8月17日(土)
〜なんと5人中4人の機体がロストバゲッジ!モンシェリー(Mont Chery)でPWC最終日観戦、半谷さんと遭遇、シャチョーいきなりエディと山越えフライト、借り物機材でモリジン(Morizin)エリアぶっ飛びフライト〜



早朝のパリ空港でちょっともたもたしたものの、ほぼ順調にジュネーブまでたどり着いた。5人の参加者はみんな海外フライト経験者でそれなりの年齢の人ばかりなので馬鹿騒ぎすることもなくきわめて静かで平和な旅の始まりだった。ところが、ジュネーブの空港で状況が一変。なんと4人の機体がロストしてしまったのだ!出てきたのはシャチョーの機体だけ。(この時からして旅の幸運は彼に着いて回ることになる)『ちょっとちょっと、人がどれほど苦労して飛びに来てると思ってんのよ!こんな田舎でパラ以外になにしろて言うのよ!』と少なからず冷静さを失うが、とにかく文句をいってもないものはない。言われるままに手続きをするしかなく、現地連絡先などを書いて渡す。初対面の(といっても私のほうは足尾有名人エディの顔は知っていたが)エディが迎えにきてくれていたがろくに挨拶もできず、不安と苛立ちを抱えたままモリジンへ向かう。

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モリジンは、たぶん日本ではフライヤー以外にはほとんど知られていないが、志賀高原くらいの規模はあるスキーリゾート地だ。ホテル50-60件あるし、土産物屋やスポーツ用品店がごろごろある。パラのタンデム屋だって3〜4件はある。街の至るところにフライヤーがいるし1日中どこかで飛んでいるパラが見られる。テイクオフもランディングも複数あってしかも車で行けるからリフト代もかからない。パラ天国のような街なのだ。

とりあえず宿泊先のHotel“L”AUBERGADEに荷物をいれて、空港からの連絡待ちを託し、モリジンの隣のエリア・モンシェリーにPWCを観に行く。天気はよく、白いサーマル雲が青空にくっきりで、コンディションは良さそうだ。出発前、100年に一度といわれたヨーロッパの悪天候と洪水のニュースが毎日報道されていたため正直なところ晴れは期待していなかった。エディの話しでは昼過ぎくらいに競技スタートだという。ちょうど良い時間だ。ロストバゲッジのショックはあるものの好天候に少し気を取り直す。機体は出てこなければ借りればいいが、悪天候には対処のしようがない。気持ちのいい風が吹く中を、モンシェリーのリフトに揺られ、緑の山と抜けるような青い空とに囲まれると昨日までの仕事漬けの日々が嘘のようだ。開放感というよりもいきなり別世界にワープしてきたみたいな気分だ。今日、飛べなくてもこの光景だけでよしとしよう。これからPWCの一斉テイクオフも見られるし。このコンディションなら結構良いタスクが期待できそうだ。放牧牛のカランコロンという鐘の音でヨーロッパに来たことをじんわり実感する。
リフトから降りるとすぐ左手にスタート間近という雰囲気で選手が準備に入っている。宮田さんがいた。エディがロストバゲッジの事情を話すと宮田さんは申し訳なさそうに「あーそうなんだー、すみません、みなさん」と謝ってくれた。『競技中にそんなことに気を使わせちゃって申し訳ないなあ、第一、宮田さんにはなんの責任もないわけだし、きっとこの人すっごくいい人なんだな、今日頑張ってね』心のなかで祈った。機体はどんどん広げられて、すでにテイクオフはいっぱい。ブーメランばっかりだなーとみていたら川地さんがいた。「ようこそ」と笑顔で歓迎してくれて嬉しかったが、こんなせわしないときに観光気分の我々が邪魔しちゃ悪いような気もした。田村は自分が真面目フライヤーじゃないからここにいるようなコンペティターはミーハー的に好きで敬意をもっているんだけれども、どちらかといえば遠くから憧れ的にみているスタンスなのだ。


エディが『あそこに扇沢さんがいるよ』と教えてくれたほうをみていたら半谷さんもいた。どうしてだかしらないが半谷さんは私の顔に見覚えがあったらしい。(昔、何度かどこかのエリアでちょこちょこアドバイスしてくれたぐらいなのに)「やあ、来てたんですか、どうしたんですか、その頭」と田村の見事に金髪に染められた頭をみて驚いた表情。「ちょっと飛びに気合いれたくてー、でも機体がロストしちゃって飛べないんですよ」「あー、最近多いんですよね、うちも結構やられてますよ。」などと和やかにお話しが弾んだ。半谷さんはタスクの説明もしてくれた。なんかサービスいいなあ、Aチームの人たちも頑張って欲しいよね、と単純な田村は思った。

ダミーが何機か出て、選手が一斉にスタートしていく。自分の前に機体が引いてあってもお構いなしにわずかなスペースでどんどん出て行く。裏側の斜面から、微フォローをものともせず出て行く機体もある。壮観な眺めだった。テイクオフ周辺の空間だけがものすごい密度の機体で埋まった。すぐ右手のサーマルを何機かが引っ掛けた。餌に群がる魚のようないきおいで次々とそこへ突っ込んでいく。あっという間に蚊柱ができて、ぶつからないのが不思議なくらいの間隔でセンタリングを続けている。一人一人の選手が聞いているであろう風切り音が轟音となって聞こえてくるような気がした。そして1機が後ろの谷渡りに突っ込んでいくと、ものすごい速さでの集団移動が始まった。そんなにむちゃくちゃ上がってるわけでもない(ようにみえる)し、後ろの谷だって結構深いし、その先のピークまでどのくらいか分からないけど相当遠い。ほとんどの機体がこのサーマルで後ろに抜けた。スタートから15分か20分しかかかっていない。テイクオフ周辺は一気に静かになって、あとはフリーフライトらしき機体が静かに浮いていた。

さっきのサーマルが一瞬だったのかそれとも実はつかむのがそんなに容易でないものだったのか、その後はほとんどの機体がなかなか抜けなかった。空っぽになったテイクオフにいつまでいても仕方がないと、機体のない4人は山を降りてホテルに帰ることにした。
シャチョーはエディのサポートでPWC選手の後追いフライトだ。調子良く飛べたらしく、その後無線でエディがあれこれ指示をしている声がかなり長時間にわたって聞こえた。モリジン界隈を一周してホテル裏のメインランまで数時間楽しんだようだ。



失意の機体ロスト組は、PWCオーガナイザーのおっちゃんにホテルまで運転して連れて帰ってもらったHotel“L”AUBERGADEの裏庭はモリジンのランディングで今日のゴールになっているし、表彰式をやる建物はホテルの隣だ。このホテルは、1階のカフェも裏庭もフライヤーだらけで、カフェにもパラザック持込み放題、主人はもちろんフライヤー。きっと パラフライヤー御用達 という看板がかかっているに違いない。選手が帰ってくるのは、たぶん数時間後になるというので、4人はそれぞれに時間をつぶす。部屋で不貞寝する人、荷物整理に勤しむ人。私は一人気ままにモリジンタウンの散策に出かけようとし、ふと現金をまったくユーロに両替していないことに気づく。ホテルの主人で、実はエディのパラの師匠でもあるステファンに、どこかチェンジできる?って聞いたら、土曜のこの時間はもうだめなので要るだけ貸してくれるという。親切な男だ。20 ユーロほど借りて街のスーパーに向かう。

1時間ほど散歩してスーパーで水やらヨーグルトデザートやらを買い込んで大会のランディング見物をきめこむ。まだ選手は誰も帰ってきていない。Aチーム同行の人達ととりとめのない話をしていると、白髪交じりのストレートヘアで気さくな感じの日本人女性が現れた。どうみてもフライヤーではなさそうだし、日本人観光客っぽくない雰囲気だったので「あ、もしかしてゆうこさん?」って尋ねるとやっぱりそうだった。あんこ屋さんの木下さんから、木下製餡特製・東京もなかを渡してくれと頼まれた人だ。フランス人フライヤーと結婚し今はアネシーに住み趣味半分で日本人フライヤー相手に民宿のようなことをしているのだという。ゆう子さんには子供がふたりいて、リサとシルボンというかわいい姉弟だった。リサは5―6才くらいだが見事に日仏2ヶ国語を使い分け、それも非常に美しく達者な日本語を話す。実は東京もなかは彼女の大好物で、田村が「リサのために餡子もってきた、今部屋に行ってとってくるからここで待ってて」というと本当にうれしそうな顔でホテルの部屋まで着いてきて、荷物をあける間もなく箱を取り上げ「わーい、リサこれ大好きなの、ありがとう」ってほっぺにキスしてくれた。もなかの箱を大事そうに抱えたリサと仲良くランディングにもどるとすっかりお友達気分。おかげで選手を待つ間の時間が楽しく過ぎていった。


一人二人とゴールを決める選手がでてきた。目の前のラシャショーで最後のタスクへの上げ直しに四苦八苦している機体も見える。最後のタスクは風下側の山・ニヨン。距離はそんなにないので、選手がラストタスクを取って方向転換し、一気にランディングに突っ込む様がよく見える。その突っ込み方がまた半端じゃなく低くて速い。もう絶対届かないってところからアクセル全開で、それでも大半の選手はバシッとランディングを決めてくる。もちろん届かない機体もいる。その中で信じられないような突込みをみた。ランディングのニヨン側には、グラススキー用の低いTバーリフトのようなものがあって最後にそのワイヤーを超えてくることになる。普通のリフトと違って低いから別に気にならない高さだ。が、1機がそのケーブルより低い高度で突入してきたのだ。「あれ絶対超えられない、無理だよ」とみんなで注視。機体は臆することなくケーブル直前までアクセル全開。キャノピーはぎりぎり超えてもパイロットの身体はワイヤーの下。だめーー、ぶつかるーー、と思ったら突然機体がフッと上昇し(たぶん全開のアクセルを一気に戻したんだろう)パイロットはケーブルを足で蹴飛ばしながら、リフトを越えた!おーっ、棒高跳びの尻摺り状態だ!凄すぎるっ!。その機体はゴールラインは超えなかったが、ランディングを盛り上げた。「あそこまでする?」「あの見切り方がすごいねーー」と興奮。やってる人たちは真剣なんだろうけどPWCはランディングも楽しいです。
               



夕方になってきた。川地さんと宮田さんはほぼ同じような時間に降りてきた。どうやら80キロ以上のタスクを回りきってきたようだ。4時間以上飛んでいたことになる。本当にお疲れ様でした。途中で降った選手もずいぶんいたらしく、正ちゃん(只野正一郎君)が途中で降ったという話に半谷さんが怒って、「今日は正一郎にキック・キック、パンチ・パンチ、ノードリンク、ノーイーティングだな」って冗談とも本気ともつかないようことをジェスチャーつきで言ってたのが怖くて笑えた。

エディもシャチョーと降りてきていて、まだ機体の片付けおわってもいない宮田さんと、我々を飛ばす相談をしてくれた。コンペで4時間も飛んでそのあとまだ夕方のぶっ飛びに付き合ってくれる気らしい。なんだか申し訳ない気がしたが今日の晴天がいつまで続くか分からないし飛びたいのも事実。エディがその辺を1周してくるとどういうわけだかすぐに機体を借りる算段がつく。いったい体重設定に会う初中級機を2機も3機も即座に借りてこれるって、エディっていったい何者?と謎のインド人の謎はますます深まる。



夕方のモリジンのテイクオフに上がってとにかく1本飛ぶことにする。機体ロストに最も怒っていたY沼さんは、「今日はもう飲んだから飛ばないと」とランディングに残る。大人だ。

借りた機体はシグマ4で、乗ったことはないけどこの際そんなことはかまってられない。テイクオフは、ほとんど無風で田村はライズアップに1回失敗。振り向くのが気持ち早かった。あせるとろくなことはない。2度目もちょっと怪しいテイクオフ。でも夕方のモリジンの風は心地よい。「そのまままっすぐ前の斜面につければ上がります」と宮田さんが誘導してくれたラシャショーはなぜか上がることなく、ほとんどそのままランディングへ直行。「おっかしいなあ、いつも夕方はあの斜面があがるのに、すみません」と宮田さんは首を傾げてまた謝ってくれる。だけど考えたら借り物の機体、ハーネス、メットにグローブ、そして初めてのエリアでそうそううまくいくわけないって。ほんと、宮田さんはいい人だ。


日が暮れかかる頃、表彰式が始まった。街の小さな子供ブラスバンドがやってきた。私は表彰式が行われている庭の高い柵の上に座って後ろからずーっとみていた。山から吹き降ろす風が冷たくなってきた。あれだけ長いタスクを終えた割には和やかであっさりした表彰式だった。

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イベント目白押しの1日の最後はおいしい夕食。もう何時間もまっとうなものを食べていないのできちんと調理された食事は本当に美味しかった。初日のメニューは(どういうことになっているのか、この合宿では食事に選択の余地がなく勝手にでてくることになっている、でも毎日とってもgoodでした)ソーメンみたいなパスタの入ったトマトスープ・牛ステーキのクリームソース・フルーツに生クリームたっぷりのデザート。当然のようにフライドポテトも山盛り。ヨーロッパは美味しいけどカロリー過多になる。今回もまたプラス3キロコースかな、と思っていたが、この後続く連日のハードな飛びに実は体重はほとんど増えていなかった。


初日最後のエピソードはその夕食中にやってきた。ロストバゲッジの到着。でも、全員分ではなかった。今日1日黙っておとなしくエアラインが荷物を届けてくれるのを待っていたわけではない。何度も何度も電話して、催促し、状況を確認し、4つの荷物にうち2つはパリで確認できていて確実に今日ジュネーブにくるという回答を得ていた。残りの2個については不明だった。メインディッシュを食べているとホテルの表から機体を担いだ男が入ってきた。誰かが「空港から荷物がきた」と言ったその一声で、ロスト組はとたんに色めきたつ。今日機体を取り戻せるのは4人のうち2人。(ドラマだ)配達人が背負っていたのはアドバンスの黄色いザック。「ボクのだ」とカトちゃん。残りは誰の?確率は1/3。自分のであってほしい、みんながそう思っただろう。
沈黙の一瞬。
「クロに青のザック、誰の?」
「・・・・・私のかも」
おそるおそる入り口に置かれたザックを確かめにいく。
それは見慣れた私のプロデザインのザック!。『ウメさん、Y沼さん、ごめん。これは田村のです』心のなかで謝りながらも、安堵で思わず笑みがこぼれる。

残りの2つのザックの行方はわからないまま初日が終わった。

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