おふらんす 入院編 その2 2004/8/21〜22



アネシーホスピタル434号室の間取り

《8/21(土)本当は帰るはずだった日》


朝から天気は良かった。今日はジュネーブ方面で飛べるかな。窓から外の様子がみたいが点滴がささったままなので、ベッドから動けない。ついている薬液の袋が一個なら右手で持ち歩けるのに、ご丁寧に3つもついてるし、点滴がぶら下がってる棒はベッドと一体化していて抜くのは不可能。

本当は帰るはずだった日。
病院を通した保険屋との話の中ではまだ帰る目処がたたない。


今朝も、朝食はお茶一杯。昨日の昼と夜もこれまた粗末な流動食で、すりおろしリンゴの離乳食もどきとプチダノンのヨーグルト風チーズ、それと極めつけなのが『ぶいよん・ど・れぎうむ』(野菜のブイヨン)と呼ばれている妙な『お湯』。半透明の大きな蓋つきプラスチックカップに、なみなみ入ってきて、最初コンソメスープみたいなものかな〜、それにしては色が薄いな〜なんて、なんの警戒もせずに飲んだら思わず吐き出しそうになるほど不味かった。カレーを作るとき、最初にジャガイモとかニンジンとかタマネギを水で煮るけど、そのお湯だけを何の味も付けないで(もちろんお塩もいれないで)そのまま飲むという感じなのだ。フランス人はこんなものを平気で飲んでいるのか?それともこれは野菜エキス入りのお湯として薬代わりに飲んでいるのか?このミョーなお湯はそれからの入院食で毎回ついてきて、微妙に野菜くずの混入があったりタマネギ臭が強かったりと若干の変化はあったものの、ついに退院の日まで飲みきることはできなかった。

そんな風にトホホな入院食にいいかげんお腹が空いてきたので、モリジンのスーパー でおみやげ用に買っておいたチョコを食べるコトにした。エディがトランクを手の届くところにおいていってくれたので、どうにかこうにか片手でトランクの中身を探って、チョコ発見!!、看護婦にみつかると止められそうなので、入り口側を見張りつつ食べた。食事制限がいつまでなのか分からないのでチョビチョビ食べようっと。なんだか山の遭難者みたいな気分だ。



さて、今日やるべきことは、昨日隣のおばちゃんの退院と同時にに切れてしまったテレビを見られるようにすること、枕元にある電話を使えるようにして保険屋と家と直接連絡がとれるようにすること。そして左腕のギブスをなんとかすることだった。ギブスがキツすぎて(かどうかはよく分からないが)、昨日から指先がどんどんどす黒く変色していってるし、しびれと痛みは耐え難かった。しかし、英語をほとんど解さない看護婦にこれらをどう訴えたらいいのか?ギブスの件は、夕べも言ってみたけど、看護婦は分かったような顔つきをしながら結局そのままになった。看護婦の大半は英語がまったく分からない。何人か日本の中学生くらいの英語ができるのがいて、1名だけまっとうな英語を話すメガネのスタッフがいた。彼女は最近日本の小説を読んだと言っていた。三島由紀夫も読んだと話していた。

昼前にドクターがきた。ドクターは1日1回しかこないし、英語をまっとうに解す数少ない人だったので、ここぞとばかりに要求事項を伝えた。

T「点滴はいつとれるの?」
Dr「明日には」
T「ギプスがきつくて指が痛いんだけど」
Dr「ふむふむ(と、指先を調べて)、わかった。カットしよう」
 (カット? どこをどうカットするのかな?いちおう趣旨は伝わったようだけど・・・)
T「いつ日本に帰れる?」
Dr「週末なんで保険屋と話していない、まずは保険屋と話してからだ」
  (こりゃ保険屋とは直で話すしかないな)
T「できるだけ早く帰りたいんだけど」
Dr「もっともだ、上体を固定することができれば動かせる。」

と、いろいろ質問していたら、ドクター付きの看護婦(他のナースよりちょっと偉そうで英語が話せる)が、その後を引き取って
N「週末の間は、手続きできないから月曜日に電話する、書類は先にFAXしておくわ」
T「OK、ところでテレビがつかないんだけど」
N「お金がいるの」
T「お金ならある」
N「後でテレビの係をよこすわ」


ドクターはとっくに次の回診に向かってしまい、ドクター付きの看護婦もなんだか忙しそうだったので、細かいところまで分からなかったが、当面の要求は一通り伝わった。
とほほな流動食の昼ご飯を食べて一眠りしても、まだギプスカット係もテレビ係もこないので、ナースが通るたびにテレビを指さしたり、ギプスが痛いと訴えたりしつこくやっていたら夕方近くなってようやくテレビ係のおばちゃんが現れた。片言英語の彼女は、自分のコトをなんと言って説明していいか困ったような顔で『Iam TV woman』と言った。(ジューブンです、それで)テレビの課金システムについて、ワープロ打ちのメモを見せながら、丁寧に説明してくれた。何日間使うかを申告し、その分のお金を先に払うとその間映るような仕組みらしい。どう考えても月曜日中には出られそうもないので、とりあえず3日間火曜までの料金を払った。10〜12ユーロぐらいだったように思う。テレビウーマンさんが片言とはいえ英語を話し、しかもとてもいい人そうだったので、ちょっとだけ親切心にすがってみることにした。

T「ところでこの電話はどうやって使うの」
TW「テレビと同じ、先に使う分の料金を払うとかけられるわ」
  受けるのは無条件でできるが、かけられないのだ
T「日本に電話したいんだけど、国際電話もOk?」
TW「。。。たぶん、でもいくらか分からないわ。市内は○○ユーロよ」
  市内に用はないんだけど〜、どうも見込み薄の様子
T「じゃ、パリは?パリの保険屋と話さなくちゃいけないんだけど」
TW「パリねぇ、調べられるかしら。。。急ぐの?」
T「保険屋と話さないと帰れない。家族も心配してるので早く相談しないと」
TW「分かるわ。。。でも、今日は事務の方が休みなので人がいないから。。。」
  電話をかけられるようにするのはかなり困難な様子、だんだん説明がつらそうである
「じゃ私があなたの代わりに保険屋に電話して、向こうから電話するように言うわ、それでいい?」
  おっ!そうきたか。
T「そうしてもらえると助かるわ」
  テレビウーマンさんかなりホットした様子
TW「その方が簡単よね、簡単、じゃ必ずかけるから、電話待っててね」


彼女が部屋を出て行ってしばらくしてテレビがついた。チャンネルは15くらいあって、暇つぶしに一通り回してみた。フランス語放送に混じってBBCとCNNの英語が聞こえてくると、20%も聞きとれない英語ですら嬉しい感じがした。CNNのニュースをみていたら、隣のベッドには足を折った次の患者(もちろんフランス人)が入ってきた。なかなか繁盛している(?)病院のようだ。年は40代なかばか、ダンナらしい禿げた男が心配そうに付き添ってしばらく部屋にいた。さて、せっかくテレビがついたのだが、この部屋にテレビはひとつ。お金を払ったのは私だが、いちおう隣の人に配慮しないわけにいかないだろうと思って、英語のチャンネルからフランス語のオリンピック放送に切り替えた。

フランス人が英語が嫌いというのはどうも本当の話らしく、隣の患者(夜、本人が落ち着いて自己紹介されバレリーという名だと知った)彼女を次々訪れる賑やかな見舞客達は、CNNをちらっとみるとちょっと嫌な顔をするか、「War」と吐き捨てイラク関連の戦争映像から目をそらした。そんなわけでこのあと三日間、英語チャンネルはバレリーが寝てる時にしか見ないようにして、あとはひたすらオリンピックをみていた。ヨーロッパの地でこうして日がな一日ヨーロッパのチャンネルを回していると、確かにアメリカ人は野蛮で戦争ばっかりしているように思えてきて、なんとなく彼等の反応も理解できる気がした。



夕方、保険屋(正確には損保会社の現地エージェント会社)から電話がかかってきた!(テレビウーマンさんに感謝)まっとうな日本人が話す至極まっとうな日本語だった。いかにもお仕事できますっていう感じの好印象のお姉さんが、かなり患者よりの応対をしてくれた。週明け月曜に、保険屋の方の医者の判断を仰ぎ、病院側の医師とも相談して帰国の方法を決定し手配することになるので、帰国は早くても水曜になるだろうという見込みだった。帰国便の手配とその費用が話の中心で、ファーストクラスの席で寝て帰るか、飛行機の座席を一列つぶしてタンカ(ストレッチャーか?)をそのまま固定のベッドにするかいずれかになるが、後者の場合費用がとんでもなくかかってしまい、今かけている保険でまかないきれなくおそれがあるという。いずれにしても付き添いの医者か看護人が必要なのでその費用も発生するらしい。以前、知り合いのコンペティターKちゃんから中国で大怪我して、その時の費用が巨額過ぎて保険でまかなえず、自己負担がとんでもない額になったという話を思い出した。まずいっ!、ウチには借金はあってもキャッシュはない。ここはなんとしても保険金範囲内で帰れるようにしなくては!!
T「付添人?そんな大げさなこと要らないです。骨が折れてるだけで具合が悪い訳じゃないし空港まで連れて行っていただければ大丈夫です。」
保姉「はぁ、しかしそれだけのお怪我ですと、やはり付き添いがおりませんと。」
T「歩こうと思えば歩けるし(数歩試しただけだけど)、ベッドでも座れます(医者には止められたけど)。エコノミーでも帰れると思います。(たぶんこれは無理だな)座席つぶすなんて絶対必要ないです。」
保姉「。。。わかりました。そのことはこちらのドクターには伝えます。」
T「そちらだって、保険の支払いが安くあがった方がいいわけだし(この指摘は正しくなかった、詳細後述)、リーズナブルな方法で考えてください」
保姉「私どもはお客様の安全が第一ですし、ご無事に帰国されるまでの責任がありますので。でも承知しました、保険の範囲内で帰国プランを考えます。月曜にまた連絡させていただきます」

というような会話があって、帰国手配の結論は月曜に持ち越しとなった。



保険屋の対応がしごくまっとうであったので、少し安心してまたまたオリンピック中継をみながらうとうとしていると、年配の看護婦が巨大な紙ばさみクリップのような金属の道具を携えてやってきて、無言でギブスの裂け目を広げはじめた。どうやらギプスを緩くしてくれるらしい。普通ギプスって継ぎ目がないイメージだけれど、このギプスには最初から縦に継ぎ目というか裂け目があったので、そこを巨大クリップ的道具で押し広げるのだ。裂け目が7ミリくらいくらいになったところで作業は終わった。あんまり緩んだ感じがしなかったので、もうちょっとというジエスチャーをしてみたけど、あっさり拒絶された。ギプスからでている左の指先の変色はどんどん進行し、痺れて痛いし、なんだか心配になってきた。ほどなく夕食の時間となり、トレイに使いもしないフォークがのっていたので、フォークを裂け目に突っ込んで勝手にギプスを広げることにした。丈夫なフォークを梃子にしてグイグイやるとギプスがミシミシと目に見えて広がっていくので、面白がってずっとやっていたらちょっと広がりすぎて1.5pちかく開いてしまった。見つかったら怒られるかなぁ、ま、いいや。その時はその時ってことで。(でも結局そのあと医者もナースも何にも言わなかった,)


日本の家族からも電話がかかってきて、電話はすべて定時に日本からいれたもらうことにした。これで今日の課題はすべてクリア。結構忙しい1日だった。

本日の教訓:要求は通るまで言い続けろ







アネシーホスピタル434号室のベッドからの眺め
(オリンピック・ライブ放送中)

《8/22(日)オリンピックな1日》


この日は入院中いやフランス滞在中、アネシーの天気がもっとも良かった日だ。朝から絶好の青空で風もほどほど。今日飛ばないでいつ飛ぶってほどのコンディションだった。

今朝の朝食には、ラスクみたいなビスケットが2枚ついていた。お世辞にも美味しいとは言えないがとりあえずバターとジャムをつければそれなりに腹持ちがするので、ちょっと嬉しい。

しかし今日はあまりするべきことがない。すべては週明けの診断と保険屋の手配に持ち越された。仕方がないので特に関心もないがテレビのオリンピックを眺める。言葉の分からないこの国で、一人入院生活を余儀なくされた時にオリンピックがあったことは、不幸中の幸いだった。そもそも私はスポーツ全般が嫌いなのでオリンピックになんか、からきし興味がない。日本選手だって柔ちゃんと北島康介以外は名前も知らない。今年はサッカーと野球があるらしいけど、それも『あるらしい』程度にしか知らない。それでも、言葉が不要な映像だけのドラマが展開してくれるのは幸運だった。オリンピックがなかったらここの所在ない『待ち』時間がさらに長いものになっただろう。

その程度の気分で見るともなくなく見続けたテレビに疲れて窓をみると、いい感じにサーマル雲が出始めている。
『なんで、こんな絶好の日にアネシーにいながら、こうして寝てなきゃいけないんだろ。。。』
初めてこの事態が悲しくなってきた。
『帰ってもしばらく飛べない....よね』
窓からは見えないアネシーの山を思うと、ちょっと涙腺が緩んでしまって、でも冷静に考えたら、怪我そのものとか、家族にかけた心配とか、仕事のことなんかではなく『飛べない』ことを真っ先に嘆いている自分が可笑しくって、なんとも言えない妙な気持ちだった。


さて、そんな感傷にひたりながらも、今日は点滴を外してもらえることになっていたので、いつかいつかとずっと待っていた。この点滴がとれないと自力でトイレにいけないから、ベッドでおまる(?)ということになり、いちいちナースを呼ばないといけない。ナースを呼ぶだけならまだしも、仰向けに寝た姿勢のままで、下におまるあててコトを済ますのは、心理的抵抗でなかなか難しく、かなり真剣にガンバらなければならない。で、あたりまえだけどそういう行為って、なるべくしたくないから、なかなか用を足す決心がつかず、結構長時間我慢したりして、そうすると膀胱にはかなりの量がたまっているのだけれど、これを最後まで意識的に絞り出すのは、一汗かくほどの大仕事なのだ。幸いここの病院はプライバシーにはかなり配慮のあるやり方で、シーツを上手く使って、隠してはくれているし、行為の最中も時間がかかるのを察して外してくえるのだけれど、それでも苦行であることには違いない。

こういう状態になるとトイレなどという普段は仕方なく行っている行為が、人間の尊厳に深く関わっているのだんなぁとあらためて思う。



シーツと言えば、さすがヨーロッパの病院、リネン類の取り扱いは素晴らしい。上下のシーツは言わなくても毎日全交換してくれるし、そのセッテイングは絶妙。シーツ交換作業もこれまた上手い。ナース二人組で行われるのだが、点滴付きの患者を寝かせたままベッドの左右半分づつ仕上げて、最後に上掛けのシーツをベッドの足下に折り込んで、実に美しい仕上がり。毎日関心させられたが、その美しい仕上がりのシーツをすぐにぐちゃぐちゃにしてしまってちょっと申しわけなかった。

閑話休題。

点滴の話の続き。朝食を下げにきたナースに、点滴を外すことを身振りで催促してみた。いちおう頷いていたが、なんか怪しいのでもう1回、今度は検温をしにきたナースにいってみた。それでもなかなか外しにこないので、じれてきた。そろそろトイレに行きたかったので、最後のオマルコールをしようかなぁと思った頃、例の『三島』のナースがきて、テキパキと点滴を外してくれた、「点滴はとるけど、動いてはいけない」と言うので、あえてトイレに自力で行ってもいいかどうかは聞かないことにした。たぶん、止められるに決まっている。点滴が刺さった状態で、看護婦の目を盗んで立ったり数歩歩いたりしてみて、部屋のトイレくらい行けるのは分かっているにの、これ以上オマルコールをする気なんかになれない。

ということで、ナースが部屋を出て行って、まもなく、そーっとベッドから出てみて(といっても上体を一人でおこすのはなかなか困難だったが)念願のトイレへGO!
起きてみるとさすがにアチコチの骨折箇所が痛いし力が入らない。慎重に慎重に便器に座って.....

じ〜ん。。。、一人トイレの幸せ。。。

しかし、その幸せ感もつかの間。なんとここのトイレは便器に座ったままでは、トイレットペーパーまで手が届かないことに気づくのだ。たぶんすご〜く手の長い健常者のフランス人が、上体をかなり前に倒せば届くのだろうが、胸骨や脊椎があちこち骨折している今、上体を倒すなど無理無理。どうしよう。。。っていってもまさかナース呼ぶわけにいかないし、パンツ下げたまま中腰で膝曲げて、そろりそろりとトイレットペーパーの方に数歩近づく。キツイっ!!あまりに間抜けた格好だけど、無茶苦茶きつい。息を止めてお腹に力入れてペーパーを引き出す。気を抜かず同じ格好で後ずさり数歩で再度便座にもどる。ほーっっ。無事完了。気がつくと顔は真っ赤に上気し額には汗。


トイレでそのようなドラマがあったことは、おくびにもださず、何気ない様子でベッドにもどる。
オリンピックは、丁度女子マラソンが始まるところだった。
隣の入院患者のバレリーが、フランス語で(彼女は英語はまったく解さない)「ほら、日本人選手よ」みたいなことを言っている。他のフランス人もそうだが、こっちがフランス語をまるっきり分からなくてもお構いなしにフランス語で話しかけてくる。孤独な日本人にそれなりに気を遣ってくれているようだ。いちおう、にこにこと頷きながら、しかし女子マラソンなんて誰がでてるか誰が強いかも知らないから、見てるふりしてたらいつの間にか寝てしまっていて、ふと目が覚めたら画面にはトップを走る日本人選手の姿が映っていた。『ミズキ ノグチ?』聞いたことのない名前だったが確かに日本選手だ。へー、トップなんだぁ。どうでもいいはずだったが、こうして日本人が中心のテレビ画面をみるのは悪い気分ではなかった。

そうして、このひたすら『待ち』の日曜は終日オリンピックで過ぎていった。

本日の教訓:禍福は糾える縄の如し