=ぶっ飛びニュース=

8月19日午後4時ごろ、フランスの観光地アネシーで、神奈川県のぶしゅTさんがマウンテンバイク転倒による単独事故で、腕と胸などを強打し7カ所以上骨折の重傷を負った。Tさんは救急車でアネシーホスピタルに運ばれ緊急手術となり、そのまま入院。約1週間後に看護士に付き添われ帰国した。
(ぶっ飛びニュース社) - 9月16日16時40分更新


 おふらんす 入院編 2004/8/19〜20

《8/19 その日の出来事》


『あれれっ? なんか・・・制御・・・不能!?』

 − 途切れる記憶  完全な空白 −

・・・・ 見知らぬフランス人の中年女性の声「Are you OK?」
ん〜?  誰か・・・なんか・・・言ってる なんで 英語なんだろ、フランス語じゃない・・・
どうして私の腕、持ち上げてるんだろ。あ、添え木代わりになんかあててる・・・そっか・・・左腕・・・折れてるんだ  

見知らぬフランス人の中年男性「Don't worry! She is proffesional. 」
いったいなんのプロなの?・・・

 − 白濁する記憶  夢のような断片的映像 −

救急車のサイレン・・・何人もの手でタンカに乗せられて・・・・服、ジョキジョキ切られてるなぁ・・・



左腕の痛み・・・ストレッチャーで運ばれて行く病院の廊下の天井、黄色がかったすすけた照明・・・意味不明のフランス語・・・なんだか肉体がなくなって左腕の痛みと意識だけの存在になったような不思議な感覚

いつの間にか服は全部切り刻まれて、スッポンポンにシーツ1枚 まあ、いいいけどね。

レントゲン室 MRI フランス人の医者が英語で状況を説明している あぁ、いっぱい折れてる。。。  いつからいてくれたのかエディがいる。 なに?左腕、手術なの?わかった、わかった。選択の余地なんかない、というより判断能力なんざ2%も残ってない。

ストレッチャーの移動 ガランとした部屋  なぜか病院スタッフは全員扉の向こう  左腕・・・なんで・・・ こんなに痛いの 誰か 早く手術でもなんでも始めてくれ〜
「Pain?」え?なんか聞かれた?フランス語なんて分かんないよ  あ、違う英語だ、痛いかって聞いてるんだ 「Yes・・・ pain」 痛み止めの注射 意識が薄れていく


いつの間にか手術室  テレビで見るような無影灯と緑の心電図のグラフ 結構乱れてるなぁ  このまま死んだらそれはそれで悪くない人生だったよね  死なない確信をもちながらそんな思いが頭をかすめる  左腕 麻酔打たれてる もう痛くないや 局部麻酔でやるんだ  見てよう と首を左に向けたら白いカーテンで目隠しされて頭を天井にむき直されてしまった  いいじゃん私の腕なんだし、みてても。あ〜でも  麻酔・・・完全に効いてるかな −もう映像記憶がない− 麻酔、頭まで回ってる 少し 感覚残ってるような  それで切られたらその方が痛いだろうな  あ、今切ってる、良かった ぜんぜん痛くないや  薄れていく意識 ZZzz
zz・・・・・

  
気がつけば薄暗い病室 窓の外は真っ暗 2人部屋 隣にはフランス人のおばちゃん 看護婦がこのジャポネはどうしてこうしてと説明してるらしい おばちゃんフランス語でなんか話しかけてくるが・・・だめだ 今対応できない。再び遠のく意識。。。






突然・・・覚醒。
真夜中。しかしその時にはすでに事故を挟んだ何十分かの記憶はきれいさっぱり消失していた。


そんなわけでなにが起きたのか分からないまま、気がついたら左腕開放骨折で緊急手術、胸骨、肋骨、胸椎、腰椎等あちこちの骨折でおふらんすの病院に入院という、たいそうな状況に陥っていたのだった。でも、このレポは別に事故レポでも闘病記(怪我でも闘病記って言うか?)でもない。この夏、経験したおふらんすでの入院&超ゴージャスな搬送旅行の体験記なのだ。いままで散々海外パラツアー記を書いてきたけれど、これくらい興味深い経験てちょっとない。さすがにネット上に書けないこともちょっぴりあるので、97%くらいホントのハナシとして読んで欲しい。


  



《8/20(金)おふらんすの入院初日》


まだ薄暗い早朝。看護婦が朝の検温にやってきて目が覚めた。頭の稼働率は30%以下。体の末端まで脳の指令が届かない。右腕には点滴。なにやら3種類くらいの薬がつながっている。昨日の夕方からもう何回も点滴換えてるけど、いつまでつながったままなのかなぁ。そう言えば、夕べ、喉が渇いて水くれっていったらダメって言われたから、もう20時間以上飲まず食わずなんだよね。最後に食べたのなんだっけ・・・そうだ、アネシーのショップの駐車場でN岡夫婦と3人でパン3個を回し食べして、それっきりだ。でもお腹空いた感じしないなぁ。今日は水くらいは飲ませてくれるよね、きっと。




横長の病室。右手にはまだ寝ているフランス人のおばちゃん。隣のベッドとのしきりはなにもない。おばちゃんのベッドの向こうに窓。見えるのは、薄ぼんやりとした空と病院の別棟、緩やかな丘のような山、手前に街路樹。これだけじゃちょっと方角は分からない。天気は、まあまあってとこだな。みんな今日はどこに飛びにいくんだろう。この天気じゃシャモニーはまずないだろうな。。。。。。。
不思議なことに体の方にも心の方にも痛みはなくて、そんな余計なことを考える。もっとも体のほうは大量に打たれていた痛み止めのおかげだったのだけれど。怪我したことそのものに対する感情はなぜかまったく動かない。変だ。気持ちが『仕事モード』にはいってしまった感じがする。”どんな理不尽な状況になっても、与件は与件としてクールに受け止め、最適な現実的対応を行うこと。”まずは、保険の手続き・帰国の目処・家との連絡・会社への対応・病院スタッフとのコミニケーション(ほとんどの看護婦は英語が通じない)考えなくちゃいけないことがいっぱいある。


朝食を配る看護婦がきて、紅茶とフランスパンひとかけをおいていった。えっ?固形物、食べてもいいのかなぁ(脊椎の圧迫骨折経験者の人は知ってると思うけど、消化機能がしばらく止まっちゃうんだよね)と、ぼけーっとパンを眺めていたら、さっきのナースがやってきて、『ごめんなさい、このパン間違えて配ってしまったわ、今朝はTeaだけね』というようなことをフランス語でくどくど言いながらパンを回収していった。あ、やっぱり。。。でもそんなことなら先に一口囓っときゃよかった。


9時頃エディがきた。ということは今日のフライトは、アネシーだな。もしかして病院よるためにアネシーにした?もしそうならすっごく申し訳ないなぁ。エディは宿の荷物をもってきてくれた。NAOとERICAがパッキングしてくれたらしい。部屋、散らかり放題だったし、バスルームに下着とか干してあったからちょっと恥ずかしいかったけど、でもものすごくきちんと納めてくれていた。捨ててもいいようなモノまで律儀にトランクにいれてあった。部屋に買い置きしてあったミネラルウオーターのペットボトル5本もまとめて袋にいれてあった。着替えとか洗面用具なんかよりこっちの方が切実に嬉しい。エディは保険屋と家族への連絡状況等を説明して、夕方必要な書類をもってまたくると言ってくれた。手続き的なことさえなければこれ以上彼等を煩わしたくはなかったけれど、身動きのとれない今の状況ではしかたない。


午前中、ベッドで寝たまま移動してレントゲンを取った。医者に説明されるまでもなく、左腕にはバシッと刺された金属ワイヤーが入っていた。尖ってて痛そうな画像だった。なにかの拍子に皮膚を破って出てきそう。いつ抜くの?と聞いたらずっと後、数ヶ月以上は先だと言われた。

昼過ぎてからはウツラウツラしていてあっという間に過ぎた。点滴が刺さりっぱなしっていうのは、鬱陶しいが、うとうと気持ちよく寝られるという効果はある。夕方、エディと川地さんがきて保険の申請書類を置いていってくれた。エディが、明日はみんなが帰る日だから病院に来れないけど明後日来ると言ってくれたが、あとは自分でなんとかできそうだったので断った。彼等はこのあとトルコのPWCに行くわけだし、迷惑ならもう十分すぎるほどかけてしまっていた。「トルコ、頑張ってね」そう言って2人と別れた。

さて・・・と。明日から一人。
不安がないと言えばウソになるが、一人でなんとかするっていうの嫌いじゃない。
目標
@出来るだけ快適な入院生活が出来るよう主張すること
A一日も早く日本へ帰ること

それにしてもあまりに可愛げのない心境に、自分でもあきれてしまった。


本日の教訓:出されたものはすぐに食え