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 7月3日(日)帰国の日  フルプメス、インスブルック空港でのお買物 〜 チロリアンエアーで大騒ぎ 〜 成田へ
 



フルプメスにお別れの朝がきた。教会の鐘にはなれてしまったのか、夢うつつに聞こえるだけでなかなか目が覚めない。夜更かしと、もう飛ばなくていいという安堵感ですっかり脱力状態でベッドでごろごろを続けている。あ、でも最後にあの朝ごはんをちゃんと食べとかなくちゃ、あんまり遅く行くとハムがなくなっちゃう、と、食い意地で起きあがる。

窓を開けると今日もいい天気で、こんな日に飛ばないで帰るだけなんてもったいない。いっそ雨だったらよかったのに等と勝手な事を考える。ダイニングに降りていくと、菊池さんがビデオをまわしている。「この朝食も最後だから撮っとこうと思って」と、バイキング台のパンやハムを熱心に撮っている。毎日このメニュだったので、さすがに最初の感動はもうないが、これでもこの朝食が最後かと思うと味わい深い。あの程よい硬さで香ばしい焼き立てパンともこれでお別れだ。毎朝2つ食べてたけど今日は3つ食べちゃおう。ゆっくりと朝食をとり、コーヒーを4杯もおかわりして、おなかがダボダボになったところで、朝の散歩にでた。

今日は日曜日なので、開いているお店はほとんどない。滞在中何度も遊びにいったホテルの隣のプッヒャーのパラショップも閉まったままだ。最後にお礼を言いたかったのに。(私は出来たばかりのブルーエンジェルのステッカーをもらったのだ〉観光客相手の土産物屋だけがひっそり(もちろん客引きの呼び声等ない)営業している。買いそをびれたお土産をいろいろと買い回り、店のおやじとこのあたりは良いところだ、とか景気はどうだとか世間話をする。我々がパラグライダーをしに来たというと、彼は「気をつけたほうがいい、昨日もコッセンで事故があったらしいし」と言う。どうやらスクール中に、講習生同土が空中衝突し、絡んだまま300mくらいから墜落したらしい。ドイツでみたストールといい、事故が多いのは日本だけではなさそうだ。10人全員そろって無事に帰れて本当になによりだ。


ホテルにもどり、部屋をかたづけ荷作りをする。クロゼットの中は、いつの間にかいろいろな物が増えていて、カバンにつめ込むのに苦労する。私はTシャツ類は捨てしまっていたので(最初からそのつもりでぼろいのしかもってきていないのだ)、かなり減っているはずなのにそれでも、行きの荷物より多い。石松さんと私はこの部屋がすごく気にいっていたので、鈴木さんにわざわざ来てもらい、部屋の写真を撮ってもらった。もちろんお姫様のバスルームでも「ハイ、ポーズ!」カシャ!「お花いっぱいのベランダからの写真も欲しい」と、ずうずうしくも鈴木さんに外までいってもらい、ふたりで手を振っているところも撮ってもらった。
ホテル・ドナホフのベランダで。後ろにかすむのノイシュティフトのテイクオフ もっと余裕のある大人フライヤーになったら優雅なホテルライフも楽しみたいですね。

荷物をまとめ部屋を出る。テーブルにほんの少しチップをおいて、お礼のメッセージを残してきた、毎日きれいにお掃除してくれて、シーツもパリパリでとても気持ちよく過ごせたからだ。下に降りてテラスでお茶をしながら清算をした。部屋の冷蔵庫のジュース・国際電話料金・高速代・チャイニーズレストランの代金(そういえぱ払っていなかった)などなど・・・でも思っていたよりずっと安かった。ホテルヘの清算をおえて、フロントのお姉さん達にお別れを言う。私と石松さんは、どうしてもドイツ語でお礼がいいたくて、旅行会話集でやっと覚えた一言を声を揃えていったみた。「いあほてるばるぜ一るあんげね一むだんけしえん」(発音不明のためほとんど棒読み)このホテルはとてもよかったです、ありがとう。たぶん通じたんだろう。お姉さん達は喜んで「べり一ぐっど」と笑って、そして日本語で「どういたしまして」と返してくれた。もし、もう一度チロルにくることがあったら必ずドナーホフ(これがホテルの名前だ)に泊まろうと思った。


空港にいく前にプロデザイン社へ寄る。みんないろいろ欲しいものがあったが、帰る時まとめてという事にしてあったのだ。私は、目分用に初日から目をつけていたグレーのトレーナーを買った。プロデザイン社のオリジナルでフリースの襟がついてる。まだ日本で出回っていないという。6000円くらいで、これがこの旅の中で買った一番高いものとなうた、そのことは、家族や友達には内緒だ。

空港へはホフバー氏も同行してくれた。私は、氏の車に乗せてもらうことになった。英語で難しい事を言われたらどうしようかと心配したが、そのあたりは彼も心得たもので、フライトに関する簡単なことに話を絞ってくれた。空港が近づき、私は前々から彼に言おう言おうと思っていた事を言うことにした。なんだか片思いの告白みたいだ。「ミスターホフバー、聞いてください。私は2年前まで、臆病なフライヤーでした。飛んでいるときいつも不安を感じていました。当時乗っていた機体を信用しきれなかったからです。でも、チャレコンに出会ってから、飛ぶのが本当に楽しくなりました。フライトタイムも延びたし思いきって飛べるようになりました。チャレコンはとてもいい機体です。私は、ずっとこの機体を作ってくれた人に感謝していました。本当にありがとう」(日本語ではとても言えない台詞だ!)ホフバー氏は、途中何度もつまずく話をうなずきながら聞いてくれて、にっこり笑ってくれた。(あー、通じてよかった!)「でもコンパクトも気にいったんでしょう?」「もちろん、帰ったら絶対買います」こうして私は二人の社長にコンパクト購人宣言をしてしまったのだ。


空港に着き、荷物を預ける段になり、ちょっと荷物の重量が過ぎることが心配になってきた。規定の20キロは機体単体でいってしまう。旅道具を合わせると一人当たり平均35キロはあるんじゃないかと思われた。「これで重量オーバーとられなきゃめっけもんだよ」と誰かが言った。計測にはいり、おそるおそる、でもなにげない風を装って荷物を引き渡す。カウンターの係りの人は少し不審そうな顔をしたが、みんなでしらん顔をしていたらそのまま通してくれた。一同ほっと胸をなでおろし時間まで、空港2階のカフェでお茶にする。ノートケッテがきれいに見えるので、ベランダの屋外テーブルに座り、パフェを頼む。フライトの緊張から開放されて、後はただ帰るのを待つばかり。なんとも言えないくらい気持ちがいい。風は爽やかで、空港の景色の向こうにあのノートケッテのテイクオフがかすかに見える。満足感と幸福感でいっぱいになりながら泣きそうになってしまう。こっちにしばらく残ることにしていた中台さんとホフパー氏が、いまから仕事だとかで「もう行かなきゃならないんで」と言う。みんなでお別れをいう。ホフパーさん、これからもいい機体をつくってください。そして中台さん、本当にありがとうございました、あとは、ご自分のフライトを楽しんでください。でも来年もぜひ連れていってくださいね。

引率の二人とわかれて、一抹の不安を抱きながらインスプルックを後にした。飛行機は行きと同じくチロリアンエアーで、機内食もほとんど同じだった。インスブルック空港をテイクオフし、ノートケッテの上空を過ぎ下をみると今日も、パラが数機飛んでいるのがみえる。「ねえ、飛ん出るよ。ほらそこ」「どこどこ?」といっている間に飛行機はアッヘンゼの上空にきたらしい。「ここ、アッヘンゼじゃない?」「あ、そうだよ、この湖」「今日も飛んでるかな」と窓にはりつくと、いたっ!我々が飛びに行った時よりはるかに多くの機体が。しかも上がっている。「すごい数飛んでるよ」「みんな上げてるよ、いいな一」と大騒ぎ。機内はまだシートベルト着用モードなのに、席をたって窓を覗く。スチュワーデスもあきれ顔で見ているだけだ。「あそこで飛んだんだね」「うん、あんなすごいとこで飛んだんだ」と感動する。みんなあの中で飛んでいる目分を思っていたんだろう。だんだん静かになってアッヘンゼが見えなくなるまで、熱心に見つづけていた。



フランクフルトに者くと、日本人がいっぱいいてなんだかいきなり下界に帰ってきたな、といった感じがした。ほとんど日本人を見かけなかったし、フルプメス村にいたっては皆無だったのだ。搭乗手続きは岸さんがしてくれた。空港のロビーでボーディングチケットを配り始めのだが、2枚足りない。「辻さんと田村さんの分は、なんかオーバーブッキングらしくてまだもらえない」と岸さんがいう。そんなことってあるの?(よくあるらしい)と海外旅行初心者の私は不安になる。「このままフランクフルトに取り残されたらどうしよう?」でも、もちろんそんなことにはならなかった。

搭乗30分前になって、再度ルフトハンザのカウンターへ行くと「手違いでエコノミーの皆様のお近くで席が取れないので、ビジネスクラスになりますが?」と聞かれた。辻さんと、思わずラッキー!と顔を見合わせる。みんなは「いいな一」「席取り替えてよ」「1万円で買わせて」と羨ましそう。搭乗も一足お先で、いい気分。そんな訳で帰りの飛行機は楽だった。回りが知らない人ばかりだったし、席は余裕でリクライニング。アイマスクをして、空気枕をあてて、毛布を被ると熟睡体制はバッチリだ。一人静かにこの一週間を思い出しながら眠りにつくと。楽しかったこと、怖かったこと、出会った人達、あの山、あの空。いっぱい思い出したいのに、睡魔が臨く間にやってくる。願わくばこのまま成田まで、夢の続きが見られますように。


本日の出費:清算分(中国料理店夕食代、高速代、冷蔵蔵代等々)】12000円位、フルプメスの土産物屋でポストカード4枚280円、トレッキング用の杖3000円、ブロデザイン・トレーナー6000円、空港でパフェ500円、お土産チョコレート2400円、フランフルト空港でお土産(フランクフルトの瓶詰)1200円、洋酒ミニボトル700円、計26080円    (この後の成田で使った分もあるが忘れてしまった。)





 
〜10年後のあとがき〜



このツアー記を書いて10年近くになる。私は当時(今でも基本的にはそうだが)定型的ビジネス文書以外、およそ文章と名がつくものを書いたことがなく、日記さえつけたことはない。今回この10年前の気恥ずかしい文章をHPに載せるため、紙でしか残っていなかったものをスキャナーで取り込んだのだが、判読性能に問題があったのか誤読だらけでまっとうな文字への置き換えにかなりの日数を要した。

その作業の間、初めての海外に喜び浮かれた拙い文章を修正したい衝動に幾度となく駆られた。しかし、いったん手をつけ始めると、原型をとどめないくらい修正してしまうであろうことは目にみえていたし、旅慣れた今の感覚に合わせて適当に脚色してしまうのもいやだったので、明らかな誤字脱字・文法ミス以外はあえてそのままとした。なので、このツアー記には付け加えるべきことは何もないはずなのだが、やはり最後にどうしても触れずにはいられないことを少し書く。

辻直樹さんのことだ。

辻さんとはこのツアーで初めて出会い、そしてもう2度と会うことが叶わなくなった。

古いフライヤーなら覚えているかもしれない。イントラだった辻さんは、このツアーのあった秋、鳥取砂丘で講習中、海チンしたスクール生の女の子を助けに海に入り、そして亡くなってしまったのだ。27才。成田で初めて出会ったあの日から、わずか4ヶ月後のことだ。

私はその事故を夕方のテレビニュースで知った。まさか、あの辻さん!?違う人だと思いたい。胸がドキドキした。しかし、その後ジオのショップでやはり亡くなったのは、あの辻さんだったことをはっきりと知らされる。

鳥取のフライヤーである辻さんとは、たぶんこんな事故がなかったとしても、もう会う機会はなかっただろう。楽しい思い出を共有した旅の同行者として記憶の中に沈み、そしてやがてはアルバムの写真だけの人になったはずだ。いや、あるいは二人ともその後ずっと精力的に飛び続け、顔も忘れかけた頃にどこかの大会やイベントで偶然出くわし「あ・・・、もしかして?」「・・・だよね!?なんか見覚えある顔だと思ってたんだぁ」「まだ飛んでたんだね」なんて会話を交わしていたかもしれない。でも、そんな楽しい偶然ももはや期待できないくらい遠くの人になってしまった。

子供時代を大阪で過ごした私は、辻さんの関西っぽいノリと波長があった。イントラなのにあんまりバリバリしたところがなくて、フツーっぽい飛び方なのも、ツアーメンバーとしては気安くて好感がもてた。こんなイントラの兄ちゃんが自分のエリアにいたら楽しいだろうなと思った。チロルのコテコテの肉料理やチーズスイトンに辟易し「お好み焼き食べたいわぁ」とぼやいていたその声を私は今でも覚えている。

不思議なモノである。わずか1週間の交流でしかなかった辻さんは、私の一番きらめく思い出の中にいて、これからもきっと消えることはない。

いまでも、どこか遠くのエリアで辻さんがまだ飛んでるんじゃないかと思うことがある。その場所が、彼にとってチロルの日々のように楽しいものであることを祈る。お好み焼き屋さんがあるともっといいと思う。  (2003.5.15)





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