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管理人Tの機体の乗り替え記録


「機体には性別がある」という自説をどこかで書いたら、旧友のMヤンがいたく気に入ってくれたようなので、
自分のための防備録として(といっても購入時期がすでに判明しないので時期は適当)、
機体さん達とのおつきあい遍歴を思い出に浸ってまとめてみました。
機体買い換えで迷ったときに役に立つかな。。。

1990年 グライドセール(メーカー不明)

講習機の定番FDのコピー機として、アジアのどこかで作られたらしい機体。1機目なので何も分からず仲人口で勧められるままに心を決めた。

この頃はただ立ち上げてるだけでも嬉しかったので、箱根の強風下で練習してよく藪に突っ込んで一緒にころげ回って遊んだ。この子は、少々の傷は一切気にしないタフなやんちゃ坊主みたいな子だった。

今思えば、子供の無謀さで『冒険』もいっぱいやった。この子の鈍感さのおかげで助かったことも1度や2度ではない。5分ソアリングできただけで嬉しかった。10メートルトップアウトでもしようものなら降りてから大騒ぎで喜んだ。
もう顔も思い出せないけど、この子と過ごした日々のことを思うと、今はなんて遠くまできてしまったんだろうと、切ない想いにさせてくれる幼なじみの坊や的な機体。


1991年冬 フラッシュ(UP)
ご存じファルホークの名機アペックスのコピー機(という噂だった)機体。P証取った勢いで買った。機体にP証が付いていたわけではない(と思う)。今から考えると無謀な買い換えだった。自分の技量(ウデ)と機体の釣り合いなんてことを考えもしなかった。お金にも困っていたので、夏休みにスクールの手伝いして、機体の代金まけてもらった。

立ち上げができなくてよくテイクオフ失敗してた。特に無風時は苦労した。片翼つぶしながら出ることはしょっちゅうだった。いつも彼の機嫌を損ねないかひやひやしてた。でも彼のおかげで場違いな場所(大会)にも出入りさせてもらい、楽しいこともいっぱいあった。みっともないことの方が10倍もあったけど。。。

自分の身の程も知らずに、身分違いな男と所帯をもち、最後まで身分差の引け目を克服できず別れてしまった、ちょっと苦い思い出の男性(ヒト)でした。


1993年秋 チャレンジャーコンペ(プロデザイン)
運命の男(ヒト)、チャレンジャーコンペ。今もこうして飛んでいるのはこの男(ヒト)に会えたから。保険太りのおかげで、値引きゼロという噂の
(実際にはおまけがついてきたが)高級機を手に入れることができた。

彼は、気さくなのに紳士で、そのうえ鷹揚な人だった。ドヘタなTを拒絶することなく、立ち上げも旋回も優しく対応してくれた。ちゃんと頭上で止まってくれたし、つぶれる前には教えてくれた。ウエイトガツンと入れてサーマルであげていく禁断の楽しみを教えてくれたのも彼だった。パラってこんなに楽しいよ、もっともっと遠くまで飛んで行けるよって、手を引いて導いてくれた。そうしてTの第1期パラ黄金期が始まったのだ。

彼の生まれ故郷であるチロルアルプスを訪ねたのがTの初めての海外旅行。彼の親御さん(プロデザインの社長さん)に会った時は感激して、『よくぞこのような立派な方をお育てくださいました』と頭を下げてしまったほどだ。このツアーが楽しすぎて、やめるはずだったパラがやめられなくなった。

彼はまたパラの交友関係を一気に増やしてくれた社交上手でもあった。ジオ関係の場所に出入りするうち、チャレコン仲間のアクティブなフライヤーのお友達がたくさんできて、その人たちと遊ぶのがまた楽しくて懲りずに草大会に出没し、時には機体性能だけで賞品もらっちゃったり、あげくの果ては日選の選手(!)になってしまったりした。

今でも機体の買い換えをするたびに、彼の面影を探してしまう。この男(ヒト)に会えた時のような運命の出会いを求めてしまう。そんな男(ヒト)はもういないってわかっているのに。

永遠の男(ヒト)、チャレンジャーコンペ。今度生まれかわって、もう一度会えることがあったら、そのときはあなたにふさわしい飛びができるフライヤーとして出会いたい。


1995年冬 コンパクト(プロデザイン)
さて、永遠の男(ヒト)となぜお別れしてしまったのか。ひとつには、この頃地上の固定的男と固定的状況に入ろうとしていて、少し空との距離をおくことにしたので、月イチフライヤーに適した超安心な機体が欲しかったから。

もうひとつは、ヨーロッパでお見合いしたときに、彼の可愛らしくも美しい容姿とそれなりの性能に納得したからだ。(しかしそれはいわゆる海外リゾートで、実際以上に相手がよく見えるというよくある罠だった)

誤解のないように先に言っておくと、彼は非常に優れた資質の持ち主で、どこといって欠点のない人であった。世間がどんなに荒んでいても、どこ吹く風で平然としている、こちらがどんなに騒いで下手な操作してもおっとり構えて流してくれる。他の人から「今日、怖かったねぇ」と言われて「えっ?そうだったの?」と言わせるくらい、ぶしゅに荒波を見せないよう目隠ししてくれていた。いわば育ちの良い公家のぼんぼんみたいな人。

しかし『色男、金と力はなかりけり』の言葉どおり、悲しいかな彼には『金(ペネ)と力(スピード)』が乏しかった。遠征先で強風の日に、他の機体がLDに届くところを、一人ショートし、へたすりゃ山チンということが続き、「ごめなさい、あなたはとてもいい人だけど、私はお金に困らない暮らしがしたいの、それにやっぱりもう少し刺激が欲しい」と、1年ちょっとで金色夜叉的に、お別れを決意した。

自分の欲求を見誤ったばかりに、添い遂げられなかったおぼっちゃま的な彼でした。

1996年秋 プロフィール(プロデザイン)
機体の選択も10機目を迎えようとする今(2008年5月)、振り返って、この選択だけは間違っていたなぁ、と悔やまれるのがこの男(ヒト)。

といっても、彼自身のせいではない。彼自身は、極めて紳士的で上質な男だった。
間違っていたのは、自分の選択。おぼっちゃまとのお別れを決意したのも、実は「あの男の再来ともいえるくらい似た人がいるよ」っていう、悪魔のささやきに心揺らいでしまったから。
いつまでも忘れられない永遠の男(ヒト)・チャレコンの呪縛から、なぜかその気になってしまったのだ。とはいえ、そこにはひとつ大きな問題があった。

自分は、外見重視派ではない。どちらかと言えば見た目はどうでもいいほうで、あまりに派手派手しいのを避けたいくらい。大事なのは性能・相性。しかし、彼の見た目は、なんというか、あまりに間抜けだったのだ。(まったく個人的評価です、念のため)『RRO』とい文字が大きくデザインされていて、またそのロゴが遠めには『PO』にみえて、「POってなんだよ!ポ っつて!!」という感じだったのだ。いくら非外見重視派でも、許せないと思える一線はある。でも、でも、チャレコンとのあの日々をもう一度の・・・思いには勝てず、カラーオーダーで、そのPOを抜いてもらい、まったくの単色キャノピーにしてもらった。むろん、代理店はあんまりいい顔しなかったけど。。。

そうまでして、一緒になったのに、数ヶ月経って思った。
確かに似ている、でもやっぱり、彼じゃないっ!!なぜこんなにもトキメキがないの?!
つのる不満。下降するフライトへのモチベーション。

ホントはチャレコンより、安心で安全で扱いやすくて、性能上がっているはずなのに。
結局、1年も経たずにお別れを決めた。
ごめんさい、あなたが悪いんじゃない。昔の男(ヒト)の面影を追い求めた私が馬鹿でした。

1997年秋 イクシオン(NOVA)
我ながら、前の選択があまりに愚かだったので、次は同じ過ちをしないように、違う出身地(メーカー)の男(ヒト)とか、世評とか、カタログ上のスペックとか、とにかく選択眼を変えてみた。(この頃から、試乗機荒らしと呼ばれるようになったのかも。)いろいろ乗って、自分に扱えそうな範囲で、その頃評判がピカイチだったイクちゃんを選んだ。

イクチャンは、なかなかのイケメンで、イマドキ風に高性能だった。(今思うと2-3の機体なんてよく選んだものだ)当たり前だけど、自分のレベルよりちょっと上の機体に乗ると、その性能の良さや乗りこなせていく新鮮感が持続して楽しい。良かった、これでようやくあの男(ヒト)のことは忘れられる。


忘れさせてくれたのは良いが、やっぱ2−3。どこかいつもビビリながら飛んでいた。飛び自体がどうもパッとしない。アドレナリンがでる感じがしない。それでも彼には不満がなかったので、惰性でつきあい続け、私にしては珍しく3年近くの長期間交際となった。最後は、自然消滅的にお別れ。
なんの不満もないけれど、私のフライヤーとしての低迷期にぶつかってしまったため、どことなく消化不良に終わってしまったのでした。

  

2001年9月
ミストラル2(スイング)
もう、次にどんな男とつきあえば自分のワガママで矛盾した欲求を満たしてくれるのかわからず、とにかく試乗しまくった。乗れば乗る程自分が相手に何を求めているのかわからなくなり、混乱する一方だった。どこかに、どこかに必ずいるはず。今の私にぴったりの人が!このままテンション下がり続けたら、フライヤーとしての自分にけりをつけるしかない。誰か、この状況から救って!!


そして困り切った私は、初めてホームエリアである朝霧のショップで相談した。(いままで過去のいろんないきさつから、ホームエリアで機体を買ったことはなかったのだ)当時の校長とは、それなりに良い関係だったので、ぶっちゃけ正直な気持ちを打ち明けてみた。すると校長は、「機体のクラス、落としたら?最近の1−2機は性能出てるよ、最近乗ったんだけどこれなんていいと思うよ」と、私の視野に入っていない人の名を告げた。「昔からあるメーカーだけど、回りで乗ってる人もいないし、あんまり評判も聞かないので、考えたこともなかった」というと、校長は「いいよぉ〜素直で良く飛ぶし、ま、1回乗ってみなよ」とかなり強力に勧めるので、仲人口には半信半疑ながら試乗した。

すると、違和感が全然ない。どこと行って強力に惹かれるところもないけど、嫌なところがまったくない。どうせ今のところぶっ飛び専科なんだから、1−2機のこの程度で十分、と消極的選択でミスちゃんの手をとった。そう、良い茶飲み話相手程度でいいや・・・と。


それから、数ヶ月して奇跡が始まった。
なぜか、私が出るときに限って、良いサーマル出たり、良いリフトにあたるのだ。最近ラッキーなこと多いな〜なんて気を良くしていたので、飛びがだんだん楽しくなってきた。前山を抜ける時間が人より早いし、白糸の南尾根渡り一番のことも。そして飛べば必ずハイウエイ。あれだけ遠かった毛無にもさくっと行けた。特に変わったことをしたとか、なにかトレーニングしたとこいうことがないので、私は最初それが偶然の連続だと信じて疑わなかった。長く続けているからご褒美に神様が絶好のシーズンを贈ってくれたに違いない、と。でも、さすがにそれがあまりに確実に毎回起こるので、「もしかしてこれは偶然じゃないんじゃないかな、でも実力でもないし、機体の性能はそんなに変わってないし、じゃいったいなんなんだろう??」

そんなある日、敬愛する朝霧のエースS氏に「TAMちゃん、最近うまくなったねぇ〜思い切りいい回しっぷりだし、ワンサーマルあれば十分だね」とお褒めの言葉を頂戴した。うまくなった?うまくなったのかな、私?だとしたらそれをもたらしてくれたのは、やっぱり彼だ。
彼は、茶飲み友だちなんかではなかった。フツーの外見、フツーの性能、地味でおとなしめの紳士。でも実は奇跡をもたらすマジシャンだったのだ。その魔法の源泉はたぶん「安心感」。

ホントにうまくなったのかどうかはわからないけど、嬉しかった。このうれしさはきっとぶっ飛び10年の人にしか分からないに違いない。“someday” never comes.という言葉があるけれど、私にはその“いつか”がやってきたのだ!!

彼はそれが自分のお陰なんて主張は一切しなかったけど、私にはわかっている。すべては彼の、そして彼を紹介してくれたN校長のお陰なのだ。



2003年9月
アルタックス(NOVA)
そんなわけで、高性能1−2機という、かなり自分のスタイルに適した男と出会ったことと、K塾なんていうあまりぶしゅっぽくない場に身をおいたことで、初めてフライトの技術なんてことを考えるようになった。それは、結婚するまでは、どんな男と一緒になるかということ考えていた女が、結婚後はこの男とどんな人生をどのように歩むのかを考えるようになるのと似ている。

アルタックス君は、ムチャクチャ浮きの良いがっちり系の頼りになる男で、そのころ出てた1−2機のなかで値段も性能も(たぶん)一番の男だった。ちょうどF1リーグでお友達ができ始めて、F2クラスで台に手が届きそうな感じになってきていたので、モチベーションも上がりっぱなしで、彼との蜜月は非常に濃いものとなった。

けれど好事魔多しという言葉もあるように、遠い彼の地でのアクシデントのせいで、私は元のようには彼と過ごせなくなっていた。そのアクシデントは、まったく彼のせいではなかったし、彼は無傷で、変わらない安心感をもって接してくれていたが、私の方は自分の意志ではどうにもならない軽度のパニック症候群が続き、飛んでもつらいことのほうが多かった。ここでパラを止めてしまうえたらどんなに楽だろう、と思うのにフライヤーじゃない自分なんて想像もできず、飛び続ける以外に治る道も見つけられず、ただただ飛び続けた。アルタックス君との蜜月はけして元には戻らないと知ってはいたけど。

あのアクシデントがなかったら、アルタックス君とは、ホントはもっと深いところまでいけたのだと、今では思う。あの事故は100%私の判断ミスが原因で、彼への信頼感が揺らいだことは微塵もない。だから、私は今もこうして飛んでいられる。

短すぎる蜜月だったけど、ほんとに私好みのいい男だったなぁ。。。。

 

2005年10月
マンブー(NOVA)
−雑記帳 2005/12/25より再掲−
以前、機体を乗り替えるのは男を変えるのに似ているという感想を書いたことがあったけれど、なんと今度の相棒マンブーちゃんは女なんだな。(NOVAファンの皆さん、これはあくまでTの100%主観的印象なので気を悪くしたりしないでくださいm(_ _)m )
いままで乗ってきた機体に性別をつけると、全部男だったのだけれど、機体を受け取り1本目を飛んだ時、直感的にこれは絶対女に違いないっ!!と確信したのだ。
(中略)話がそれたが、じゃ何考えて回してるのかというと、上手く言えないけれどキャノピーが行きたい方に動かしてやるし、キャノピーがしたいように、常に彼(または彼女)の要望に忠実に応じているだけなのだ。たぶん機体というのは本質的にあがりたいのだ。(とTは勝手に思っている)だから、機体がどうしたいのかをよ〜く耳を澄ませてその通りにしてやるのが良いのだと(やはり勝手に)思っている。新人妖怪コメコメはよくそのことを『機体と会話する』と言っているが、Tの場合は、こちらからもお話する会話ではなくてあくまでご要望をお伺いするという感じなのかな。早くこちらからも機体さんに『できればこうしたいんですが〜』と言えるようになれたらいいんだけど。。。

で、今回あらたな相棒の声に耳を澄ませると、どうも勝手が違う。
元彼アルタックス君の後継機なので、同系な性格なのだと思っていたら『もう、ちっともわかってないのね。それじゃ全然だめ!あたしはもっと繊細なのよ、そんな操作じゃ飛んであげないわっ』と、すねてご機嫌斜めなのだ。なんというか、潜在能力は高いが上手く使わないと仕事しない有能なキャリアウーマンみたいな感じなんだな。

ふ〜む、これは困った。Tの適当でラフな飛び方だとだめなんですね、じゃちょっと接し方変えてみますから少し時間ください、てな感じで、現在新たな関係を構築中。


ということで、彼女とは、良好な関係を築くのに1年以上かかってしまったが、お陰で少しは機体の操作がましになったんじゃないかと思う。男と違ってのぼせ上がった蜜月がないせいで、クールで分析的なオツキアイができたんでしょう。

彼女は浮きもスピード1−2機のなかではピカイチで、お陰で2006年のF1朝霧では、なんと総合2位で、しかも優勝者と同タイムという奇跡のような順位をいただいた。もっとも事故後のメンタル面の不調その他諸々の理由もあって、2007年〜2008年はあまり高揚感のあるフライト体験には遭遇できなかった。

もりあがりがないのは、やっぱり女友だちだったせいなのかしら。。。

 
10
2008年9月
ラッシュ2(OZON)
たぶん男です。あんまり性別意識させるタイプじゃないけど。一緒にいて楽です。いい奴です。まだまだこれからの関係です。(2008年12月現在)




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