ぶっ飛び主婦の無謀なF1参戦記
2003年・My F1 Year を総括する
(前編)



〜ぶっ飛びなのになぜF1?〜
   ・・・例によって長い前ふり・・・

■最初のいいわけ
この参戦記は、いわゆるコンペティターの方々の書いてらっしゃるような、崇高な戦いの記録ではなく、ぶっ飛び主婦のただのおちゃらけツアー記です。真面目にコンペに取り組んでいる人が読んだらたぶん怒ると思うので、これはF1に便乗した国内ツアー記なんだとご了解ください。


■最初の1歩  2002年 五竜
コンペになんて興味もないので、長く大会系のイベントから遠ざかっていたのだけれど、2002年の10月に突然、朝霧の大先輩にして敬愛するダンクさんが「誰か白馬のF1行こうよ」と言いだしたのがことの発端だった。枯れきった朝霧フライヤーでその声に応える者はなく、でも往年のコンペティター・我らがエース・サノケイジの復活を待ち望んでいた仲間は多かったに違いない。『そう言えば何年も国内遠征行ってないし、久々に五竜飛びたいなぁ。サノさんの復帰第1戦も応援したいし』とその気になって同行を申し出た。ところがサノさんの家庭のよんどころない事情から(?)サノさんの車で同行することが難しい雲行きになって、すでにエントリーフィーを払い込んでいた私は、あわてて一緒に行ってくれる人を探す羽目に。

パラで困ったことがあればいつでもこの人!という元スカイジャンキーのドン・鈴木さんに
(いつも困った時だけ都合よく利用させてもらってごめんなさい!)『だれかF1に行く神奈川県方面の人を紹介して』という特殊なリクエストメールを出したら、さすが鈴木さん、即座に車で10分という近所のK氏を紹介してくれた。

K氏とはたぶん初対面だったと思う。もちろん大昔にどこかで顔を見たことはあったけれど。ちょっと強面で、ちゃらちゃらしたところのない堅い感じの人なので、よくこんな知らない奴を一緒につれて行くのOKしてくれたなぁと鈴木人脈にあらためて関心する。K氏とジオ関係者2人と4人で白馬へ。思えばサノさんと同行せず、この面子に混ぜてもらったのがよかったのかもしれない。佐藤てっちゃんの弟子(?)でもある彼等はF1常連組らしく、大会での行動も手慣れたもので、朝は早く受付して機体をリフト乗り場に並べて置くとか、どのへんに機体を広げるだとか、そういう大会での行動パターンを教えてくれた。

結局この大会は、後半のコンディションが渋くなりすぎて不成立となってしまったが、時間だけは結構長く飛べたし、順位は20位とそこそこだった。F1選手達の飛びのレベルもなんとなくわかって、一緒に飛んでもご迷惑でない程度には自分も飛べてることがわかったので、結構満足したのだった。「ホームエリアの朝霧ファイナル戦に出なよ」と言ってくれる人もいて、余所のエリアの顔見知りの人が増えるのも楽しくて、ファイナルにでることにしてしまった。

■最初の成立大会 2002年 朝霧 〜これが勘違いの始まり〜
  
初日強風で流れてしまったが、2日目は結構良いコンディションになった。しかし安定して良くなったのは後半で、前半の中だるみが何度目かの前山上げ直しにあたってしまい、ミニマムで降ってしまった。サノさんも同じ羽目に陥っていて、2人でショボンとしていたら、親方が叱咤激励
「この時間ならまだまだ行けるよ!リフライト行きなっ!」
あまり気乗りはしないものの、フリーフライトのつもりでTOへ。でると朝より安定していて、激混みだった前山も、フツー混みくらいの感じで飛びやすい。しかし沖方面中心のパイロンを周るには、やはり前山の上げ直しが要求され、結局この日5回目の上げ直しを余儀なくされたTは、パイロンあと2つを残して撃沈。前山の上げ直しこんな回数やったことないしもうぐったり。結果なんてどうでもいいやって思ってたら、まさかの総合10位のF2クラス5位。うわーっ!私って意外とまともに飛べてるのかも!(と思ったのが勘違いの始まりだった。)初めて着いた順位が10等賞で本人としては、予想を遙かに超えるものだったので嬉しくって獅子吼の大会お助け嬢・ミニーちゃんと10等賞の踊り(?)を踊っていると、川地さんに
「だめじゃん、ゴールしなきゃ」
と怒られてしまった。それはさておき、なにより嬉しかったのは、我らがエース・サノケイジがなんと優勝してしまったことだ!やっぱりサノケイジはすごい!サノさんの優勝で気分が盛りあがったこともあって、来年からちょっとあちこち行ってみようと思ってしまったのが、今年(2003)の参加しまくりの始まりだった。

■最初はこんなに出る気じゃなかったのに・・・  SARSの影響ここにも?
2003年のエントリー数は11戦。
(うち2戦は明らかな悪天候で現地にいかなかったけど)そもそも最初はこんなに数でるつもりじゃなかった。でも、甲府に行ったら楽しくて『ぶ主連』の広報活動に好都合だし、なんだかよくわかんないけどB8君があまりに熱心なのでつい引きずられてしまって、おりからSARS大流行の報道が気にもなっていたので、今年は海外ツアーはやめて国内エリア巡りにしようと決めたのだった。朝霧に居着いてから、国内の他のエリアからずいぶん遠ざかっていた。朝霧のフライト確率があまりに良いため、遠くのエリアで飛べなかったりすると、「あー今日朝霧飛べてるだろうなぁ・・・」と後悔してしまうことが多かったからだ。ついでに言うと国内エリアでも知らないとこだと、つい過剰に安全マージンをとってしまいTO−LDのぶっ飛びに終始することが多かったためでもある。

誰かも同じことを言ってたが、大会で初めてのエリアに行くというのは、あるレベル以下のフライヤーには、なかなか良い方法ではないかと思う。パイロン説明のついでにエリアのポイントも聞けるし、気象条件はオーガナイズがウオッチしてくれているので、急変したら無線でお知らせがくる。選手がたくさん飛んでるから初めてでもどこへ行けば上がるか一目瞭然、緊急ランは平常より確保してあることが多い。吹き流しだって立ててある。安全確保という点ではフリーフライトで行くよりよっぽどいいと思うのだ。もちろん空域が混むとか無理するから危ないという点もなくはないが、それは自分の気持ちのコントロールでどうとでもなることだ。
大会で飛ぶことのマイナス点は天候が悪くても、他に条件の良いエリアが近所にあってもそこに行かなきゃならないことで、フライト確率は大きくさがる。この点さえ納得するなら大会でいろんなエリアに行くのはぶっ飛びフライヤーにはお奨めできる遊び方だと思う。

とまあ自分なりにそういう理屈をつけて、F1後半に参戦しまくってきたが、要は楽しいんだよね。だんだん顔見知りも増えて来て、「次どこ出るの」「あ、じゃまた会えるね」なんて会話があちこちでできて、「『ぶ主連』HPみてるよー」「機体換えたんだってね、HPでみたよ、調子どう」なんて知らない人から声をかけてもらえると、HP管理人業務もまんざらではないとほくそ笑んでしまったりする。こうしていつの間にかはまってしまった2003年・記念すべき My F1 Year!
いつもの海外ツアー記と同じく忘れないうちにメモしておこう。




最初のGOAL  〜もてなし最高の甲府・白根〜  5/24・25 
 
この大会は今年の11戦の中でもっとも楽しい大会だった。白根のスタッフは気配り抜群!選手を楽しませようという意気込みが溢れていたし、パーティーは豪華絢爛、こんなにしていただいていいのかしら?と思うほどの内容だった。おまけに立ち上げたばかりの『ぶ主連』の広報活動がうまく行き、白根Bチーム様と提携契約締結の冗談までかましてしまってご機嫌!

初日TOでキンチョーしまくっていて、営業にきていたF社のチャイに
「ねー、チャイ、どうしたらGOALできるの?」
なんてあほな質問したら、
「キープ・ハイ、ゴー・スローです」
と真面目に答えてくれたので、それだけを信じて飛んでいたら、いつの間にかって感じで生まれて初めてタスクコンプリートできてしまったのだっ。タスクになっていたら甘利もとれそうなくらいよく上がった。2日目は、ちょうど渋い時間にでてしまいろくに回れなかったけど、私にしては上等なほど粘って飛べて満足満足。



甲府のメンバーで顔見知りの人も増えてきて、なんだか楽しくなってきた。鈴木さんとか長島さんとかに久々に会えたのも、昔まだ四六時中遠征に言ってた頃みたいで懐かしい思いがした。長島さんに
「Tは10年ぶっ飛び続けてましたけど、ようやく少しまともに飛べるようになってきて、今楽しくてしょうがんないんですよ。今どきの1−2のグライダーが私の下手さに追いついてきた(?)おかげですけど」というと
「僕はそろそろ20年この遊びやってますけど、やっぱり最近飛ぶの楽しくてしょうがんないです。Tさんもあと10年続ければ僕くらい飛べるようになりますよ」
(って、そんなわけないだろっ!)という素敵な冗談も嬉しくてハイテンションの一夜は過ぎていった。

しかしハイテンションすぎて、車のスモールランプつけっぱなしでバッテリーをあげてしまい『だ』さんや文字さんや白根スタッフの方々にご迷惑をかけてしまったり、左回し指定の日にちょっと離れた場所で右回りして怒られたり、やっぱり意気込み過ぎのB8君が緊急ランディングの河原でちょっと尾てい骨打撲し、おまけにそのどたばたで財布をどこかへ置き忘れる等と、ネガティブネタもてんこ盛り。財布は誠実な白根の人に拾われて無事本人の手元に戻ったが、これがB8君の0点小僧街道まっしぐらの出発点になってしまったのだ。B8君のスランプはこのあと秋まで続くことに・・・




■最初の反省  五竜とおみ 不成立 6/21・22

台風の影響で初日は飛べそうで飛べない西混じりの強風。カッシーがデモフライトをやったけどコワそー。で、結構待ってたんだけどタスクキャンセル。最後はフリーフライトでぶっ飛んで降りた

こうなったらパーティーで盛り上がるぞー!と気合いいれてパーティーに臨む。するとそこで配られているビールの缶は、なんと私がポイントシール収集中のサントリー・モルツ!しかもこのシールは全員プレゼントで応募期間の締め切り目前。新規のシール付きの缶は先月で生産中止。あとは市中在庫しかなく、うちの近所ではもう見つからないシロモノだった。うわーっ、シールいっぱい!これはもう集めるしかないでしょう、ってことでまずは同じテーブルにいた人たちに、「お願い!シールくださいっ!」とシール独占収集を始めたら、隣のテーブルの人たちも「なになに?シール?あー全部もってきなよ」と気前よくくださった。そうこうしているうちに、富山のNちゃんがなぜか本人より積極的にシール集めに協力してくれて、あげくの果てにはゴミ箱に行きかけたものまであさって、ついにパーティー会場中のモルツ缶からシールをはがしてくれたのだ。集めたシールは最初携帯電話に貼っていたが、とてもそれでは収まりきらず、クレジットカード・銀行のカード・診察券などその時財布にはいっていたありとあらゆるカードに貼りまくり、数え切れないほど。おまけに『ぶ主連』広報活動には格好のネタとなった。
「さすが“ぶしゅ”大会が流れてもただでは帰らないね」と言われたのは、ほめ言葉なのか、呆れられただけなのか?


2日目は、ものスゴーイ好コンディションになるはずが、薄曇りのぶっ飛びコン。最初のほうで出た人達が相次ぎ降って行く中、同行者のU野君は一人生き残り、みんなの頭上を行ったりきたり。Tは、このコンディションじゃ生き残れなーいと様子見を続けるが、まてど暮らせど劇的な変化はなし。仕方なくでてみるとステイはできても上げ直してパイロン回れるほどのリフトはなく、結局ミニマムもとれずにランディング。降りるとGOAL者もでいるらしいし、まともに回っている人もそこそこいるらしい。せめてミニマムくらいはとりたかったなーとしょんぼり。おちゃらけで出てるんだけど、仮にも選手で出る以上、ミニマムクリアは選手の義務だと思っているので、いくら自分が、根性なしでも、空中で気力エンプティーになってしまっても、そこまではなんとか頑張りたいと思っているのだけれど・・・
結局このタスクは、ミニマムに達した選手が規定数(なん%だかよく知らない)に達せず流れてしまった。ゴールした人、ごめんなさいっ!せっかく上位に入った甲府のABさん、U野君、成立していれば高ポイントだったのに。1/70の責任感じてます。



この大会で面白かったのは、10年やってる古参選手達と若手
(つっても20代終わりかけ)K原君との会話。
初日のぶっ飛びが終わり、ランディングから駐車場へ向かうバスの中
K「Tさん、僕、明日飛べないっスよ」と暗い表情。
T「え、なんで?明日は天候回復するよ。絶対飛べるって」
K「いやーそうじゃなくて・・・ライン1本切っちゃったんですよね」
T「えー!何時?どこのライン?なんかやったの?」
K「さっき飛んでてなんか変だなーって。Dのどこかなんですけどね」
T「なんだー、Dの1本くらい平気だよー」(^^; ォィォィ「ま、とにかくみてみよっ」と駐車場で機体をがさがさ広げていると、そこへ通りかかったのは、古参中の古参・ジャンキー鈴木氏。
T「ねー鈴木さん、Dの1本くらい切れててもいけるよね?つないじゃってもいいし」
鈴「大丈夫じゃない、でもスペアのラインあるならつないだら」
K「エー!!いいんですか、そんなことしても」とかなり驚いた様子。
 なんでー?いいに決まってるじゃん、と鈴木氏と顔を見合わすT。
そこへ同じく通りがかりの甲府のAB氏も加わり
A「大丈夫ですよー、僕なんか切れたライン結んだまま1年飛んだことありますよ」
 (うーん、いくら何でもそれはやりすぎ)
ラインをつないだこともなく、とまどうばかりのK原君に替わって、さっさと切れたラインをつなぎ出すAB氏と鈴木氏。
A「はい、これで大丈夫です」
K「ありがとうございます、でも・・・あのホントにいいんですかね、こんなんで飛んでも」と不安を隠しきれない様子。
A・鈴・T、声をそろえて「大丈夫、大丈夫」


その時は結構心配してたK原君はその後数ヶ月スペアラインを結んだまま跳び続けている。




■大人になって最初の浴衣! 〜戦意ゼロの三ヶ日〜  7/19・20

前日までの予報はではどう考えても雨−曇りだった。
前の晩、一緒に行くことになっていたご近所のUの君に電話して
「ねぇ、雨だけど行く?」って聞いたら
「あ、まあとりあえず行こうかと・・・もしかしたら(成立)ってこともあるし」
「そうだよねー、行かないときに限って成立したら悔しいもんね。でもどうせ明日は無理だから朝ゆっくり出よ」
などとやる気のない会話を交わし向かった三ヶ日。B8がなぜか精力的に宿とかウナギのおいしい店を予約しておいてくれていたのでドタキャンというわけにも行かず、最初から気分はすっかり浜名湖・ウナギモード。


しかしその心がけに天罰がくだったのか、この大会は散々だった。まず行きの東名高速でまさかの大渋滞。出た時刻が遅かったのも悪かった。渋滞をさけて降りた一般道でまた渋滞。U野君の感を頼りに知らないあぜ道をあちこち走り抜け、本来の集合時間に遅れることおよそ1時間。なんだか空は明るい曇り。まさか、競技やってないよね?受付場所にはほとんど人がみあたらず、「あのー選手で遅れてきたんですがー」というと「みんなもう上がってるよ」「えー、競技やるんですかぁ」(ガビーン!)「ああ、たぶんターゲットになるらしいけど」ってことで一安心。急いで身支度してテイクオフへ。ここの登りは、ちょっときつい。幸いTは特別にモノラックに人間ごと便乗できたけど、2日目は空身で山歩き+担ぎ上げ7−8分。距離は僅かでも傾斜がきつくて普段やりなれていない身にはつらい。おまけに湿度が高くて蒸し暑いし、冷房病と夏の寝不足の身にはこたえる。

TOにあがるといつものメンバーの中に、懐かしい顔が。池田のNちゃんだ。昔あちこち遠征してた頃、よく顔を合わせてた主婦フライヤー。「久しぶりー」「F1でてるんだ」「えー、まー出てるってほどじゃないけど」なんて話から、ぶっ飛び話に花が咲く。キャリアは申し分ないけどぶっ飛び志向で『ぶ主連』にぴったり。B8と勧誘しまくった。そうこうするうちに、ターゲット競技が始まり、少々荒れ気味の三ヶ日の空に選手はでていく。Tは三ヶ日は初めてなので、フリーフライトのつもりで飛んだら、途中ドジって危うく低いほうのテイクオフに足つきそうなくらい下がってしまったのであっさり降りた。苦手なターゲットなんてはなっから勝負にならないと思っていたので、入ればいいやって感じでいたら、無線で誘導されてしまい、ちょっと混乱してしまったが、多くの選手がショートする中ではまあまともに降りたほうではないかと思う。(ちょっとこのランディングの地形は好きじゃないけど・・・)ランディングはさらに蒸し暑く、大会本部テントでクラブ員の方達が用意してれているかき氷が嬉しい。


さてこの日の夜のパーティーは、なんと女子選手は浴衣着用となっていた。Tはそんなこと全然しらなかったのだが、F1常連組女子選手にはメールが回っていたらしい。常連組のTーちゃんという人が、連絡の行かなかった人の分の浴衣・下駄まですっかり用意してくれているとのこと。彼女は行き届いたすばらしい人で、飛びもアグレッシブだが着付けやらなんやらのしきりも手早くテキパキ格好いい!
浴衣着付け用として確保した和室は、お互いに着付けしたり帯の結び方を比べたり髪をあげたりの女子選手の華やかな姿でいっぱい。のせられやすいTは、この手のことがもっとも苦手なことも忘れてつい参加してしまう。さっそくTーちゃんに浴衣と帯を選んでもらって着せてもらう順番待ち。
Tーちゃんは池田のNちゃんの帯を何度もやり直しながら
「もー、なんでこんな細いのぉ、着せにくいわぁ」
(関西イントネーションでお読みください)
着物はウエストが細いと着せにくいらしいのでスリムなNちゃんに手こずるTーちゃん。
ようやくなんとか着せおわり、次にTの番となった。
「いやぁ〜Tさん、着せやすいわぁ」
・・・お褒めいただけて光栄です・・・
Tの着付けは一発で決まり、体型のことはさておき、コスプレ気分でルンルンとパーティー会場へ。


パーティ会場では、男性の浴衣組もちらほら。粋な着流し風のTIさんと演歌歌手も真っ青のド派手な衣装のTGさん。TGさんの浴衣は東映映画風波しぶきの裾に金銀キラキラの帯で、いったいどこで買ってきたの?って感じで、でもこれがTGさんが着るとまたぴったりで大受けだった。

しかし、シャナリシャナリと無理な立ち居振る舞いが良くなかったのか、パーティの途中で、なんだか気分が悪くなってきて、体温が急激に下がりだして非常にまずい状況に。最近冷房病で体調悪いし暑さに参ってるところへ、無理なコスプレがまずかったのか?どこかで横になりたいけど、パーティ途中で盛り下げるようなことしたくないし、う”〜・・・とりあえず、さっきの着替え部屋に忘れ物を取りに行くという口実で鍵をかりて、ひっそり部屋に引っ込んだ。途端に猛烈な頭痛と吐き気。浴衣を大急ぎで脱ぎ散らかして、いつものルーズフィットな服でトイレへ直行する。う〜ん、どうもこのごろこういうことが多いなぁ、やっぱ土日の遠征は体力的にもう無理かなぁ。。。とブルーな気分で、和室の座布団の陰に毛布にくるまり横になる。



しばらくウツラウツラしていると「こんなとこに誰か寝てる〜」という声で意識が戻る。近くで花火大会が始まったらしく、パーティから戻ってっきた人たちは、部屋の窓から花火見物。少し気分が回復してきたので、ふらふらしながらも花火を見にベランダへでる。うつろな意識でみる花火はなんだかとても幻想的で非現実的だった。

B8が予約した宿は、車で1時間弱の山中の戸建て別荘で、普段なら嬉しいところなのだが、もうどうでもいいから早く寝かしてくれー状態だったTは、早々に2階に寝床を確保。明日飛べないよなぁ、この体調じゃ。まあ天気もかなり怪しいからたぶん競技ないな。でもウナギは?ウナギは食べたいぞぉ・・・とぶつぶつ言いながら寝る。



2日目。たぶん競技はないと思っていたのに、なんと晴れ間がのぞいている!まさか、飛べてしまうのか?やる気がないのに飛ばなくてはいけないのはつらいっ!Tは根は真面目なので参加者者の義務感で『今日出ません』の一言が言えない。
雲底は低く、パイロン取りに行って降ったら緊急LDはないか、あっても絶対自分にはおろせない狭さ。う”〜。でも出ないと〜。と迷い迷ってでるとやっぱ駄目。外しまくるし、アクセル踏めずにチンタラ走って高度ロスって、ミニマムもとれずに撃沈。同行メンバーも、いつも手堅い金ちゃんを除けば、良いセンまで行ったのに最後にショートしてしまったU野君やなぜか正統派ぶりを発揮してしまった『だ』さん、バリオの小難しい理屈に振り回されてしまたったB8の3人が0点小僧、夫婦参加のS氏もミニマム達せずと、ぶっ飛びスピリッツ全開の結果となった。

こうなりゃあとはウナギしかない。さくっと風呂に行って、目指すは元・水産業関係者B8お奨めの青ウナギの店。http://www.ens.ne.jp/~unasen/23.html
浜名湖なのになぜか九州産の鰻を使う店のオヤジは、典型的こだわりの頑固職人系。確かにその店の鰻は、ひと味違う!香ばしくて鰻というより焼き魚のノリに近いしっかりとした食感。富山から一人できたNちゃんともども大満足!身体とフライトの不調を吹っ飛ばす美味しさだった。



最初のお立ち台!池田  8/2・3

大昔何度か行って、なぜか一度も飛べたことのない池田エリア。相性悪いし、遠いからメンどぉーって思っていたけど、ノンちゃんやツノさんもいるし、東海地方の有名エリア、一度くらい飛びたいなぁ・・・とエントリー。この頃にはスカ朝の人を中心にF1同行者が確立しはじめ、近所のU野君・去年白馬に連れてってくれたK氏・スカ朝のチャンプことS君と4人で東名高速をひたはしる。

池田のTOはなんだかどんより霞みがち。駄目かも・・・と思っていたが、霧が晴れてきてソアラブルに。池田エリアの人で昔からなんとなく顔見知りの女性・GTさんを発見し、いつもの調子で「ねぇねぇ、ここのエリアどこであがるの」と聞くと懇切丁寧に教えてくれた。池田エリアは、P証とって1年以内のルーキー優先ステージとなっていて、ルーキーの人にはエリア名人から特別攻略法の伝授があるらしい。F1新人が聞いてたっていいだろうと何人かで、聞き耳をたてて、今日のタスクの回り方情報をGET!フムフムとわかったようなわからないような(?)なんとなくそれで安心して、回れるような気になってしまったので、気分も前向きに準備準備。出ると南が強くてちょい荒れ気味。あとでノンちゃんが、「地元でフツーの人ならまず出ない」と言っていたコンディション。Tとしてはこれくらいは、まあフツーかな〜って感じだったんだけど、あんまり進まなくて、しょうがんないからズーッと最初のパイロンあたりでうろうろしてたら、そのうち雲ができてきて、良い感じになってきた。今のうちに走ってみよーなんて雲方向へ行ったら、あらら、吸われて真っ白になりかけた。


空中警備隊のJリーガーさんに警告を食らってしまったので慌てて翼端折りするが、戻してパイロン回ろうとするとまた雲にはまって、なんとか雲すれすれを維持するのが大変。ちょっとめんどくさくなってきたところへ(Tは勝負してるという気がないので面倒な状況になるとすぐ降りを決めてしまうのだ)途中無線で誰かが潰れてレスキュー投げたとかいう情報が飛び込んできた。『あ、これはもしかして1−2機体向きのコンディション?がんばろっと』気分が変わって(これって普通の神経じゃないよね)、でもこのあとどうしたらいいんだろう、と(あまりタスクを回ったことがないのでどこでどうしていいかよくわからないのだ)やっぱりさっきと同じところでヘコヘコ回していると、またもや良い感じの雲!競技委員長が、無線でしきりに「雲中飛行禁止ですよー」と叫んでいるので、入らないよーに気をつけながら走っていく。

もしかししてタスク回れてる?と嬉しくなってきてしまったのだが、最後の平地の向こうの農協パイロン、どれだけ高度あれば行ってもいいのか全然わからない。ずーっと前みてても誰も行ってないし(他の人たちはもうとっくに行って帰ってきてしまってたので)前のパイロンは鉄塔・高圧線の向こうで帰りに低かったらすごいやばいことになるし・・・う〜ん、もうやめとこかな、途中で降った人もいっぱいいるし、そこそこ回れてるしもういっか、と軟弱モードに入っていたら、なんだかバリオが元気になり出して『まだ降りちゃだめ』と引き留められてしまった。えー、わかりましたヨ、あげられるだけあげればいいいんでしょ、と思い切りよく回していたら、結構良い高さになって、あとはシンクがないことを祈りつつ、アクセル全開、最後のパイロン一直線!するとなぜか落ちない、あら、ラクショーじゃん。気がつくとランディング上空で高度400mも余ったので真上で360を繰り返しのんびり降ろす。あら、回れてしまったのかな?なんか実感ないなぁ。

降りると甲府の人たちがいて、「どう?」って声をかけてくれた。「いちおうゴールしました」って言ったら、「えーっ!回れたの?」と驚いた様子。「もう”かっ飛び主婦連合”に改名だな」だって。ゴール者少ないらしいのだ。やった、ラッキー!とGPS出しに行くと、TOPの人は35分くらいだったとか。時間のことはなんにも考えてなかったから、2時間以上は飛んでたな。

結果、驚いたことに総合8位の女子1位だって!スゴーイ!こういうこともあるんだなぁ。夜パーティで、みんなに「よっ!女子1位」と冷やかされてしまって、慣れない状況だけに明日へのプレッシャーいっぱい。どうしよー、明日ちゃんと飛べるかな、と嬉しいような不安なような。そしてその予感は見事にあたり次の日、大崩れしてしまうぶっ飛びTであった。





プレッシャーいっぱいの2日目。夜少し雨だったらしく、昨日と同じように霧のテイクオフ。このまま競技流れてくれてもいいなぁ・・・なんて良からぬことを考えながらダミーを眺めていると、ホームエリアのメンバーから緊急電話。仲間内の一人が、山飛びにでかけ大事故になったという。
ホントは池田の前の週末に実行するはずの計画が雨で流れ、TはF1があるのでそっちは諦めたが、何人かは今週末に延期実行すること。土曜の夕方数人がフライトに成功し、あと5〜6人山頂で日曜の朝イチをねらっていた。事故当事者は、Tの長いフライト友達。かなりひどいことになったらしいが、詳しい状況などはわからない。どうしよう。(ってこの場じゃどうしようもないんですけど)その後、何回か電話があるが、悪い状況ばかりが聞こえてくる。テイクオフは晴れてきて、競技が始まりそうな雰囲気。これ以上動揺すると自分のほうが危ないことになりそうだったので携帯切って、深呼吸。そんな簡単にいくわけないけど、とにかくここで彼に何がしてやれるわけでもないので気持ちの切り替えを試みる。



競技がはじまり、中程の順番ででる。と・・・昨日と違って激しくなくて、はっきりつかみきれない。こういうの苦手〜、とそれでもなんとかぎりぎり回してみても、どうしてなのかいまひとつ乗り切れない。もうあと50mも上がればラクショーラインに乗れるのになぁ・・・いったん下がると上げ直しは至難の業。下の方で自分としては、かなりねばねばしたつもりだが、あえなくランディング。パイロン1個か2個かすめたけど、実質上レース始まんないまんま終わってしまった。ションボリ。あー、やっぱプレッシャーかかるとだめだなぁ・・・。昨日より安定したコンディションで、みんな頑張ってタスクをこなしている様子。昨日のがまぐれ当たりに近かったわけだし、まっ、いっか。池田は賞品かなりの人数にあたるらしいし。


そう思っていたら、昨日の貯金のおかげで、F2クラス3位と台をかすめる結果になって、びっくり!わおっ!初めての台だっ!賞品も山ほどあるぞー!帰りの東名は爆睡させていただきました。(同行者の皆様、どうもありがとうございました)それにしても彼の事故はどうなってしまったのだろう・・・気持ちが分裂したままのF1初めて『台』。



−後半編に続く−