こうで、はまってます、帰れないかもしれません」悲壮な声がアサギリストの無線に響いた!


その声を聞いた朝霧のエース・ダンクSさん、5キロも離れた毛無上空から「待ってろ!薫ちゃん!いま助けに行くっ!」とアクセル全開、ハイウェイを駆け抜け、鉄塔下で真っ青になりながらもがき続けていた薫ちゃんの位置までスパイラルで急降下、「俺がついてるからがんばれ、あきらめるな」とすぐそばで一緒にリフトを探りだしてくれたのだ。もちろんダンクSさんとて高圧線を越えて上げ直せる保証なんてない。「私のためにここまでしてくれるなんて!」薫ちゃん、切羽詰まった状況ながらも感激でいっぱい!必死でダンクSさんについてリフトを拾い出した。「薫ちゃん、いいぞいいぞっ、いいサーマルだっ!それ外すなー、そらっ、もうちょっとだ」ダンクSさんの励ましは続く。そしてついにエレクトロン・ルージュは、高圧線を越えた!!「もう大丈夫だな、あとはまっすぐランディングまで届くよ」と薫ちゃんの無事を見届けたダンクSさんは、颯爽とどこかへ飛び去ってしまった。

薫ちゃんが安堵と感激のあまりランディングで超ハイテンションになったのはいうまでもない。。その日、猪の頭ランディングにいた者は全員薫ちゃんのお礼ビールの恩恵にあずかった。




■余所のエリアに行かない理由


自信ないのよね、余所で飛ぶの。だって、連れてくのやでしょ?こんなの(と、インタビュアーに問う、うーん連れてくなら正直かなりエリア選ばないと難しいかも・・・)他に飛んだことあるのは、富士見パノラマと木島だけ。富士見は高圧線が怖くてぶっ飛んで、メインランディングじゃなくて手前のゲレンデにおろした。

−でも、結構イケイケモードの時もありますよね?

あー、調子にのりやすいタイプだから。(笑)それと鈍いから、こう大変な状況だってことに気づかないのよね。考えても判断する能力、欠如してるって思うし・・


■なぜ長く続けてこれたか、なにが楽しみで飛んでいるのか

わからない・・・けど、やめなきゃいけない理由も状況もないしね
。ただ、こんな私でもイケイケになってたときがあって、なんかサーマルと戦ってます!って言う感じは楽しかったな。緊張感と充実感ていうの?もうこれ以上真剣な時ないよねって感じで。他にないよね、そういうの。まあその飛びでって言われるかもしれないけど。

あとはやっぱり人間関係かな。私は自分から声かけたり新しいとこへどんどん踏み込んでいけるようなタイプじゃないから、これだけ長く続いてる人間関係って大事。長いんだけど淡白な関係ってのがまた心地いいというか・・・ここにきたときだけなんだけど、くればいつでもお友達っていうか・・・。


あ、そうそう思い出したんだけど、3本目で初めて一人で飛んで藪チンしたときに、やっぱり恐くて止めようかなって思ったわ。そんでうんちゃんに「飛ぶの恐くなっちゃったんだあ」って言ったら、「人間止めますかパラ止めますか、でも犬でも飛べるかもしれない」って言われて飛ぶ気になったのね。「飛んでやろうじゃないのって」。でもやっぱり恐いので、早朝に山本さんのメガホン誘導で飛んだの。
ほんとにさ、いろんな人の手助けやアドバイスのおかげで続けて来られてるのね。皆、あまりの下手さに見かねて指導してくれてるんだろうなあ。今まで忘れてたわけじゃないけど、今回、改めて思い起こしてかみ締めてますわ。


■だんなに一言


こんな私に我慢してれてありがとう!でもあと40年我慢してね。(笑)    
それと、還暦過ぎたらラーメン食べ歩きじゃなく日本蕎麦食べ歩きにしてください。 
                                                          




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