8月19日(月)の2   〜シャモニー(Chamonix)の一日の続き〜
ほど良い長さの1本目にすっかり機嫌をよくして、グランモンテに向かう。ケーブルを2本乗り継いで標高3300mで降りる。目の前には氷河が広がり、光る氷雪の平原の向こうにぽつんぽつんとキャノピーが広げられている。あそこがテイクオフ。目視できるがすごく遠く感じる。氷河の平原はテイクオフの向こうで落ちこみ、その向こうには手が届きそうなくらい近くにモンブランがそびえる。灰色の切り立った岸壁に氷河の圧倒的な流れ、そしてあくまでも白く巨大で優美な‘MONT-BLANC’。すごい眺めだった。ここから飛ぶの?ホントにここから?足が竦んだ。

安全のために張られたロープをくぐり、氷河へ踏み出す。山岳ガイドから同じところを踏んで歩いてくるよう指示される。道をはずすとクレパス(!)があるらしいし、同じルート上でも踏むところによっては50cmほども氷雪を踏み抜きはまってしまう。

ガイドとエディにぴたっとついていこうとするが歩幅は違うし、氷雪のゆるい部分や穴や段差でうまく歩けない。ただでさえパラを背負ってバランス悪く(宮田さんは、パラザックを軽いのと交換してくれたけど)普段車横付けフライトしかしていないから下半身がまったく鍛えられていない田村は、何度か転んでそのたびにエディに手を貸してもらった。わずかな距離だがとても遠い。膝が震えた。『もう飛ばなくてもいいよーー。』心の中で泣きが入った。エディがそれを察してか何度も振り返ってサポートしてくれた。ものすごく長く感じたが10〜15分程度だったろうか、すでにセットアップしている地元フライヤーのいるところまで辿り着いた。モンブランはさらに近く、氷河の侵食で険しく切り立った岩の向こうにまぶしいばかりの曲線を刻んでいる。圧倒的な広がりの空の下で広大な氷河にぽつんと我々がいた。時の集積のその一番先端に立って天からの祝福を受けているような、そんな気がした。

高度のせいか緊張のせいか、あまりに圧倒的なその風景のせいか、軽いめまいがした。現実感が薄れていく。そんな私をいつものノリで引き戻してくれたのはシャチョーだった。「おい、すごい景色だな、記念写真撮ろうぜ」っとそばによってきて「今だけ恋人同士ってことで」とぴたっと寄り添ってポーズ!おかげで強張った顔がすこし緩んだ。


風は微フォローだったが、準備して待機するようにと指示がでた。ここは氷河の吹きおろしでたいていフォローなので、その合間を縫ってひた走るのだ。セットアップにはゆっくり動くよう注意した。いつもの調子でちゃかちゃかやっていると息が続かない。Y沼さんが高度の高いところでの呼吸法を教えてくれたので、意識的に呼吸をコントロールしながら動く。先に来ていた地元フライヤーの後ろにキャノピーをひろげ、ライザーを握ったまま氷河の上に座ってフォローの弱まるその一瞬を待つ。

ガイドがなにか合図をだして、前のフライヤーがライズアップに入った。私も立ち上がって、彼のテイクオフを見守る。が、傾いたキャノピーを修正しきれずそうとう先まで走って出られずじまいとなった。私の前があいてしまった。他の日本人はまだセットアップが完全でない。あ!また私が先にでる状況になってしまった、と気づいたときにはガイドが私を指差しGOの指示。いつまたフォローが強まるとも限らない。出るしかない、走るしかない。かつてないほどの真剣さで走り出る。ざくざくの真昼の氷雪は足元をすくう。テンションがかからない!でも傾いている感じもしない。上をみる余裕がないのでブレイクの感覚だけを信じて走る。『まだ? まだなの?』とにかく走りぬける、飛び乗っちゃだめ、自分に言い聞かせる。足が浮いているんだか、滑っているんだか分からなくなるまで走りきってようやくテンションがかかった。

機体は斜面にそって滑空を始めた。つと、斜面がおおきく落ち込むところで対地高度がとれる。後ろを振り返って「Thank You!」思わず叫んだ。氷河の流れがすぐ左手にあった。『風の神様、ホントにホントにありがとう。こんなすごい風景をくれて、こんなに綺麗なモンブランをくれて』頭上のミストラル2にも投げKISS!

                            

まだバレーも強くなく、風は穏やか。シャモニーの谷を高度3000mでゆっくりゆっくり渡って行く。テイクオフの緊張が解けていくような穏やかな谷渡りでインデックスのすこし南斜面に辿り付いた。

後続機はなかなか出てこない。またフォローが強くなったかなー、と思って壁を後ろにグランモンテのほうを見ていると、シャチョー、Y沼さん、カトちゃんと3機がほぼいっぺんにでてきた。良かった、みんな出られて。でもウメさんは?ウメさんはエディとタンデムで飛ぶことになっていた。出遅れたかなー、タンデムでフォローを走るのはきついもんね。と思っていたその頃、エディとウメさんのタンデムはテイクオフで走りきれず、3回走ってまだ浮かず、ウメさんは頭から氷雪に突っ込んでいた。高度3300mを3度も走ってウメさんは、顔面蒼白、ふらふらでついにテイクオフを断念した。残念だったけど、でもここのテイクオフは立つだけで価値あるよ、ウメさん!

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ウメさんを除く4人は、昼のサーマルタイムに当たりだし、徐々に高度を上げだした。特にシャチョーとY沼さんは好調で、尾根を超え3000mを走り出した。田村もいったんはトップアウトしたものの、一人であげていたため『稜線から向こうにこぼれたらどうしよう。尾根上怖いし・・・』と臆病風に吹かれたらとたんに上がらなくなってしまい、おまけに取り付いた場所が悪かったらしく(川地さんは『あそこはあんまり上がらないからシブ山って呼んでる場所なんだ』といってた。先に言ってくれればいいのに)、上げ返しきれない。シャチョーとY沼さんはどんどん南へ走っていって、いい高度を保っている。諦めてランディング(諦めてといっても十分満足できる内容だったが)するとカトちゃんもすぐ降りてきたので、上空を走っている2人とそれを追いかける宮田さん・エディを、川地さんの解説付で見物。川地さんはランディング脇の小川でドリンクを冷やしておいてくれた。今日の川地さんは体調が悪いらしく語りに少し勢いがない。エディはタンデムをとりやめソロででたらしい。絶好調のシャチョーとそれに続く柳沼機に宮田さんはなかなか追いつかない。
川地さんが無線でパシーへの走り方を伝えると先行機はサポート隊を待ちきれず、移動を始めた。宮田さんはなんとか追いつきそうだ。




ウメさんは飛ぶのをあきらめガイドのおじさんとグランモンテを降りてくることになっていたので、3人でリフトの駅まで迎えにいく。ようやく降りてきたウメさんはさすがに疲れてちょっと悲しそうな顔だった。無事ウメさんと合流したので、シャチョーとY沼さんが走った(無事に着いたかな?)パシーに向かう。

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パシーは、直線だとプランプラから10キロくらい北になる。車でシャモニーの谷を抜けていく途中で川地さんが宮田さんに無線をいれるが、なんだかあまり電波がうまく届かない。宮田さんから緊迫した声で途切れ途切れに無線が入る。
「・・・で今すぐ・・という状況じゃないんですが・・・」なんのこと言ってるんだろ?
「アクシデントじゃなけりゃいいんだけどね」と川地さん。
車はシャモニーの谷を抜けて南に回りこみ、パシーに入る。



ランディングに車をつけるとちょうどシャチョーはランディング上空というところだった。まずは宮田さんを無線で呼ぶ。川地さんの予感はあたってしまった。Y沼さんが山の上段の斜面にトップランをしてクラッシュしたという。外傷はないが腰が重くて動かさないほうがいいような状況らしい!無線が通じなくなった宮田さんが、電話をしようとトップランしたので、柳沼さんも後に続いたという。ランディングから場所を特定しようとするがわからない。宮田さんが場所を伝えようとするがうまく説明ができず、GPSのデータを伝えてきた。そうこうするうちに、どこからともなくエディとシャモニーの山岳ガイドのおじさんも現れて、2人が山に上がってくれることになった。健脚の2人は相当な時間山を探し回ったが、最初違う尾根筋を探してしまい、なかなかY沼さんのところまでたどり着けない。宮田さんからヘリの要請が入る。Y沼さんの状況が悪化したのか、と心配になるが、こういうときはただ待つしかない。



ランディングで待機のメンバーは強い日差しを避けて道路に面したカフェのパラソルの下に陣取る。暑い。川地さんの体調はますます悪くなるようだし、カトちゃんはなぜかいきなり鼻血出すし、ウメさんはぐったりしてるし、元気なのはシャチョーだけだ。ようやくヘリがきてY沼さんを搬送していった。ヘリはなぜかもう一度戻ってきて、同じ場所から次は違う地点で停止した。後から、荷物と宮田さんたちを車のあるところまで運んでくれたのだと聞いた。ヨーロッパの救出ヘリはそこまでやってくれるんだと関心した。しかもシャモニーの山岳ガイドおじさんの要請によるものなのでお金は一切かからないのだという。アドベンチャーをサポートする社会システムや理念にみんな大いに共感する。

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ヘリがきている間もパシーエリアでは、多くのパラやハングが飛んでいた。夕方までずっと飛べるので、ようやく降りてきた宮田さんが「飛ぶ?」と聞いてくれたが、待機疲れのメンバーにその気は一切なく、病院へ寄ってモリジンへ帰ることにした。宮田さんもさすがに疲れた様子でおまけにY沼さんのトップランを誘ってしまったことで落ち込んでいるようにみえた。この人は自分のせいでないことまで謝っちゃうような人だから、きっと責任 感じてるんだろうな。でもトップランの失敗は講習生ならともかく(普通、講習生はトップランしないけど)パイロットがやる分にはそれこそ自己責任の問題だ。Y沼さんは本格的山男だからそんなことは百も承知のはずだから、宮田さんにははやく浮上して欲しいなあ、と願った。



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病院はパシーの街のはずれにあった。みんなでどやどや行くのもはばかられるので、宮田さんとエディとガイドのおじさんが中に入って我々は車で待機。病院からはモンブランがよく見える。

Y沼さんの容態は、軽い圧迫骨折だった。海外で入院なんて大変!と思うもそこはフライヤーの集団。「たいしたことなくてよかったな」「すぐ出てこれるよ」「帰りファーストクラスに寝て帰れて楽だよな」とかなんとか好き勝手言っていてぜんぜん悲壮感が漂わない。Y沼さん本人も2日後から歩き回れるくらいの状態だったのに「ちょうどいいいから、日本に帰ってもしばらく休養しよう」などと呑気な発言をしていたらしい。私とカトちゃんは、「うちらみたいな民間サラリーマンがこれやったら会社に席なくなるよね」と羨む。Y沼さんという人は修羅場に慣れているようで、ヘリでの救出のされ方も堂に入ったものだった(?)とか。ヘリが到着
したとき「宮田さん!手なんか振らなくていいから、早く伏せて、サングラスはずして」と指示された、と宮田さんが話してくれた。


そんなわけで、結構大変なことがあったにもかかわらず、夕食時はやっぱり今日のフライト話で盛り上がった。今日は、シャモニーにしては珍しいくらい穏やかでよいコンディションだったのだという。今夜のメニュは、前菜がオリーブがいっぱい乗ったピザ、メインがミートローフと平パスタ、デザートはアップルパイのアイスクリーム添えとヘビーな内容だった。一人減ってしまったのでちょっと残った。

「明日はどこへ行きましょう?行きたいとこありますか」と宮田さんが聞くので「1回はアネシーへ行きたい!」という私の意見は聞き届けられ(やっぱヨーロッパはリゾートフライトでしょう)、明日は念願のアネシーとなった。他のメンバーは飛べればどこでもいいやって感じであまり主張する人がいなかったのと、天候が下り坂で、標高の低いアネシーは天候悪化が一番後になるからだ。

今日のシャモニーフライトの成功をモンブランに感謝して、この後のツアーの安全を祈った。
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