おふらんす 入院編 その3   2004/8/23〜24


アネシーホスピタル434号室からの眺め(2004/8/22)


《8/23(月)陽気なフィジカルドクター登場》

朝いちの事件。
ようやく朝食にまともなパン(もちろんフランスパン)が出たので嬉しくって、何の気なしに囓ったら予想以上に硬かった。ちょっと無理目に手でひっぱりながらかみ切ったら・・・

上前歯の差し歯がとれた!!!

慌てて咀嚼中のパンの中から差し歯を吐き出す。前歯のど真ん中。残った根本の自前の歯は、細い三角形に削られてて、これじゃ、いくら怪我人でもみっともなくて人前に出られたものではない。せっかく固形物を食べられるようになったのにあんまりだ〜っ!ただでさえ身体中いっぱい壊れてるんだから、これ以上故障箇所増やさないでくれ〜!!っと、やり切れぬ思いで外れた差し歯をじっと見つめて10秒。どうやらどこも欠けてないみたい。トレイで水受けて、薬を飲む水で差し歯を洗って、はめなおしてみた。思ったよりしっかりはまった。指でしっかり押さえ込んで、何度か噛んで感触を確かめる。食べるとき前歯の真ん中外せば大丈夫そう。
朝食の続きに戻る。硬いパンは手でちぎって小さくして、口の奥に放り込む。


午前の回診にいつもの整形のドクターがきて、固定具さえあてればいつでも帰れる、とあっさり言ってどこかへ言ってしまった。昨日の要求責めで懲りたのかもしれない。このあとどういう展開になるんだろ?保険屋からは病院に電話入ったのかな、『待ちの身』はじれったくってなかなか時間がすすまない。

今日のアネシーの天気は大荒れ。朝から雷ピカピカ、流れる雲は激しい雨を落としていく。オリンピックは自転車と水泳とボート競技。アテネの天候は悪くないらしい。今日は保険屋と帰国日程や方法を詰めるのが唯一の課題。なんとしても早く帰って、会社と上手く話をつけなくてはとそればかりが気にかかる。


ランチが終わったころ、突然『HELLO!』と陽気に挨拶しながら巨漢のドクターが入ってきた。マイケル・ムーアを一回り大きくしたようなその男は、エーっと、とちょっと考えるふりをしてこう言った。
「I am physical doctor」
声、でかいよ...
ふぃじかるどくたー? そういう言い方が正しいのかどうかよくわかんないけど、物療系の医者だということはなんとなく分かった。フランス人にしてはバカに陽気な男で、ふんふん鼻歌歌いながら、なにやらTの肩幅や胴の長さを測りはじめた。
「ドクター、なんかいいことでもあったの?すごく幸せそうだね」
と言ったら
「そりゃね、で、あんたは幸せじゃないの」
。。。この状況の怪我人にする質問じゃないよ、それ。

一通り計り終わると、
「あんたが日本に帰るには、腰椎を固定するものが必要だ。今持ってくるから少し待ってなさい」
そう言って、またふんふん歌いながら出て行った。♪



そして再登場したマイケル・ムーアは、とんでもなく奇妙な形をした装具を手にしてあらわれた。日本ではみたこともないようなゴツイ胴体用の装具、金属の枠組のラインは赤道鈴の助か鉄人28号みたい。いったいどう装着するのかさっぱりわからない。
「立って、腕あげて」
と言うので、マイケル・ムーアの正面に立つとやっぱり小声でふんふんしながら、楽しげに装具のあちこちを調節しながら付けてくれた。
「どう?これがあれば飛行機に乗って日本へ帰れるよ」
装着の効果のほどは疑問だったけどとりあえずこれがあれば帰してもらえると思って
「OK、問題ない」と笑顔で答えておく。



しかし、これがまずかった。
1時間くらいたって、一人でベッドから起きてトイレへ行こうと歩き出したころ、装具を押さえ込んでいる胸のあたりのパッドが、胸骨にあたって激痛!!息ができなくて咳き込んだら、激痛3倍!!このときはまだ胸骨帯が折れているなんて聞いていなかったから、いったいなにが起きたのか見当もつかず、ただただ痛さで固まっていた。あとから考えたら骨折して4日目の胸骨帯でコルセットの締め付けをしてるんだから痛くない訳がない。で、留め具を外して胸の調整ベルトを勝手にゆるゆるにしてみて、とりあえず装具は付けてる格好は保ってみる。それでも、今の衝撃で胸骨の損傷が進んだのか、どうつけてみても痛い。しょうがないから手でパッドが胸にあたんないようにして歩いてみたがこれだとホントはコルセット付けてる意味がない。
ま、いいや、脊椎の圧迫はたいしたことないし(と、経験者は勝手に判断する)。あと1日か2日ごまかせれば帰れるわけだし。(相変わらず反省のない奴。。。)




ちょっと胸骨へのダメージが大きく、この後おとなしく寝てたら、保険屋から電話がきた。ようやく話が決まったらしい。そんな訳で保険屋の説明概要。
「当方のドクターとアネシーホスピタルのドクターの判断で、帰国OKとなりましたので、最も早い手配ということで水曜昼便のエールフランスのファーストクラスをおとりしました。当方で手配した看護人が日本の医療機関に引き継ぐまで同行します。アネシーからパリ・シャルルドゴール空港までは、搬送車(救急車みたいなストレッチャーがそのまま乗る車)にお乗りいただきます。少しお時間がかかりますが、ジュネーブ−パリ路線にはファーストクラスがある飛行機がありませんので空路はお使いいただけません。付添人は、明日パリを発ち、夜10時頃に一度ご様子をみに伺います。」
T「アネシーから車?距離どのくらいなんですか?時間は?」
保「およそ600qほどで6〜7時間ですね。ほとんど高速ですし、日本のような渋滞はありませんからほぼ時間通り着きます。ですが余裕をみて朝の4時出発となりますので、その前にはお迎えにあがります。早朝で申し訳ないのですが」
・・・6時間!?朝の4時出発!フランス横断ドライブだね、こりゃ。。。
T「それと、やっぱり付き添いの人、いるんですね」
保「はい、そうでないと航空会社のほうでもお引き受けいただけませんし。費用的には、枠内で十分おさまりますのでその点は大丈夫です。Bさんと言うフランス人男性で、英語も日本語も日常会話に不自由ない程度に話す方です。とても優しい方ですよ」
えー−そういうことを言ってるんじゃないんだけどぉ。まあいいかぁ、お供がいても。。。
T「明日きていただけるなら荷物つくるの手伝って頂いてもいいですか?パラの機材のパッキング、一人じゃ難しいんで。」
保「承知しました。他にも必要なことがあればお申し付けいただいて構いませんので」
はいはい、そういうことならありがたく使わせていただきましょ。

という風にようやく帰国の手配ができたのだった。(安堵)



窓の外はところどころ青空がのぞいている。なぜかアネシーは午後の遅めの時間には晴れる。ちょうど1週間か、フライトできる状態でここに滞在できてたらどんなに良かっただろう。でも、あと1日。明日をやり過ごせば明後日の早朝にはここを出られる。




本日の教訓:One day more, another day another destiny
       ミュージカル『レ・ミゼラブル』より。特に意味無し。ふと思いついただけ。





《8/24(火)アネシーホスピタル最終日》

時間の長さというものは気分一つでどうにでもなるものである。今日が終われば帰れるとなれば、左手が腫れて痛くても、テレビの視聴契約時間が終わってしまっても、それなりのスピードで時間がちゃんと過ぎて行く。



今日は帰る準備しなくっちゃ。要らないモノ捨てて、荷物整理して、そうそう、1週間お風呂入ってないから、このままじゃやだな。Tは不衛生なことに耐性がないのだ。出入りするナースの中で、多少なりとも英語の通じる親切そうなお姉さんを狙って頼んでみた。
「明日、飛行機で日本へ帰るんで、髪を洗いたいんだけど」
ちょっと通じなかったのでゼスチャー付きでもう一回言ってみたら、分かってくれたらしく、大きなタライをロッカーから出してきた。

12年前、圧迫やったとき、日本の病院で同じことを要求したら、ごつい装置がでてきたのでテッキリそういう機械があるのかと思って楽しみにしてたらただのタライと巨大水差しが道具のすべてだった。
ベッドの上のほうへ頭をずらして、下にタライおいて水差しで頭にお湯を流してもらう。それだけのことがすっごく気持ちいいんだな。人間の幸福を支えているのは、ほんのささやかな日常の感覚なのだ。ま、Tにとっては、飛ぶこともその中に含まれるのだけれど(かなり贅沢?)


ちょっとすすぎ足んないよってとこで、洗髪が終わって、髪をタオルに広げて、心地よさに浸っていると、「調子はどう?」なんて言いながらマイケル・ムーアが入ってきた。


立ってこっちへ付いて来てというので、何の気なしにたったら、またまたパッドが胸骨にあたって激痛が!!
で、そのことがばればれなので「コルセット締めて動くとここがあたって痛い!」と訴えてみると、今日は鼻歌なしで留め具の調整やらつけ位置を微妙に変えてみたりとかいろいろやってくれて「これならどう?」って言うので、また少し動いてみたら、さらに輪をかけて痛くって、息が止まりそうで声もでなかった。絶対このときに骨折悪化させたよなぁ。さすがのマイケル・ムーアも困った様子。少しベッドで寝てろというので胸を押さえ込んで横になると、部屋を出て行ってしまった。おーい、このまま放っておくなぁ!!
しばらくして、いつもの整形の忙しそうなドクターを連れて戻ってくると二人でなにやら相談。

たぶんこんな会話(思いっきり想像)

マイケル「で、こうすごく痛がるんで締められないだよね」
整形D「ちょうど折れた胸骨にあたるんだろう。胸骨の骨折はたいしたことないようだけど」
マイケル「でもこれじゃコルセットできないぜ」
整形D「ふーむ、でも腰椎圧迫保護のほうが優先なんだ」
Tにむかって「立って」
で、たぶん普通につける位置よりかなり高めの位置でつけてみて、
マイケル「これでどうだろう?」
整形D「あまり腰椎に効果的とは言えないが、しかたないね」
Tにむかって「どう?痛くない?これで歩ける?」
T「大丈夫、歩ける。」(ホントは怪しいけど、そう言わないと帰れないもんね)
整形D、マイケルに向かって「まあ、これで帰すしかないだろう」

とりあえず、帰国スケジュールに変更がなかったのは幸いだったが、
これで日本までの長旅、もつのだろうか。。。




午後になると、隣のバレリーのだんなさんがやってきて、なにやらばたばた片付けをはじめた。もう退院するらしい。
彼女はちょっとTの苦手な系統の人なんだけどとても親切にしてもらった。
地元の人なのか、見舞い客は団体で次から次へときて大声で長居していった。夕方はだんなとラブラブな雰囲気作ってささやくような声でいちゃいちゃしてるし、電話も次々かかってきて、大声で我が身の災難をしゃべりまくっていた。おまけに彼女あての電話の半分以上がなぜか交換で誤ってTの頭のほうの電話に回されてきて、おかげで無理な姿勢で受話器をとって、手渡してやらなくてはならなかった。(転送機能がない電話なのだ)電話を誤って回された彼女の友人は決まって「今の誰?」と尋ね、バレリーは「隣の入院患者のジャポネよ。英語は多少話すけど、フランス語は挨拶くらいかしら」などと人の噂話をひとしきりするのだった。バレリーは英語がまったくわからないんだけど、おかまいなしにフランス語で話しかけてきて、チョコミントやキャンディをくれたりした。オリンピックのテレビに関心がないときは、女性雑誌を眺め、それをTにも貸してくれた。「フランス語、読めないからいい」といっても、「写真だけでもみて」と3−4冊の雑誌をこっちのベッドにおいていった。こういうタイプの人ってどこにでいるんだなぁ。『親切なおばちゃん』的好意に言葉は不要。外人相手にだって無敵だな。おかげで退屈せずに済んだ。


見舞客で思い出したが、Tにもたった一組だったが見舞い客がきた。
土曜日の午後、テレビがついたので嬉しくってチャンネルを回していたら見知らぬフランス人の一家が部屋に現れたのだ。40前後の夫婦らしき男女と10歳くらいの男の子。てっきりバレリーの見舞い客だと思って、隣のベッドを指差すと女性が英語でこういった。
「お加減はいかがですか?私たちはあなたの第一発見者です。覚えてないかもしれいけれど」
えーっ!!
そういえばなんだか、見知らぬ外人が英語で「大丈夫か?」って助けてくれたような微かな記憶が・・・
T「ごめんなさい、事故の前後の記憶が消えてしまって覚えてないんです。でもありがとう。ご迷惑をかけたのにこうしてきてくれて」
連れの男「彼女は医療関係者なんだ、だからすぐ応急処置をして救急車がくるまで君をみてたんだよ」
そうなんだ・・・
それにしても、それだけのことでわざわざお見舞いに来てくれるなんていい人達だなぁ。
彼等の訪れはすごく嬉しいものではあったけれど、見知らぬフランス人一家と英語もろくにしゃべれない怪我人の間にそうそう話すことがあるはずもなく、一家は10分もいなかった。次にアネシーに飛びに来るときには絶対お礼しに行くからねと言ってお別れした。



バレリーが退院していって、部屋が急にしんとなったような感じがした。テレビも、もう切れてしまった。他にすることもないので、看護婦の目を盗んで、ベッドからはい出て、ゆっくり無理のない範囲で荷物整理をした。パラ道具にも手を付けたいが、片手ではザックのファースナーも開けられないし、第一あの重さの荷物は向きもかえられないので、やっぱり看護人の人に頼むことにした。

荷物ができてしまうと、もうあとは待つしかなかった。
ゆでただけのマカロニとハム3枚(日本のスーパーで売ってそうなフツーのハム)という夕食は、あまりに味気なく途中で食べるのを放棄してしまった。明日は、ファーストクラスのゴージャスなモノが食べられるんだから、それもよしとしよう。夕食があっさり終わってしまったので、付き添い看護人がくるまで寝ることにした。明日は3時半には起きなくてならないから、どんなに早く寝ても早過ぎるということはない。

しかし、看護人がくるという時間にはいったん起きなくてはと思うとなかなか上手く寝られず結局9時過ぎまで断片的にうとうとするだけで、時間は過ぎてしまった。
看護人到着予定時間の10時まであと30分くらい。このまま起きて待つしかないな、とベッドの背もたれを少し起こして、意味なく保険の書類なんて読んでいると
「こんにちは〜」
とあきらかに外人のしゃべる日本語イントネーションの挨拶とともに、看護人B氏が登場したのだった。


中肉中背、やや筋肉質。茶いろのストレートな髪。ぽてっとした白い丸顔。レザーのジャケットにナイキのロゴの入った新しそうな黒のTシャツ。淡い色のチノパン。全身に職業的清潔感がにじみでている。オリンピックのスポーツトレーナーにいそうなタイプだ。年の頃は。。。(外人の年は判別しにくいが)30代後半〜40代前半、ほぼ同じ世代とみた。

予想どおりのみてくれだったので心のなかで『やっぱり』とつぶやいてみた。

Bさんはプロフェッショナルな笑顔で簡単な自己紹介をしたあと、明日のスケジュールの確認事項を話しはじめた。イントネーションはともかくかなり達者な日本語だった。なんというか、控えめにいっても“とても安心した”。母国語で話せることがこれほどありがたいことだとは。聞き取る努力も、うろ覚えの単語を思い出すことも、わかんない部分を想像力で懸命に埋める必要もない。そういう人が自分を連れて帰ってくれるんだと思うと、本当にホッした。こんな状況で日本語の達者な付き添い人がいたらどんな人だってすごく有り難いにちがいない。で、思わず話の途中で
「Bさん、いいお仕事ですねぇ、絶対 人に感謝されるお仕事ですよね」
と余計ことを言ってしまったのだが、彼はニコッとして
「そうですね。私もそう思います」
と答えると、またもとの説明の続きを始めるのだった。


「荷物を詰めるのを手伝いますね」
というので、ベッドからでて、パラザックの入っているロッカー前でザックの中身を広げ点検をしてもらった。たぶんエディあたりがパッキングしてくれたのだろう。必要なものは全部きちんと入っていた。コンテナからバリオとGPSを出して手荷物に入れ、刃物とフリース類をザックに詰めてもらった。これを忘れると空港で面倒なことになる。Bさんは、パラの道具をみるのは初めてらしく、それらがなんなのかを問うた。Tが説明すると、へーっと関心した顔付きで
「ながく飛んでるんですか?」と聞くので正直に
「15年くらいですかね」というと、またまた驚いた顔で
「そんなに。もうプロですね〜」というので、つい『いえ、ただのぶしゅです』と言いたくなるのを堪えて
「いや、たんに趣味がながく続いているだけです」と答えておいた。

パラザックもできあがり、Bさんは帰っていった。近くの宿に泊まるのだろうが、たぶん4時間も寝られないだろう。いい仕事ではあるけれど、時差もあるし時間的には大変な仕事だな。

なんだか帰る実感が沸いてきて、少し興奮気味なのが自覚された。すぐには寝られそうもない。あと何時間かしたらこの部屋を出て、日本に帰れるのだ。海外にきて帰るのが楽しみなんて思ったのは初めてのことだった。



本日の教訓:隠すより現わる