直線上に配置

TAMちゃんインタビュー

『人の倍くらい下手で上達が遅いんで、だから人の倍くらいの期間楽しめてるんじゃないかな

アイコン 名前 TAM
アイコン


パイロットNo.5754
  1991年8月取得
      一応 XC証(No.1823)も持ってます
        (移行ライセンスだけど・・・)

アイコン ホームエリア:朝霧
出没エリア:松田、足尾、他多数
  朝に弱く、寒さに弱く、歩くのが嫌いで、日差しに弱く、荒れたコンディションでは固まるしか能がなく、運動神経・体力ともにゼロに近く、痛いのも怖いのも嫌いで、虫とか蛇とかが苦手で、目が悪くて、方向音痴で、機械に弱いからGPSも使えなくて、頭が文系だから難しい飛行理論なんかてんで解さず、指先不器用だからラインもろくに結べないけど、なぜかパラが好きな会社員。

とにかくよくしゃべる人である。早口で思ったことをずばずばストレートに、機関銃のごとく撃ちまくる。その毒舌ぶりにしばしば周囲をはらはらさせるが、ご本人は「悪意とかそういうのゼーンゼンないんですけど、考える前にすぐ口からでちゃうんですよね」と、いっこうに意に介さない。

神奈川県座間市在住。都内の人材サービス会社に10年以上勤務する。「管理職のハシクレ」だという。両親と配偶者と4人暮らし。結婚と同時に建てた2世帯住宅のローンと長い通勤時間そして会社での立場上有休がとりにくくなったのが悩みのたね。

ご主人は大学勤務の研究者でパラグライダーとは無縁の生活。特に関心もないという。ただし、雨が続いて彼女が家にいると好きな仕事ができないので、週末の晴天を祈るのはフライヤーと同じである。 (2003年3月 by damian)



■子供のころ

運動嫌いで、体育三重苦。逆上がりできない・跳び箱飛べない・泳げないで体育の時間がなにより苦痛でしたね。本とか漫画ばかり読んでる子供で、みんなが休み時間に校庭でドッチボールやってる時に図書室に入り浸って、司書の先生相手に小難しい話なんかしてるような・・・

子供の頃からずーっと太ってて、不器用だし、運動コンプレックスもあって、運時系の事からは逃げ回ってました。肩こり・頭痛持ちも子供の頃からで、すぐ風邪引くし、日射に弱くてすぐ発熱するし、これほどパラに向かない体質の人ってそうそういないんじゃないかな(笑)

その延長で、中学・高校・大学と文学や映画や舞台に入れ込んで、あげくの果てに就職先は、某大手ミュージカル劇団のプロデュースのスタッフ。いま、パラにはまっているのって自分でもすっごい不思議です。


■はじめのきっかけ

10代・20代を本や映画や芝居にどっぷり、いってみれば批評家的なポジションの趣味でやってきて、20代のある時、鑑賞してるだけの人生でいいのかな、プレイヤー的経験もしとかないと行けないんじゃないかって、ふっと思って、いろんなことにトライしてみたんですね。

ある夏、長野のペンションで、近所でこんな新しい遊びやってるよって勧められたのがパラだったんです。ジェットコースターとか絶叫系マシンが好きだったんで、たぶんそういうノリで半日体験に行って、そしたら思いの外簡単に飛べちゃって、コスモスの高原をふわふわって。もう最高ですよ。こんなに簡単なら、ってそれが間違いの元だったんですけど(笑)、スクールに入って本格的にやろうって思って。当時は情報誌なんかもなかったからどうしていいか全然分からなかったけど、職場の先輩で山をやってる人が『山と渓谷』にパラスクールの一覧が載ってたよって教えてくれたので、早速本屋に『山渓』買いに行きました。


■スクール生の頃

家から近いということで箱根を選んで、唯一平日もスクールやってたYSCにはいったんです。でも、下手で下手でどうしようもなかったですね。周りが面倒見のいい人が多かったのと、あの頃(89年)はまだ女の子が少なかったので、こんな私でも結構見捨てられず、手厚く世話してもらえたのが救いでした。(笑)女に生まれて得したなって思ったのは生まれて初めての体験でそれも結構新鮮な感覚でしたね。2年かかってなんとかP証とった時は滅多に人を褒めない中村ヤスオ校長が「これほど下手なのにここまで続いた人はいませんね」と言ってくれました。これ、たぶんホントに褒め言葉だと勝手に信じてるんですが、嬉しかったですね。


■なぜ長く続けてこれたか

たぶん、人の倍くらい下手で上達が遅いんで、だから人の倍くらいの期間楽しめてるんじゃないかな。やっぱり自分でも上達してる間だってなんでも楽しいじゃないですか?私の場合、それが極端にゆっくりなんだけど、でも確実に進歩してるのが実感できてたんで、飽きずに続けてこれたんじゃないかと思います。だから下手なことはあまり苦痛というかマイナスじゃないですね。もちろん、あとから始めた人がどんどん上手くなって、明らかに技量的に抜かれていくと、ちょっと悲しかったりしますけど、でも記録だすとか、長距離飛ぶとかより、長く楽しんだもん勝ちだと思ってるんで。元々が怠惰な快楽主義者なんで、努力しないで楽しい範囲が好きなんです。

■怪我・事故

P証とったあと、箱根エリアが死亡事故でゴタゴタしてた時期があって、当時のYSCの先輩達に連れられてあちこちのエリアを放浪してました。

92年の春だったかなぁ、埼玉の新しくできたエリアに連れて行ってもらってちょっと風が強めの日で、今思えば春のサーマルコンだったんでしょうね、みんなとでたら一人だけステイできなくて、真っ先にランディングするはめになっちゃったんです。で、初めてのエリアで誰のランディングアプローチもみてなくて、左は小屋だし右は電線だし、斜面のランディングからはサーマル出てて降りないし、あおられながら8の字してて、右手の木の陰で左旋回いれた瞬間、「あ、はやい!」って思って思わず引いたら、もう落ちてました。ま、初心者にありがちな誤操作のストールです。

腰椎の圧迫で2ヶ月入院しました。転職してまだ半年も経っていなかったので、これはもう会社(現在も勤める人材教育会社)に席ないなって思ったんですけど、いまみたいに厳しい状況じゃなかったんで、セーフ。そのとき下りた保険金が結構余ったんで、そのお金でプロデザインのチャレンジャーコンペ買ったら、これがホントにいい機体で、さらに飛ぶのが楽しくなっちゃって、あちこちの草大会に毎月のように連れて行ってもらって。で機体の性能のおかげでいいセンいけたりして。今思えば、自分のパラ歴の中での黄金期みたいな時代でした。あ、事故の話でしたね、ま、転んでもただじゃおきないってところかな。


■やめようと思ったこと


事故したときは不思議とやめようなんて、まったく思わなかったですね。でも止めようと思ったことはよくありましたよ。結婚前後とか、ちょうど気分的にも停滞してて、ぜんぜん上手くもならないし、もういいかなあって。今でもよく思ってますけど(笑)ところが、そう思うとスンゴイ楽しいことや感動的なことが起こって、あ、やっぱやめられないや、ってなるんですよ。このあたりが非常に面白いところなんですけど、30歳でやめようと思って、最後に一度ヨーロッパに行って思い出にしよう、と行ってみたら楽しすぎちゃってやめられず、じゃあ、もう月イチフライヤーでいいかって、チャレンジャーコンペ売って初級期のコンパクトに変えたら、草大会のポイントが貯まってて日選の出場権がきちゃったり、結婚して他の安全な趣味に切り替えようと思ったら、アジア・パラツアーに誘ってくれる人が現れて、海外ツアーにはまってしまったり、とにかく停滞すると次の楽しみがやってくるという感じでずるずる続けてしまいました。だから、パラが大好きとか情熱をもっているという感じは全然なくて、人から熱心だねぇ、とか言われると自分ではそんな気さらさらないので違和感ありますね。


■一番怖かったフライト・一番楽しかったフライト


これはもうたくさんありすぎて・・・、でも一番印象に残っているフライトは、初めてのヨーロッパ・オーストリアツアー(94年)で飛んだノートケッテかな。ここはインスブルックの町のすぐそばなんですけど、目の前の谷に空港があって、山から離れると飛行機とぶつかるっていうんで、斜面から離れちゃいけないんですね。
ところが飛んだ日は、超晴天で強風でどこでもあがるところだらけで、もちろん荒れてて、山側はぜんぜん下りないんです、下手にあげるとというかあがっちゃうと、稜線超えて3000m級の山の裏に吹っ飛ばされそうだし、でも前には出せない。ランディングは5キロか7キロ先でよくわかんないし。

今なら絶対飛ばないようなシュチュエーションなんだけど、そのときはまだ怖いモンしらずでとにかく初めてのとこ飛びたい一心で、で、でた瞬間からこれはマジでやばいって、後悔して、ひたすら降ろすことだけを考えて、とにかに潰さないように、あげられないように、自分でパニクらないようと心のなかで「大丈夫、降りられる」って念仏のように唱えて平常心をキープして、ちょっとでもシンクがあったら狙ってそこで回し続けて。それでも45分はかかりましたね、ただ降ろすだけに。ランディングの地形もローター入りそうなところで、あと数10メートルってとこで何度も吹き上げられてやり直しになって、でも無理に入ると危なそうなので、ただただ機体の安定を保って降りられるのを待って、それでも最後に一発くらって隣の牧草地にアウトランしちゃいました。降りた時は足ふるえて座り込んじゃいました。

でもそういうときの安堵感がまた好きなんですよ。これは麻薬みたいなもんです。(笑)命の危険を感じるような状況をなんとか、自分の意志を手放さず乗り切って、無事に地上に帰ってきた、みたいな。もちろんそこには運もあるんですが、自分の意志とか技術とか経験とか、あんまり持ち合わせないんですけど、まあそんなモノを総動員した充実感というか・・・あ、これってすっごく危ないフライヤーみたいですね。

最近では、去年アネシーで川地さんに先導してもらって、言われるまま、わけわかんないまんま走らせて、気がついたら湖半周してしまってたフライトが感動的で楽しかったですね。ふだん、あまりというかほとんど走ったりしないんで、自分にそんなことができちゃうなんてオドロキでした。


■学んだこと


あんまり教訓的なことは好きじゃないんで・・・快楽主義者ですから(笑)でもパラ始めて変わったことはありますよ。一つは、神経質なところがなくなったというか、昔は、人の飲んだ缶ジュースの回し飲みとか、屋外で青空トイレとか絶対できなかったんですけど、いまじゃ結構平気ですね。たくましくなったというか、おおざっぱになったというか・・・

もう一つは、これは年のせいかもしれませんが、若いころは徹底した合理主義者で無神論者だったんでけすど、こういう天気次第・風次第のコトやってると、何か目にみえないモノに対する畏敬の念はでてきましたね。フライト中、スンゴイ怖い目に会うと、ついお祈りモードに入っちゃいます。もちろん腕とか判断力とか意志とかでリスクはどんどん小さくなって、それは絶対必要なんですけど、でもゼロにはならない、最後は運次第ってとこが残りますよね。だからパラに関しては全部が自分の力だけじゃなくて、何か、あんまり神様とか自然とか運命とかいう言葉は使いたくないんですけど、なにかがが作用しているっていうのを実感しますね。

あとは、サポートしてくれてる大勢の人。ホントに手間のかかる奴だった、って今でもそうですけど、自分のフライト犠牲にしてもサポートしてくれるような人がたくさんいてくれて、その人たちがいてくれたからまがいなりにも、フツー程度には飛べるようになって、こうして続けてられるんだなって思います。


■ぶっ飛び主婦的立場からの意見

パラ始めたころは周りに女性フライヤーでバリバリやってる人結構いたんですが、いつのまにほとんどいなくなっちゃて、寂しいなぁって思ってたんです、ずっと。

AYAちゃんの『ぶっ飛び日記』読んで、こういうスタイルでやっていけたら、もう少し続ける人増えるんじゃないか、結婚してパラから離れていく人が減るんじゃないかと思ったんですよ。だからAYAちゃんに会わなかったら、こういう遊び(ぶっ飛び主婦連合)始めなかったと思います。パラってのんびりやっても楽しいし、人が飛ぶの見てても楽しいし、移動できなくても楽しいんです。だいたい、私はランディングからワングライドの範囲でグルグル回して上がるのが、一番好きなんです。それ以上のことも最近ではちょっとトライしてますけど、でもやっぱり一番楽しいのは、サーマルゲット!の瞬間とただ右回しでセンタリングしてどんどん上がるっていうのですね。その幸福感てちょっと他にないです。遠くでセンタリングするのも悪くないんですけど、ここで落ちたら誰もきてくれないかも、と思うとご近所のセンタリングよりは幸福感落ちますね。で、そんなフライヤーがいても、まあいいじゃないかと。本人が楽しけりゃそれもありだと。

ぶっ飛びだってフライヤーだ、ぶっ飛びに人権を!って冗談です、もちろん。でもね、エリアにとってぶっ飛び主婦って大事だと思いますよ、NAOちゃんみてるとね、特にそう思います。典型的なぶっ飛び主婦ですけど、ランディングで座を盛り上げて新人とかビジターをどんどん輪の中に引っ張り込んでくれる彼女がいなかったらエリアの楽しさ半減ですもん。だから、こういう生き残ったチキンハートな主婦を大事にして欲しいですね(笑)



■だんなに一言

うちのダンナはフライヤーじゃないんですよ。興味もないみたいだし。お互い好きなことを好きなようにやれればいい、って感じでね。まあ、自分の時間を私に邪魔されたくないってのが本音だと思ってるんですけど・・・

早くエラクなって収入あげて、私を専業主婦の平日もOKパラフライヤーにして欲しいです(笑)これって冗談ぽく言ってみましたけどかなり本音入ってます。


トップページへもどる

直線上に配置