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『親方』NAOちゃんインタビュー

『不思議なことにやめようと思うと、いろいろな力でこの世界に引き戻されて来たような気がする』


アイコン 名前 NAO
アイコン パイロットNO.9079
 1993年2月 取得
アイコン ホームエリア:朝霧
  日本赤十字社救急法救急員
朝霧グレートチキン主婦フライヤーズ会員
朝霧とど○クラブ会員
愛称:親方
(職人系フライヤーに慕われているためこう呼ばれている。 決して相撲部屋の親方ではない

飛びに行く朝、太陽が出ていると途端に元気がなくなり、お腹が痛くなってブルーになるサーマルブルー病を発病する。ランディングでは強気な態度だがテイクオフに行くと人が変わり信じられないほど弱気になって、曇るようにひたすら祈る。テイクオフでは反撃出来ないほどしおれているので、この時とばかりにランディングでイジられた人の逆襲に合う。飛べばシンクを見つけるのはお手の物。体力が無く、セットアップだけで疲れてしまい、3分飛ぶと胸のランプがピコピコいう。曇りの日は飛ぶのに忙しいので話をしているヒマがない。





明るくパワフルで気配り抜群の人である。スカイ朝霧にくるビジターはまずスタッフよりもランディングの主である彼女の呼び名『親方』を覚えて帰るはずだ。面倒見の良さは超一流。孤独なビジターや新会員を無理矢理にでも輪の中に引っ張り込んでなじませてしまう才能をもつ。楽しい酒飲みでもある彼女のファンは多い。「親方がいないと朝霧にきた気がしない」という人までいる。

ランディング宴会女王の顔をもつ一方、パラの安全に対する意識も非常に高い。今年にはいって救急員の資格をとった。

静岡県富士市在住。一見地味そうだが職人的巧さでエリアの尊敬を集めるご主人と二人暮らし。最近タンデムで初めて毛無山へ行った。次は天子−大倉方面へ行きたいという。「もちろんタンデムで」だそうだ。

(2003年4月 by TAM)


■子供のころ

小学生の時、転校して言葉が違うよそ者ということで陰湿ないじめに遭ってプチ登校拒否になりましたぁ!(笑)ホントホント!
そんな私は小さい時から背が高かったのに、成長期に牛乳を飲み過ぎて1年間で10センチも背が伸びちゃいました。(笑)マジマジ!
中2まで運動会ではリレーの選手で、鉄棒や逆立ちなど腕力を必要とする運動以外は得意でしたね。

性格的には高校に入るまで通信簿には「引っ込み思案、消極的」の言葉が並んでたのよぉ。だから、ホントだって。
今では珍しくないけれど、当時はまだまだ日本人はみんな小柄で、背が高いと言うだけで好奇の目で見られてたのよね。背が高いというのがコンプレックスだったから、目立つことがイヤだったのに○×大会でプラカード持たされたり指揮者やらされたりで、なるべく目立たないようにしてた。今はその反動かな?(笑)


歌舞伎を見ていた影響もあって、会社に入ってからは着付師・着付講師の資格を取得しました。もう長い間縫ってないので忘れてしまってるけど、着物、帯はたくさん自分で縫っていましたヨ。着付の友人にパラをやっていると言ったら、信じられない!と言ってましたね、想像できないって。縫っていると言えば、今ではパラ用イージーパンツはすべて自作です。着付けも一段落してからは3シーズンは朝から晩までテニス三昧、冬はスキーでしたね。スキーの最高記録はリフト1日40本。若かった!


■はじめのきっかけ

会社にスキー部が出来るというので入部したんだけど、初の合宿で膝の靱帯損傷、全治1ヶ月半絶対安静5日の大けがをしました。超繁忙期の怪我で、会社に迷惑をかけちゃって。
で、この怪我が元でその後スキーは泊まりで行っても1日滑る程度になっちゃた。ある時ね戸狩へスキーに行く計画が、宿が取れずに木島平に変更になったのね。私は1日滑るだけなので2日目はパラの体験をすることにしたの。
でね、雪の上でこれがキャノピーでって説明受けてる時に、今思えば失速なんだけど人がランディングから数メートルのところで落ちちゃってね、スタッフが駆け寄ってアッと言う間に動かないまま運ばれていっちゃって。雪の上だったので軽い脳しんとうだったんだけどね。
私、これから初めて飛ぶんだけど。。まぁ、そんなアクシデントを目の当たりにしたけどおもしろそうなので春からパラを始めることにしたの。(笑)
これからスキーを本格的に始めようと思っていた矢先の怪我がなかったら、パラとは出会ってなかったと思うし、戸狩が木島に変更になったのも運命的かもね。


■スクール生の頃

両親はパラ反対。母にはB級取ったらやめるからと説得して、父には内緒にすることにしました。パラに行く時はテニスに行くと言ってでてくるので、必ずテニスのラケットを持っていたの。(笑)
木島で始めたんだけど、当時このエリアは女子大生がわんさか訪れてね、パラ独特のファッションにあふれてとっても華やかなエリアでしたね。
当時車が無くて東京から電車で木島に行ってたからもう大変。B級取得を機に交通の問題などから朝霧へ転校したの。朝霧は地味なエリアで、当時は皆ジーパンにトレーナーで飛んでいたので、木島のカラフルな魚やパイナップルの絵のイージーパンツやパステルカラーのフライトスーツの私はかなり目立っていた…と思う。

木島ではスカイフォーという高低差があまり無く、なだらかな斜面が続く場所でのフライトを8本しか飛んでいなかったから、朝霧で初めて高々度の崖?フライトをすることになって…
飛ぶ前は昼食がほとんどのどに通らないほど緊張してて、あんぱん半分とウーロン茶が最後の晩餐かぁ…と真剣にブルーになっちゃって。(笑)

そんな私も朝霧で20、21本目で当時出たばかりの中上級機を試乗して初ソアリング。22本目で中級機で2時間飛んでイントラに飛びすぎ!って怒られちゃった。(笑)今だったら20本くらいで中級機はもちろん中上級機の試乗なんて絶対させてくれないけどね。昔はどこもおおざっぱだったよね。(注意!)現在このスクールはありません。

それで気をよくして早くも機体を買い換えちゃって。超ノリノリ!で第1回朝霧レディースカップのノービスクラスで4位(3位と同点)に入って賞品もらって大喜び。たんじゅーん!(笑)その後もイケイケでブイブイ言わせて飛びまくって1年かからずにP証取得しました。昔はNPが無かったからね。


■なぜ長く続けてこれたか

不思議なことにやめようと思うと、いろいろな力でこの世界に引き戻されて来たような気がする。
仲間に恵まれたということも大きな要因だと思う。特にこの世界の人って、強烈な個性の持ち主が多いでしょ?TAMちゃん!
(こらこらインタビュアーに突っ込んでどうする by TAM)
私の人生にこんな人はいなかったという衝撃がたまらない!からかも?
あとは自分自身の事故や怪我がなかったことかな。これは親、会社に内緒だったし、怪我でまた会社に迷惑をかけられないということで無理をせず慎重にやってきたからだと思う。

いつでも飛べる。今日も野望は叶わなかった。。。また次があるさ。を繰り返していたら結果続いたという感じかな。


■怪我・事故

ありがたいことに、今まで山沈、スタチン、怪我はありません。危なかったぁというのはこれだけ長くやっていればいくつかはあるけどね。怪我などが無かったのは、たまたま運が良かっただけ!なのだと思う。イケイケの一番怪我をしやすい時期に、人の振り見て…で守りに入ったのも効いているかもしれませんね。 ただ、いつも明日は我が身と思って気持ちを引き締めています。

それになんと言ってもこの体型ですからね。怪我したらただじゃ済まないでしょう。(笑)私の場合、怪我をしたらやめちゃうと思うので自分自身やめたくないからおとなしく飛んでるって言う部分もあるかもしれません。それに運んでもらえない…きっと。(笑)


■やめようと思ったこと

何度も数え切れないくらいありますね。
まず最初は朝霧に来た頃に、とても親切に面倒を見てくれた方が怪我をしたときですね。その方を家へ送っていったんだけど、ご家族の様子を見てショックを受けちゃって。その後原因はもう覚えてないけど、すごく怖くなって初飛びのコンディションでも怖くて怖くて足が震える位になって、もうやめようと思った。この時のことを思うと今飛んでいること自体、奇跡です!!

それから元々家族が反対でB級取ったらやめると言っていて、B取ったら今度はP証取ったらやめる、その後海外フライトブームの走りで、夢だったスイスで飛んだらやめると言い残しスイスツアーへ。スイスで飛んだらあまりのすばらしさにパラやってて本当に良かった!!と思ってやめるのをやめました。

その後も何度も何度も思いましたね。数年前、金銭的にも肉体的にも疲れていっぱいいっぱいで、とうとう本当に
機体を乗りつぶしたらやめると決心したの。そうしたらフライヤーの主人と結婚することになっちゃって、やめられなくなったの。これで父にもパラの事を話たんだけど、何も言わなかったな。本当は知ってて見て見ぬ振りをしてくれていたみたい。


■一番怖かったフライト・一番楽しかったフライト

怖かったフライトねぇ。ほとんど毎回怖いからねぇ。(笑)よく覚えてないというか、ありすぎるというか、甲乙付けがたいと言うか。(笑)
フライヤーって、フライト中の怖かった話を降りてきてから笑い話にしちゃうところがあるでしょ。
今となっては笑い話になっちゃって、当時の恐怖が薄れてる。でもやっぱり降りたいときに降りられないのが怖い.

楽しかったのは8年前に初めて行ったスイスですね。いいかげん観光させろー!っていうくらい毎日飛べちゃって。ベルビエの夕方のフライトで目の前には教会や町並みがあって、足下にはカウベルを鳴らしながら牛がゆったり草を噛む。絵はがきのような景色の中に自分が飛んでいて感動しました。パラをやっていて本当によかったと思ったのはこの時です。普通なら地上からしか観光できないのに、上空から観光できて地上からでは見られない景色を見ることが出来る。贅沢ですよね。


■学んだこと

大自然のすばらしさ、力、怖さ。いろいろな事への感謝の気持ち。うちでいえば、特に白糸財産区の方々は白糸エリアを少しでも飛びやすくするために開発、整備をしてくださっているのね。スクールはもちろん、地元住民の方々のご理解とご協力があってエリアで飛べる事。

TAMちゃんと同じで人の飲んだ物の回し飲みとか、屋外で青空トイレが出来るようになった。始めた頃は離れたショップのトイレまで戻っていたから。あと男女混合雑魚寝。これって結構一般社会の女性は引くよぉ。
いいのか悪いのか、かなりワイルドになりました!


■ぶっ飛び主婦的立場からの意見

今ぶっ飛びをしてる人って、意外と昔はコンペ機に乗ってたり、XC証持っていたりって言う人が結構いると思うの。いろんな理由で今はぶっ飛びというフライトスタイルに落ち着いたとか、またバリバリ飛ぶために今は心や身体のリハビリ中で、心の中には野望の火がメラメラと燃えていたり。コンペ指向の人、クロカンにでる人、イントラになる人、アクロバットを目指している人、ぶっ飛んでいる人、共通点はみんなパラが好きだって言うこと。

ぶっ飛びはなかなか理解されなくて、いろいろ言われたりしてきたけど、最近は「今日はNAOちゃんコンディションだよ」と言われるようになった。(笑)
私は遠くの景色を見ながらぼーっとプカプカ飛びたいのよね。飛び続けてきて自分のフライトスタイルを見つけたんだからいいんじゃない?本人は充分楽しいから、かわいそうに思ってくれなくていいです。(笑)
自分の一番楽しいコンディションを知っているから、無理に出ないんです。だって、遊びでやってるんですよ。必要以上に怖い思いしてまでやることは無いと思う。いろんなスタイルがあっていいと思うのよね。楽しいパラライフを送れれば。

TAMちゃんとは木島の大会の時知りあったんだよね。TAMちゃんが2位で私が3位で。TAMちゃんはコンペ機に乗っていたし、日選にも出てるしはっきり物言うし、すごい人だなって思ってました。でも、将来こうして一緒にぶ主連を立ち上げるとは夢にも思いませんでした!(笑)

アクティブなTAMちゃん、AYAちゃんのおかげで今まで日陰の身だったぶっ飛び指向のフライヤーにも人権を獲得するチャンスがやってきた!って大袈裟かな。(笑)
今回ぶ主連発足で、自分以外にも結構ぶっ飛び指向のフライヤーがいたんだなと思いました。
肩身の狭い思いをすることはありません。私たちだって立派なフライヤーなんだー!今こそ立ち上がろう!?(笑)


■だんなに一言

ダンナは富士山単独担ぎ上げフライトもやってるし、海外フライトもしたし今私がパラで勝てるものは何もない。だけど、今日はこの景色を見てきたんだー!と言ったら「いつも見てるよ〜」じゃなくて、一緒に感動してクリ!


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