2007/12/30
クリスマスの悲劇

珍しく仕事ネタ。
サラリーマン生活19年。最大のトラブルに巻き込まれて、『24』のクロエ状態。25日の夜から家に帰れないし、家の大掃除は延期だし、正月休みは出社になるし。天気がいまいちで飛びに行く気になれないのがまさに不幸中の幸い?クリスマスの夜に、コンビニおにぎりと神田の立ち食い蕎麦屋なんてあんまりだーーっ!!
語ると長くなるので続きは、いずれどこかで。。。。。


2007/12/10
またまたPCがぁあ〜

12/8、K塾Rコースから帰ってきて、久々にHPの扉絵くらい更新するかぁ、と作業を始めて90分、いきなりPCの電源が、プシュ〜ンと落ちた!!あ”ーーー!まだファイル更新してないのにぃいいい!!(T_T)

でもおきてしまったことは仕方がない。なんか電源系触ったかと確認するけど見た目に異常はない。で、他に手だてもないのでもう一度電源ON。
すると。。。15秒程のウインドウズ立ち上げ途中で、やっぱりプシュ〜ン。そういえばなんだかハードディスクさんがやたらと大人しい音になっている。これはまさか何の前兆もなく、いきなりお亡くなりなのか?と大慌てするが自分ではどうすることもできず、ひたすらダンナの帰りを待つ。

この日ダンナはなにやら宴会モードで夜中のご帰還。翌日対応してもらった。

とりあえず中あけて。いろんなとこチェック。すると目を覆いたくなるようなホコリ・ホコリ・ホコリ。
これではチェックもできないので、まずはお掃除。そのあとは、Tができることはないので、ダンナが自室からいろんなもの持ち込んでなにやら作業をしている横で、漫画読んだりピタゴラスイッチのDVDみたりして大人しく待つ。いろいろやってるウチに、どうしてだかわからないけど、1回立ち上がったので大急ぎで、HDD丸ごとバックアップして、とりあえずホット一安心。その後は、いつ落ちるかとびくびくしてたんだけど、特に落ちる気配がない。HPの未更新ファイルはだめだったので、まずはPCさんがお元気なうちにとやり直し作業を急ピッチ。

そんなわけど今回の更新は、図らずもPCの年末大掃除をかねてしまったが、クリスマスになんとか間に合って良かった。どうでもいいけど、Tの自宅PCは、HDDトラブル多いような気がする。世の中に壊れないPCってないのかしら。


2007/9/26
ぶっとび ひまじん?



この3連休に、広島・神の倉エリアの平和カップに参加しました。残念ながらコンディションに恵まれず飛びは、しょぼしょぼだったけど、古いお友達と再開できたり、いままであんまり親しくなかった人との距離が近づいたり、子供にまとわりつかれたりと、いろんなことがありました。

中でも、“なんという偶然!!”的な出会いが、飛魔人くらぶのK氏との出会い。もちろん前から顔は知っていたけど、個人的にお話したことはなかったはず。

3年前、K氏はスペインで突発的な病が発症し、緊急入院後日本へ搬送されるということがあったそうな。(この経緯は氏のHPの昔の掲示版あたりに詳しいので省略)その時、日本まで付き添ってくれた看護人が、以前やはりパラグライダーをやる日本人女性をフランスから日本まで搬送したことがある、と聞き、いったいどこのフライヤーなんだろうと思っていたという。
一方、Tは、風の噂で、自分を送ってくれた日本語上手のフランス男が、その後、やはり同じフライヤーを搬送したらしいということを聞いていて、同じようにどこのフライヤーなんだろう、と思ってた。

そして、神の倉のテイクオフへ上がる車のなかで、偶然にもお互いがその相手だと知り、(
『えーっ!!あなたがそうだったの!?』みたいな)お供付きファーストクラス帰国の話で大いに盛り上がったのでした。

さらにお互いが(ほぼ)バーチャルなパラクラブのHP管理人ということで、どっちも冗談みたいなクラブだし、これはもう相互リンク貼って、提携していくしかないってことになり(よく考えたら単にその場のノリだけなんだけど)、即座に堅い握手を交わしたのでした。

 『ぶっとび ひまじん』
 『ひま ぶっとび しゅふ』
 『ひまじん ぶっとび しゅふ』
どう並べてもみても、のほほん度やとほほ感が相乗効果で倍増して、いい感じです。K氏によれば、「ぶっ飛んでしまうとランディングでひまじんになる」のは必然だそうで、ま、なんにせよ相性よさげです。
というわけで、管理人特権で、ぶしゅ連は飛魔人くらぶ様とお友達ということになりましたので、全国制覇を目指すぶしゅ連としては、西の拠点として広島地域に強力な援軍を得た思いです。どうか末永くよろしくお願いいたします。


今回の平和カップ。
出張のついでに軽いのりで参加したわりには、ものすごく収穫ありました。
『競技』じゃなくてエリアあげてもイベント運営は、暖かで、適当で、でもホスピタリティ抜群で、飛べても飛べなくても、まっいいかって気にさせてくれるほどでした。
パラフライヤーだけじゃなく、ハングもパラも超ベテランから誘導初心者までいて、最近はあんまり飛んでない人や家族連れの人もいて、空飛んでる人とその家族・お友達のお祭りって感じです。
たくさんのハングの間をパラザックぶつけないようにすり抜けてテイクオフの前の方へ移動したり、ハングの移動時に頭ぶつけないようにかがんだり、ハングを日よけにして下に座り込んだり。
大昔、Tがパラ始めてまだ右も左もわかんない頃、ハングの人達とも混じって草大会連れ回されてた頃の懐かしい思いがしました。

Tは朝霧が大好きで、日本で一番高いエリアフィー払っても、いろんな意味で気ままでシバリの緩い今のエリアが楽なんだけど、もう少し年をとって生活に余裕できたら、こういう非商業的エリアでみんなでエリア運営するのも悪くないなって思います。出張続きの今の仕事なんてぜんぜん好きじゃない。でも、そのおかげでこういう新しい出会いや発見もあったので、とりあえずまだしばらくは、今の仕事と生活、続けると思うけど。

そうそう、みんなはTの出張はすべてダークフォースの支配下にあると思ってるらしいけど、きっとそれは想像の半分くらいです。ついでに言うと、出張三昧生活は、今期限りの(はず)なので、来年の平和カップは自腹で行こうっと。


2007/7/7
くるくる不足

先日、遠くのエリアで久々に4時間以上の風待ちをしてしまった。もちろん、パラに風待ちは付きものだから、大昔は数時間の風待ちなんてあたりまえだったけど、朝霧に居着いてからは、飛べそうもないときははなっから行かないし、行けばまず飛べないという事がないし、飛べるときはさっさと出るから、テイクオフで何時間も待つっていう行為をほとんど忘れていた。
ここには10数年前1度きたことがあるけど、まあほとんど初めてといってもいいエリアだったから、待って飛べるかどうかの判断はつかなかったのだけれど、単独峰の山で朝からサイドフォローの強風。出たら怖いことになるのは想像に難くない。当然、早々に競技キャンセルになるんだろうと思っていたら、オーガナイズは、風が落ちるのを待つ様子。いろいろなデータから、ここだけ強風になる理由がみつからない=風が落ちる可能性がないとは言えない、ということらしい。天気は最高!眺めは抜群。梅雨のさなかに、まだ恵まれた天候といえるんだけど、さすがに4時間の風待ちはじれる。

で、その間に思ったこと。
もう、テイクオフの真ん前だけでもいいから、くるくるした〜いっ!!バリオの音聞きたいっ、コア探ってブレイク引きたい、このサーマルいただきっていうあの感じを味わいた〜いっ!!朝霧に帰ったら絶対絶対気が済むまで回してやる〜っ(つっても、すぐに気が済むに決まってるんだけどね)

それなのに、無情にも週間予報はしばらく雲雨マークの行列。水不足懸念のおり、降るべき時の雨は歓迎すべきものなのだけれど。。。

夏のべたべたでもいい、鉄塔超えなくてもいい、ダミーがいなくても、多少混んでても、左回しでもいいから、サーマルコンで飛ばせて〜。


そうそう、今日は七夕でした。短冊に願い事を書いておこう。
 『早く くるくる できますように』


2007/5/6
不調

最近あんまり飛んでないせいか、体調不良のせいなのか、とにかく飛びの調子が悪い。いや調子が悪いというよりは、軟弱アラーム感度120%のうえに、ぜーんぜん、気持ちが入らないので、速攻降りし過ぎなのである。
この前、ちょっと南の強い日に、あまりにちんたら飛んでいたら、ぞうあざらし画伯に、『あの”流した”やる気のない飛びは、なんなんだよぉお〜』と指摘されてしまった。他人からみてもはっきりわかるくらいのいい加減さであるらしい。飛んでもなんか楽しくないし、降りると自己嫌悪だしなんだか悪循環で負のスピラルモードなのである。降りてからの宴会は、楽しいんだけどね。だんだんこうやって、ランディングの馬鹿話専門フライヤーになっていくのかなぁ。次に機体買い換える時は、ハイエンド1−2はやめて、バズZクラスのものにしとこうかしら。。。なんて考えたりして。

と、思っていた矢先に、久々に西富士一番のりして、てん−けな−もちやの三角+もちやほぼ2往復。気分が乗って軟弱アラームが正常稼働の時は、まあまあ飛べるのを再確認。パラというのは技術じゃなく、気持ちで飛んでいるものなのだ。

長いフライヤー人生の中に何度もこういうやる気のない時期があったけど、今度はうまく乗り切れるかな。まだパラでやり残したと思えることがあるから、そう思えるうちに早く脱出口を探さなくっちゃ。



2007/2/17
ラスベガス版「オペラ座の怪人」

ちょっと前の話だけど、ラスベガスに行って、ギャンブル一切しないで、ひたすらアトラクション回っていたので劇評をひとつ。ミュージカル「オペラ座の怪人」を観たことのない人は今回の話はごめんなさい、たぶん全然通じないです。m(_ _)m

ラスベガス版「オペラ座の怪人」観劇記(2007.1.1)

元々観る気がなかったのだが、上演ホテルであるベネチアンをふらふらしていたら結構大々的に宣伝していて、どうやらこのホテルのメインのショーであるような位置づけ。ホテルの面でもガンガン、THE PHANTOM OF THE OPERA の歌を流してるし、その歌がなかなか良い!思わずホテルの正面に立ち止まって真面目に聴いてしまった。
で、劇場チケットブースに行くと、明日のチケットが取れるというので即決で買い。チラシをみるとなんと、一幕ものになっている!!
「落としたシャンデリアどう、回収すんだろ?(あれって結構時間かかるはず)」
「マスカレード前の幕前の掛け合いを長引かせて、裏であげるのか?でもそれじゃシャンデリアが客席上にもってこれないし????」おまけに上演時間130分。ちょっと短くないか、これ?どこ切るつもり?


翌日、ベネチアンの劇場。ロビーが広くて良い。
ベラージオのオーもそうだったけど、日本の劇場もこのロビーの作りは見習って欲しい。劇場っていうのはロビーの広さが大事なんだっ!
という劇場評はおいといて、客席にはいってまず目につくのが、客席上空のUF0みたいな巨大な金色の輪っか。それが二つ斜めにぶら下がっている。シャンデリアは、もちろん最初は舞台中央にあるのでその派手な輪っかはなに?照明装置の一環か?さすがラスベガス版、いきなり派手な装置。プロセミアムアーチ(舞台の額縁?っていうのかな)も豪華絢爛。劇場左右の壁までオペラ座そのもののむっちゃ金のかかるセット組んでるし。(ちなみこのUFOはオーバーチュアでシャンデリアと見事に合体し、巨大シャンデリアを形成する)

二階客席に座ると後ろから男女の日本人客の話し声。どうやら関西人ぽい。
「オペラ座の怪人てどうやって暮らしてんのやろ」
「地下でネズミとかゴキブリとかたべたんのちゃう」
 (おいおい、勘弁してくれ〜)
「あ、もしかして湖で魚釣ってんのとちゃう」
地底湖で釣り竿たれてるファントム。想像すると面白過ぎっ。世界中どこへ行ってもこういう関西人いますよね(そういう自分も元関西人)劇団四季の劇場ではおよそ聞けないような会話だった。
しかし、ここの客層は観光客中心。こういうノリで当然なんだろう。きっと大半の客は、まるで昔ファントムがいた見せ物小屋にくるような気持ちでショーを観にくるのだ。

というわけで、ラスベガス版ファントムは、長い場面切りまくってスペクタクルなシーンみせまくるという実にエンタテイメント性重視のつくり。
初っぱなのハンニバルなんかほぼ長さ半分。他も長めの歌は後半カット。2幕の自動ピアノの練習シーンなんか丸ごとカット。演技も全然「間」がないっ!!
一例をあげると
〜一幕・オペラ座の屋上シーン〜
  クリス「大変!もう時間だわ さあ行きましょう」
    間
  ラウル「クリスティーヌ、アイ・ラブ・ユー 」
    間
  クリス「すぐに馬車を呼んでちょうだい 」

このシーンって四季版ではこの2つの間がとっても絶妙なんだけど、ラスベガス版では、間があるどころかもう全自動って感じで流れちゃって、情緒もへったくれもあったもんじゃない。

とはいえラスベガス版ファントムは、その歌の完成度やオケの安定感はさすがだし、(四季のオケはあんまりだ(>_<))、見せ場はたっぷりで面白い。クリスティーヌがファントムに惹かれて行く理由なんかも、その歌の素晴らしさ故に、彼女の芸術家としての魂がファントムにあらがえないのだということが納得できる感じがする。

私個人としては、情緒的な四季版の方がやっぱ好きで、特にラストのクリスティーヌが戻ってくるところでは、もう50回以上みてるのにたいてい泣いちゃう。
このシーン、なんでクリスティーヌの方は、あの場面でキスし、さらにその後せっかく逃げられたのに
戻ってくるのか?という解釈が、四季版では演じる役者によってかなり解釈が分かれて、演出自体も曖昧な感じを残して、でも哀しく美しいシーンになっている。
それに対してラスベガス版クリスは、とってもアメリカ女的で、「私のラウルへの愛はどんなものにも負けないわ」ってくらい挑戦的で意志の力を感じさせるキスシーンを披露し、対峙するファントムは、彼女の圧倒的な意志の前に“敗北”を認めたので二人を逃がした、って演技で、この場面、もうラウルなんてぜんぜん関係なく、ひたすらファントムVSクリスティーヌの様相で、敗北したファントムは「どうせ俺の負けだよ、行っちまえ、畜生っ」みたいにgo now and leave me! と叫ぶ感じも、四季版にはない、やけくそ感がでてる。
で、さらに追い打ちをかけるように、戻ってくるクリスティーヌが明らかに「振りなおし」に来るんだね、これが。(笑)大迫力のキスで自分の意志で、自分の選択はラウルであることを示し、さらにもう一度指輪を返して、さよならを宣言する。ラスベガス版クリスティーヌはそんな風に見えた。

四季版では、ここで観客席からすすり泣きの声がよく聞かれる。それって大半の観客はファントムの側にたって泣いているのだと思うんだけど、ラスベガスの劇場では、客席にそんな雰囲気があまりなくて、なんというか、物事がおさまるべきところへおさまって良かったなって、勝手な想像だけど、そういう空気だった。

良くも悪くも一流のショーであったことは間違いないラスベガス版ファントム、堪能しました。


2007/1/7
雑記帳

ぶ主連のHPを始めてから、なんとなく書きつづってきた雑記帳。
自分としては、このHPを管理してはいるけど、設立メンバー3人の共同運営だと認識しているので、個人的な雑感はここ以外にはのせず、ここもできるだけパラネタ限定にしてきた。ぶ主連設立から4年。その間にブログやらSNSやらが普及してきて、いずれそういうのに乗り替えて、もうちょっと手軽に更新できて、パラネタ以外もありにするかな〜と思い始めた。
本来、この手の雑感を言い出すと、ものすごい毒舌なので、止めどなく毒を吐いてしまいそうになるのだが、ここ(ぶ主連HP)はそういう場ではない、ということでこれまではかなり抑制してきた。(つもり)
でも最近パラ以外のことも含め、書き散らかしたい衝動があって、さてどうしたものかなぁと思案中。ある知人が、自分の色恋沙汰も含めかなり赤裸々なブログを書いていたことがあって、よくここまで恥ずかしげもなく(失礼!)私生活さらせるなぁと呆れつつも、ある種の羨ましさも感じていた。激情にかられてカキコしてしまい、あとから“あれ、やばかった!”と思っても後の祭りで、あちこちで叩かれたり、炎上とかということがよくあるけれど、自分も一歩間違えばそういうこと招きかねない性格だと思う。4年間ネット上での攻撃にあわず、平和にやってこれたのも共同運営の抑止力と良識あるぶ主連メンバーのおかげでだと思うので、今のスタンスを変えたくはないのだけれど。。。
そんなわけで、2007年からの雑記帳は衣替えしようかなぁなんて迷ってるうちに、正月も終わって扉絵の掛け替えとなってしまったので、とりあえずこのままのスタイルで続行。
3連休なのに、強烈低気圧と風邪で飛びに行けないのでゆっくり考えてみよう。


2006/12/26
冬の大雨

クリスマスも過ぎたというのにちっとも冬らしくない。例年、東京にだって12月中、1回くらい雪やみぞれくらいは降るのに、夏みたいな大雨。新宿駅は雨漏りしてるし、あちこち冠水してるし、なんか季節感違う。これくらい強烈な低気圧が発生したら、この時期には、大雪警報になるはずなのに、暴風波浪警報だって。台風か?
温暖化だのエルニーニョだのいろんなことが言われてるけど、ホントのところどうなんだろ?少し前にTVで、ヨーロッパのスキー場に雪がないってニュースが流れたので画面をみたらベルビエだった。あのあたりの気候もどんどん変わっていっちゃうのかな。Tは環境問題に問題意識があるというわけではないので、ペットボトルは買いまくるし、ゴミの分別もいい加減だし、車の運転もふかし気味なんだけど、飛び慣れた朝霧の冬があがんなくなったり、高温多湿で雨ばっかりでぶっ飛びもできないようになったりしたら、絶対ヤだっ!!

異常気象という言葉がすでに『異常』でなく『通常』みたいになってきたけど、このみょーに暖かい冬が本当に『異常』気象で、また”いつもの季節”が帰ってきますように。そしてすべてのフライヤー達に良い風が吹いて、みんなが怪我なく楽しく飛べますように、いろんな事情でエリアに来れないぶしゅ達がまたテイクオフにたてますように。クリスマスは過ぎたけど、これが私のCHRISTMAS LIST でした。


2006/12/10

珍しく家に籠もっていた週末


本当にものすごく久しぶりに、家から出ない週末を過ごした。三食とも家でダンナと食べたり、テレビのザッピングしたりなんもうて、どのくらいしてなかったか思い出せないくらいだ。ここのところ寒い地方への出張が多くて、行くたびに風邪気味でマイっている。年末年始にちょっと余計に休みをもらう予定なので、今月は病欠しないように慎重にしているんだけど。

一昨日行った場所は吹雪だった。雪が真横から降っていた。わずか数百メートル先のビルまでが、ものすごく遠かった。関東に住んでいると、冬も飛べるし、別に交通が不便になるわけでもないので、つい全国的にみんなそんなもんだと思ってしまうが、これから三ヶ月も四ヶ月も、雪の中で暮らして、ずっと飛べない人がいっぱいいるんだろうと思うと、混雑した朝霧に遠くからくるビジターさんにサーマル譲ってあげようと思った。


2006/12/9

女友達とのその後



機体歴9機目にして初めて性別「F」のマンブーちゃんが相棒になったのは、去年の秋。早1年と数ヶ月。その後二人の関係はどうなったのか(過去の経緯は2005/12/25の項参照)

予想では春か夏頃までには、親密な関係になって”会話”が成立するんじゃないかなと思ってたんだけど、冬には北西の爆風にやられ軟弱アラーム鳴りっぱなしでマンブーちゃんともおそるおそる接するしかなかった。サーマルの風下側で流され気味になるのもどうしても修正できず、外しっぱなし。

渋いコンディションのF1朝霧では前山の経験値だけで勝負に出たらそれがあたって望外の好成績だったけど、もっと浮くはずのマンブーちゃんの性能出し切れずじまい。
F1赤岩・F1笠置では、ちょっと激し目のサーマルでピッチが押さえきれず弱気でベタ降りの退却〜。
ニセコはほどよいサーマルで気分良く飛べて根拠レスの強気で少しはましな感じだったけど、そのあとの大佐、夏のスペインツアーあたりでは、自分の心身不調でマンブーちゃんの声を聞く余裕もなかった。
なんか行き詰まり感があったけど、ここでやめたらもう飛べなくなるんじゃないかと、ホームの朝霧に戻って、湾内プラプラを無理矢理続けていたら、いつの間にかマンブーちゃんとの間にあった違和感のようなものも感じなくなって、まあ、乗りこなせてきたというよりは、単に感覚が慣れてきたというか、下手は下手なりにスタイルが定まったと言う感じになってきた。
心身不調もNASA・五竜・付知と無理無理F1参加を続けているうちに、なんとなく”上手くつきあう”ことができるようになって、そのせいかどうかはわからないけど、強めのサーマルを押さえ込めるようになって、気がつくとマンブーちゃんに少しは”モノが言える”状態に。それでも気まぐれレディのマンブーちゃんは、こっちが手を抜くとすぐにご機嫌斜めで、ラフに接すると「ちょっと今のはないんじゃな〜いっ」と抗議されてしまうのだ。
秋になってきくきく先生にグラハンをやれと言われ、マンブーちゃんを連れていったら、ぜんぜん歯がたたず、彼女の反応スピードに、Tがついて行けてないのが一目瞭然。まだまだ”関係改善”の余地があることがわかった。

マンブーちゃんとは、今までの性別「M」の機体と違って、勝手にのぼせあがったり、運命的相性ですべてを乗り切ったり、一方的に守ってもらったりということはない。もっとクールに、緊張感をともなって、常に距離感を計りながら、相手の”仕事”とのレベルを合わせながらのつきあいなのだ。
さて、朝霧は冬のサーマルシーズンを迎え、いよいよ本番。「女友達と過ごす冬も悪くない」と後から思えるシーズンにしたい。



2006/9/22

最近のことども



F1友達つながりのTぐっちゃんが、「ひぐらしのなく頃に」にが面白いと言うので、バンダイチャネルのネット配信の無料モニター分だけながめたところ、あまりに”こわおもしろい”ので、1話105円で最初のシリーズだけ観ようと、ついつい有料会員登録をしてしまったら、そのままずるずると、105円を払い続け、結局配信されている全話みる羽目になり、こういうネットの罠にはまることこそ現代の恐怖だなぁ、などと反省していた。しかし反省したのは一瞬で、”おやしろさま”にとりつかれたごとく次々、他の配信アニメものぞいていたら、「サクラ大戦」の頁に偶然飛んでしまい、ひさしぶりにあのオープニング曲「檄! 帝国華撃団」のさわりを聞いてしまって、つい一緒に歌ってしまったら、全部そらで歌えることに気づいて、ちょっと嬉しかったので、だんなに「ねぇねぇ、サクラ大戦の歌、歌える?」って聞いたらそもそも知らなかったらしいので、「えーっ!!知らないのぁ?名曲なのにぃ」と全部歌ってやったら、呆れた顔されて(当たり前か。。。。)、「なんで、そんな無駄な音楽データはしっかり頭に入ってるわけ?」と言われてしまった。この前、アニソンカラオケ会なるモノが開催されて、そのときも30年前の(「宇宙少年ソラン」とか「バロムワン」とか)だって歌える!!と思ったんだけど、どうもTの頭にはアニソンの音楽データが大量に、(普段何にも使わないのに)しかもかなり良い保存状態で残ってしまっているようなのだ。(おまけに画像付lき!)


会社の隣に座っている同僚というか部下みたいな女性に、ほぼ強制的に竹中直人の「恋のバカンス」のDVDセットを貸し出されて、その1巻目をみていたら、懐かしいトックリブラザースやナン男のコントのあいまに、オフィスの怪談的なコントがあり、94年(番組放送当時)頃の普通のオフィス風景が映っていた。で、なんかオフィスが妙にすっきりしているような印象を受けたので、なんでかなぁ?としばし考えていたが、すぐに、机の上にパソコンが一切ないからだと気がついた。たかだか十数年前なのに、仕事のやり方がすっかり様変わりしてしまった事実に愕然とし、そして、パソコンのない時代にいったいどうやって仕事をしていたのか、まったく覚えていないことにさらに驚くのだった。


ウチの近所(三件となりとか、斜め裏とか)は、最近、家の建て替えラッシュらしく、どんどん家が解体され、更地になっている。自宅前の路地に入る角の家が両方なくなって、タクシーで帰るとき、危うく曲がる場所の指示を出し損ねそうになった。いったん更地になってしまうと、風景が変わったことだけが印象付けられ、そこにどんなモノがあったのかは、ほとんど思い出せない。


ダンナは「頭の中の無駄なアニソンデータ、消したらもう少し最近のデータとか、必要なことの保存ができるようになるんじゃない」というが、もしそんな便利な機能があるなら、とっくにそうしてる。とはいえ、過去のアニソンデータとそれに類するモノを全部デリートしてしまったら、それはもう”自分”ではないともいえるので、デリートじゃなくて圧縮とかそういう方法で、新規データの保存場所確保ができたらいいのにと、思うのであった。コンピュータの性能はもういいから、脳科学で人間の方の能力あげる研究がすすまないかな。なんてことを考えている今週は、スカパー!で攻殻機動隊の再放送をみていたりするのだな。






2006/8/22

 スーパーマン リターンズ(ネタバレあり)

 
    

前言撤回。
窓辺に空飛ぶ男がやってきたら、やっぱり一緒に飛ぶことにします。恋してしまいました、空飛ぶ男に。

最高です!『スーパーマン リターンズ』
よくぞこのような映画を、今時作ってくださいました。

子供は観なくていいです。20数年前のシリーズの頃、胸をときめかせた人が思いっきりノスタルジーにひたりつつ、難しいこと考えず”あの頃”の思いとだぶらせて楽しめばいいんです。

オープニングで、ジョン・ウィリアムズのあの曲が流れて、、そして全作と同じスリット・スキャンによるスタッフ&キャストがで、鳥肌たって、わけのわからない感激でもう泣きそうになっちゃいました。

あの頃は、このオープニングの技術にすら感嘆したものです。(どんな低予算映画でもCGが当たり前の今となっては昔話ですね)
これだけでもう気持ち入っちゃってるのに、今回の『 リターンズ』は前作の踏襲が随所にあって、スーパーマンが最初に活躍する場面(前作ではロイスの乗ったヘリ、今回は飛行機を救った後)でいう科白までほぼ一緒なんですね。
「これ(ヘリもしくは飛行機)は安全な乗り物ですからどうか嫌いになったりしないでください」
しかも、スーパーマン役者ブランドン・ラウスの端正なこと。クリストファー・リーヴも完璧でしたが、1作目からすでに成熟した大人の感があったのにくらべ、ブランドン・ラウスはまだどこか青年みたいな感じで、すっきり美しいです。敵の自称天才的犯罪者・レックス・ルーサーの情婦キティが、スーパーマンの注意をそらすためにわざと事故を起こして助けられるシーンがあるんですが、スーパーマンに抱きかかえられて病院に空中搬送してもらって、一発で落ちちゃったわって表情をします。で、スーパーマンが、もうダメかと思われる最大の危機の時に、ついレックス・ルーサーを裏切って助けちゃうってとこの伏線(というほどのことでもないけど)になってるんですが、たとえキティでなくても、あんな風に助けられて、あの限りなくピュアな微笑みを向けられて、それで落ちなかったら女じゃない!!と言いたいです。

前作でもっとも有名な、大都会の夜空のデートのシーンは、あれで女を口説くのは反則技だってくらい、素敵でした。14歳のTも100%いかれてしまいました。そして、40歳を超える今になって、ブランドン・ラウスの陰にクリストファー・リーブを見ながら、すっかり14歳の恋する小娘に戻っていることに気づいてしまいました。
そうです。もうこれは恋と行っても差し支えありません。 やっとわかりました。今まで、いろんな人にどんな男が趣味なのかって聞かれて、いつも答えがみつからずごまかしてましたが、Tは空飛ぶ男が好きだったんです。
こんな気持ちにさせてくれるなんて、映画って本当にいいですねって、水野晴夫みたいにまとめるつもりはないんですが、まあとにかく、これだけときめかせてくれた映画は本当に久しぶりです。

もちろん冷静に映画を批評するなら、いろんなこと言えますよ。つっこみどころ・矛盾点満載のストーリー運び、アメリカの国策映画云々、スーパーマンの神格化(あきらかにジーザス・クライストのイメージ重ねてます)、子役が可愛くないとか、子供には見せられない暴力シーンがあるとか、ロイスの人物造形がなってないとか、前半のもたつき具合とか、スーパーマンがストーカーまがいののぞきをしていいのか(笑)とか、そもそも911後の世界になぜ単独ヒーローものなのか、とかね。でも、そんなことは、どうでもいいんです。映画というのは人を感動させてなんぼです。人々の心のなかの何かを揺さぶり、明日を生きる糧を与えるものなのです。そういう意味ではTは、本当にこの映画から大きな活力もらいました。


おまけに。。。
それにしてもジョン・ウィリアムズは本当に偉大な作曲家です。彼の音楽がなかったら、スターウォーズもスピルバーグの主要作品(ET、ジョーズ、インディーションズ)もそしてハリーポッターさえ、テーマ曲とあれほど密接に結びついて、最初のワンフレーズを聞いただけで、興奮させられるようなことはなかったでしょう。彼の音楽が、どれほど人々の作品の記憶定着に貢献していることか!どんな偉大な映画監督もかなわない仕事だと思います。宮崎駿作品が久石譲の音楽と切っても切れないように、ハリウッドのエンターテイメント大作にジョン・ウィリアムズは欠かせません。マンネリでもいいんです。スーパーマンとスターウォーズのテーマが、途中で頭の中でごっちゃになったりしても、いいんです。映画に必要な、オープニングタイトルでの期待感・わくわく感をこれほど与えてくれる作曲家はいません。もし、新しい『スーパーマン』に続編があるなら(金がかかりすぎて続編制作は難しいという噂(T_T))ぜひとも、音楽はこのままジョン・ウィリアムズで続けて欲しいモノです。

というわけで、ぶ主連HPの更新はありませんが、異例の雑記帳更新でした。

2006/6/25

 スーパーマン
 

週末M:I−3を観に行ったら、8月に公開される『スーパーマン リターンズ』の予告編をやっていた。

スーパーマン 。スクリーンで観るのは何年ぶりだろ。Tにとってのスーパーマン映画は、1978年のクリストファー・リーヴ 版。当時、14歳のくせに一人で劇場に出入りするようなマセガキだったTが、珍しく大勢で観た映画だった。あのころ、映画のサークル(それも社会人が中心の)に所属していたのだが、サークルの幹事の一人が『日本人もこういう映画は、黙って静かにみてないで、アメリカ人並に騒いで楽しんでみよう!!そして出来が良かったら拍手を送ろう』と言い出し、数十人の団体で、銀座のセントラルに繰り出した。コーラとポップコーンを買って、劇場の真ん中を陣取り、思いっきり楽しんで観た。クリストファー・リーヴは伝統的な完璧なスーパーマンの容姿で、もうこれはスーパーマン以外の何者でもないってくらいの出来だった。優雅に飛びたち、自在に空を駆けめぐり、軽やかに舞い降りるその”飛ぶ”姿がため息モノだった。そしてロイスとの夜空のデート、あのシーンにどれだけ憧れたことか。窓辺に空飛ぶ男がやってきて、ふわりと連れ出してくれることを夢にまでみた。

思うにこの時すでに飛ぶコトへの潜在的願望があったんだろうな。
その日から、20数年を経て、Tは空を飛ぶ願望を実現できた。今、もし窓辺に空飛ぶ男が現れたらきっとこう言うに違いない。『一緒に飛ぶのも素敵だけど、できたら一人で飛びたいから、その空飛ぶマントを貸してくれないかな』


     ※注)スーパーマンが空を飛べるのはマントの力ではありません、念のため。
2006/5/28
 おでかけの準備

今年は遠いところに飛びに行くことが多い。GWの鏡山、ニセコ、それから夏のスペイン。遠くにそれも安くかつ身軽に行くのには、それなりに準備が必要で、平日多忙なTとしては、その諸手配がやっかいである。安い航空券の手配、出張とたまたま重なりそうな時は業務予定との調整、機体の事前送付、送り先の確保、陸路の乗り継ぎ調べ、現地の足確保、直前になれば荷物の軽量化などなど。Tはお仕事が事務屋なので、その手のことが苦手ではないけれど、面倒なことにかわりはない。やっぱりパラツアーは、荷物をどんともっていける車がいい。でもなぜか最近遠くに行きたい気分なのだ。(現実逃避モードかな?)

さて、次のイベントはK塾スペインツアー。ヨーロッパは何度か行ってるけどピレネーを越えるのは初めて。前々からスペインにはパラ抜きでも一度行ってみたいと思っていたので事前にガイドブックなんか買っちゃって、一人観光気分に浮かれている。

海外パラツアーの準備といえば、毎度ノリを上げるためにだいたいそのツアーの個人テーマ曲を密かに決めて、ツアーのフライト中頭の中で歌ってみたりしてるんだけど、今回はこれに決めた。

   The Impossible Dream (邦題:見果てぬ夢) 〜 ミュージカル『Man of La Mancha』より〜

この曲は、20年前には高校の音楽の教科書にも載ってたくらいなんだけど、ぶしゅ連の人で、知ってる人はあんまりいないだろうなぁ。スペインといえばドン・キホーテ、そしてその作者セルバンテスの話と劇中劇としてドン・キホーテの物語をミュージカル化したのが『Man of La Mancha』。日本では松本幸四郎が『ラ・マンチャの男』のタイトルで、もうかれこれ35年くらいやっている。Tは中学生のときにこの舞台をみて、そして思いっきりはまって、それはその後の就職にまで尾を引いてしまった。まさに”人生を変えた芝居”というわけ。

で、どういう内容の曲かというと、タイトル通り、叶わぬ夢・極めがたい道・届かぬ星を求め続ける男の歌で、曲自体はのりも良くないし歌いにくいのだけれど、芝居の中の曲としては限りなく感動的な1曲なのだ。ま、だからといって、フライト中に、風車に突撃したドン・キホーテよろしく無謀なサーマルに突っ込んだりはしないけど、飛び続けることを勇気づけてくれるものであることには間違いない。目下Tは、まだまだ心のリハビリ中なので、ささやかでもこういう”精神的サポート”が必要なのだ。

ということでもし興味ある方は、歌詞全文をみつけましたのみてみてください。

http://www.venus.dti.ne.jp/~shigerui/dream.htm


久しぶりに曲全部を思い出したら、この曲はTより、K塾長に捧げた方が良いような気もしてきた(^o^)

2006/2/9
 祝3周年&ぶっ飛びの日

ぞうアザラシ画伯が、仕事ぎゅうぎゅう詰めの中、ぶっ飛びの日にあわせて、3周年記念イラストを送ってくれました。画伯、いつもありがとうございます。m(_ _)m
親方が付けてる小さな羽は、ぶっ飛ぶのにはちょうどいいかも。今週末は、久々に朝霧の古株連中の集まるイベントがあって、御殿場ビール園で飲めや歌えやの大騒ぎ。きっと翌日は二日酔いぶっ飛びが続出するはず。天気も良さげだし楽しくなりそ。ぶっ飛びの日は2月10日でなく2月12日だという説もあるので、日曜は堂々とぶっ飛びましょう!



2006/1/30
 もうすぐ3周年

あっという間に3周年。T個人としては、なんだかあんまり(というか全然)進歩のないような感じのする3年だったけど、回りのフライヤーの顔ぶれや、エリアのスタッフや、みんなが乗ってる機体なんかが変わっていて、やっぱり時間はちゃんと流れているんだなぁとあらためて思ったりする。出会った人、去った人、近しくなった人、遠くなった人。ぶ主連活動のせいか、出会った人の方が多いような気もするけれど、忙しすぎたり、環境が変わったりで遠のいてしまった人も結構いる。

世界制覇!を掲げる(?)ぶ主連としては、これからまだまだ新たなぶしゅとの出会いを求めて行くことになるのだろうけれど、いまでも十分楽しいからこのままの状況がずっと続けばいいのと思わないでもない。

ここんとこ風邪気味&お仕事ストレスでちょっと感傷的な気分だけれど、きっとぞうアザラシ画伯が、そんな気分なんか吹っ飛ばしてくれるくらいのイラストをくれるに違いない。早く完成しないかな。

2006/1/14
 ぶしゅ 北風に好かれてとほほ

年末年始、ひたすら朝霧しているのだけれど、どうも北風(しかも爆風)にまとわりつかれることが多くて困ったもんだ。

とほほ その1
12/31 つまり飛び納めの日。北東風という猪の頭では珍しいコンディション。出てでられないことはないし、サーマルトップは高いし、悪くなさそうなんだけど、でもなんだか怪しい。稜線に出るのにちょっとビビッて、湾内でおとなしくしてようと思ったのだけれど、上空があまりに良い感じで、沖も問題なく上がる感じだったので、片道切符のつもりで、前山から世界地図にチャレンジ!ショップくらいまでは全然落ちなくて、風も弱くて、これならラクショーってどんどん走っていったのだけれど、講習会場過ぎたあたりから、沈下が大きくなってきて、高度が落ちるにつれ強まる北風。アリーナあたりで、これは猪の頭には帰れないと覚悟を決めて、でもせっかくだから世界地図までいっちゃえーと頑張ってアクセル踏んでみても、落ちるばっかですすまない。世界地図はもう足下。真上まで行きたかったけど、なんと書いてある『全人類に愛を(だったかな?』みたいな文字まで読める高さになっちゃって、このままではアフリカ大陸に上陸してしまうと思い、やむなく諦め帰路に着く。講習会場くらいは軽く届くはずだったのに、なんとマイナス3−4で北向いてスピードは一桁!!大晦日にアウトランとかヤブチンは避けたいと、早めにターゲットをアリーナに定める。アリーナ上空200mくらいで北を向くと、おっ!垂直降下。最初アリーナの真ん中くらいにいたのが、あらら、もしかしバックしてる?北風は高度が下がるほど強くなり、これ以上強くなったらアリーナの南の端超えちゃうよって感じ。強いだけで荒れてなかったので軽くアクセルに足かけてなんとかバックを食い止めて、最後は結構早い垂直降下を飛び降りるような気持ちでランディング。南のフェンスまであと10mくらいのポイントでした。
あまりの爆風で機体もたためず、回収にきていただいたN野おじさまに助けていただきなんとかデカバッグに押し込みました。片道切符どころか、スイカ残高不足で自動改札で捕まったような飛びでした。

とほほ その2
1/2 つまり飛び始めの日。気圧配置からいって明らかに北西強めになるはずなのに、なぜか曇って南風が穏やかな猪の頭。穏やかすぎてつまんないかも思いつつも出て、ヨワヨワサーマルを回してるうちに、夏の雲みたいな薄〜い雲がやってくる。ホント、夏みたい、と雲よけよけしながら、でも落ちないように雲のヘリで調子に乗って一人上げして悦に入っていると、高度はいつの間にか前山1600。数分後、突然雲がなくなった、と思ったらあっという間に風が怪しくなって、風向き急変。やばっ、おろさなきゃ、と思ったけど翼端折っても上がってる!!やっだー、Tが一番高いじゃん、ってことはおろすのに一番時間かかるってこと?マンブーちゃんは、ちょっと軽めで乗ってるから降ろすのが結構大変。だんだん荒れてくるし、気持ちは焦るいっぽう。手が痛くなるまで翼端折り続けて、なんとか無事にランディング。今朝、ちゃんと猪の頭の神様に初詣して安全祈願したのになぁ。テイクオフして20分足らずの、天国から地獄の初フライトでした。

とほほ その3
1/7 K塾のイベント初日。北風コンディションだけど、もしかして朝霧マジック?かなって感じの日。大勢のK塾生で前山の混雑必死なので、早めに出て上空待機。前山のサーマルはいつもより簡単!大勢で回して、テイクオフ真上で1500。スタート時間が近づいたので、渡り廊下に出てみると、なんかいつもと違って、気持ち悪ーい感触!やばっ、もう北西はいってきちゃったかな、でもそんなに強くないんだよね〜、一応競技やってる気分だから、なんとか西富士のスタートパイロンとりたいんだけどなぁ〜、おっと、西富士に突っ込んだS江くんの機体が派手に回ってる、こりゃ後ろはかぶってるよね、ちょっと前山で様子見しよっと、思ったら、前山上空も荒れ荒れになってきて降ろすに降ろせない状況に。慌てて翼端折ってランディング上空を目指すも荒れすぎててコントロール不能。猪の頭で北の強風に急変するのは、ありがちなことだけど、こんなに急激に短時間に変わることっていままでない。機体は翼端折ってもアコーディオン状態でビヨンビヨン。、ピッチングも激しーなー、失速したりしないかな、おっと今度は半分つぶれそ、翼端折ってこれだから開いたら怖いよなぁ〜、ようやく機体が降下し始めたーーーーーーけど、バックしてる。それも結構な速さで!!!
アクセル、荒れてるから踏めない。つぶれて落ちるよりはツリーの方がナンボかましじゃ、と後ろをみると杉の木の小さな林。。じりじり迫る杉、ここでツリーしかないのかな〜、20m以上はあるな、この木。ちょっと横によければ、数mの枯れ木のヤブチンで済むんだけど。。。。ちょっこっとくらい横にずらしてみても大丈夫かな〜、あーでもすぐ横で高度50mくらいでつぶれてる奴もいる、どうしようどうしよう、そろーっと体重左にいれてみる、あ、大丈夫そう、でもやっぱバックしてるぅううぅうう〜、と、ひくーいヤブにふわっと降りたのは良かったんだけど、機体だけ2−3mくらいの木の後ろにいっちゃって、まだ半分機体生きてて、ヤブに磔状態に。足もついてるので木をばきばき言わせながらライザー引っ張って、ハーネスはずしたけど、軟弱もののTはすぐに無線で救助を呼びます。幸い親切なお友達がすぐに5−6人きてくれて、機体も本人も無事でしたけど、無事じゃなかったのはTの軟弱アラームセンサー。目下、アラーム大暴走で、当分風速3m以上では飛べそうもありません(T_T)

誰か北風の魔よけとかもってないのかな。
なんとも激しい2006年の幕開け。果たして今年のフライトの行方はいかに?!

2005/12/25
 新しい相棒

以前、機体を乗り替えるのは男を変えるのに似ているという感想を書いたことがあったけれど、なんと今度の相棒マンブーちゃんは女なんだな。(NOVAファンの皆さん、これはあくまでTの100%主観的印象なので気を悪くしたりしないでくださいm(_ _)m )

いままで乗ってきた機体に性別をつけると、全部男だったのだけれど、機体を受け取り1本目を飛んだ時、直感的にこれは絶対女に違いないっ!!と確信したのだ。

実はTは、飛んでるときに理論的なことはほとんど考えてない。K塾で教えてるサーマル回す時の1−2−3−4もほとんどわかってない。でも自分でも回すのはそんなに変じゃないと思っている。
マンブーちゃんが上手く乗れなくて、困ってミヤターに泣きつきにCOOへ行ったら、ミヤターも特に問題なく飛べてると言ってくれた。(*^^*)エヘッ!

話がそれたが、じゃ何考えて回してるのかというと、上手く言えないけれどキャノピーが行きたい方に動かしてやるし、キャノピーがしたいように、常に彼(または彼女)の要望に忠実に応じているだけなのだ。たぶん機体というのは本質的にあがりたいのだ。(とTは勝手に思っている)だから、機体がどうしたいのかをよ〜く耳を澄ませてその通りにしてやるのが良いのだと(やはり勝手に)思っている。新人妖怪コメコメはよくそのことを『機体と会話する』と言っているが、Tの場合は、こちらからもお話する会話ではなくてあくまでご要望をお伺いするという感じなのかな。早くこちらからも機体さんに『できればこうしたいんですが〜』と言えるようになれたらいいんだけど。。。

で、今回あらたな相棒の声に耳を澄ませると、どうも勝手が違う。
元彼アルタックス君の後継機なので、同系な性格なのだと思っていたら『もう、ちっともわかってないのね。それじゃ全然だめ!あたしはもっと繊細なのよ、そんな操作じゃ飛んであげないわっ』と、すねてご機嫌斜めなのだ。なんというか、潜在能力は高いが上手く使わないと仕事しない有能なキャリアウーマンみたいな感じなんだな。

ふ〜む、これは困った。Tの適当でラフな飛び方だとだめなんですね、じゃちょっと接し方変えてみますから少し時間ください、てな感じで、現在新たな関係を構築中。

はたして女同士の友情は、男女関係を超えられか?!結果は・・・来年の春くらいまでお待ちください。

2005/11/3
 かなり久々の更新
雑記帳を読み返すと、PCの不調で更新が滞るというのが『よくあるコト』であるのがわかる。今回はPCが不調を通り越し、完全にお亡くなりになってしまったので、復旧にとてつもない時間がかかった。でも4ヶ月も更新できなかったのはたぶんそれだけが理由ではない。出張続きで仕事も忙しかった。確かにそれもある。しかし本当の理由は、おそらく『気分』的問題なのだ。

2004年8月におフランスで事故に逢い、2005年2月に再手術。身体的リハビリは、少しづつ進展しているとはいうもののおそらく完全な機能回復は望めないという事実を認めないわけにはいかなくなってきた。フライトも無理して早く復帰したものの、予想外に心のダメージが大きくて、その手の病院に行ったり、薬物に頼ってみたりとあがいてみても、やはりリハビリには時間がかかり、なかなか”元の感じ”にはならない。5月くらいまでは、全然だめだめで飛ぶたびごとに『今日もだめだった。。。』と人知れずしょんぼりしていたのだ。

ほんの少し出口が見えたのが6月のニセコのF1で、このときはファーストパイロンのセクターアウトというドジがあったものの、あれ以来久しく感じなかった”今の自分の限界点ぎりぎりまでの飛び”がちょっとだけ見えた充実感があった。大会参加の思わぬ効用だった。ニセコではわずかな光が見えたと思ったが、夏場にF1はほとんどなくて、8月はほとんど飛べない状態か飛べてもぶっ飛び続きのコンディション。

それでも、1本1本なるべく怖いことにならないように慎重に飛び続け、結局は自助努力で慣れるしかないのだと自分に言い聞かせ エリアに足をむけた。ぶ主連のHPは、ぶっ飛びでもネタさえあればOKなのだが、気分が沈滞しているとネタも拾えない。更新意欲は下がる一方。そんなこんなで4ヶ月があっという間に過ぎたのだった。

秋になって腕のリハビリに少し進展が見え、日常生活にほぼ支障がないまでの状態になった。朝霧の雲底も次第にあがりだし、気分的にもかなり楽に飛べるようになってきた。まだまだ完全とは言えないけれど、機体も変えたし、ちょっと気合い入ってきた感じ。ま、機体変えたことで少し後退した部分もあるのだけれど、それは一時的なものだと自分でもわかっているし、なにより乗りこなせるようになれば(あくまで仮定だけど)性能でてる機体であることは明らかなので、いまのところ前向きな心境なのだ。

というわけで、4ヶ月のあいだに新たにお迎えしたメンバーの方がいらっしゃるので、まずはメンバー表を更新。このあと更新ペースがどうなるかは今はなんとも言えないけれど、最近土俵が放っておいても盛り上がっているし、親方の復帰も近そうなので、無理せずやって行こうと思っております。

2005/7/3
 出張グルメな日々

なぜか4月以降、出張が相次ぎ1週間まともにオフィスにいたことがない。ウチの会社の小口精算は月に1回。旅費の立替額も2ヶ月続けて20万円を超え、さすがに手元の資金繰りに苦慮する日々。財布は痩せていくのに、行く先々で『美味しいモノ』を求めてしまい体重は増える一方。長崎でチャンポン、佐世保で佐世保バーガー、博多・札幌はご当地ラーメン、福井は回転寿司、名古屋はきしめんに名古屋コーチンに世界の山ちゃん、広島は言わずと知れたお好み焼き、仙台は牛タンと鼎泰豊(ディンタイフォン)の小籠包、まだまだあった気がするけど忘れてしまった。。。

途中、GWに『K塾』大食いフライトツアーやF1ニセコ北海道食べ尽くしツアーなんかもあり、旅グルメは途切れることなし。お腹が”B8”状態はなにもB8くんだけではない。さすがにちょっと反省し、ここしばらくプチダイエットモードに入ったがもはや手遅れか?!『ぶ主連』の男性陣はろうたんさんやMヤンが、ダイエット成功してるのだけれど、意志薄弱なTにはちょっと真似できないなぁ〜

2005/5/22
 病院通いな日々

左手首関節の障害治療のために再手術をしたのが、2月16日。折れてない骨を切って短くしてつないで、関節再整形して、という結構大げさな手術になってしまった。手術を挟んで3週間ほど入院したので会社を休んだ。2月末に会社に行ったら、行政関係業務の年度末ということで、仕事がすンごいことになっているのに、厳重なギプスのせいでキーボードは早く打てないし、電話も右手でしかとれないから、話ながらパソコン打つことができなくってとにかく能率が悪い。
さらに、会社が新ビル建てて全社移転が3月末というから、そりゃもう大騒ぎな状況。土日出勤・終電帰宅、ついには家に帰れずビジネスホテル泊まりなど、今の会社に入ってからは経験したことないくらいの長時間労働が続いた。
考えようによっては、春のサーマルシーズンの飛べない日々が仕事で埋まって、退屈せずにすんだので、その意味では良かったのかもしれないが、飛ばずに会社に行き続ける日々がかなりストレスになっていたのか腕以外もあちこち故障し、眼球の血管切れるし、原因不明の咳は止まらないし、腰痛は酷いし、微熱・頭痛は頻発するしで、整形外科・内科・耳鼻科・眼科・整体とすっかり病院通いな日々となった。
5月になって殺人的だった仕事が少しは落ち着いて、朝霧通いを再開したら、あら不思議。全部とは言えないけどほとんどの症状がマシになったじゃないですか!やっぱ健康の為にも飛ばなくちゃな〜。とはいえ、飛びすぎは虚弱体質のTには疲労蓄積をもたらすので、まだしばらくはほどほどにしておきますか。


2005/2/6
 おふらんす入院記
 ついに完結

いつも書き始める前は、今度こそ、さくっと短く書こうと思うのだが、、書き始めると、あれもこれもと欲張って、ついついダラダラ長くなってしまう。本質的には他人にみせるためではなく自分の記憶保持のための文章だからべつに構わないんだけれど、今回の『入院記』。今までの中で一番「面白い!」と多くの方からご支持をいただいてしまった。やはり、フライトネタより自虐ネタ。ハッピーストーリーよりは不幸話のほうが、他の人には面白いらしい。
しかし、書くのは勢いがつかず、一気にいかないのでどうしても遅くなってしまって、だんだん億劫になってくる。おまけにこの間、リハビリの頓挫、再手術のための入院決定、その間の仕事の前倒し片づけ、休み中の業務調整等などで、お気楽Tとしては珍しくブルーな気分の日も多かったのだ。

今、半年前のおふらんす入院体験を思い出すと、それ自体はそんなに憂鬱な記憶ではない。もちろんこの入院記を読んだ人から「楽しそうだね」とまで言われてしまうと、「いやー、それほどでも。。。」と言いたくなるけど(^_^; 心の半分で珍しい体験を楽しんでいたことは認めざるをえない。

今週から三週間ほど入院、再手術となる。今年のクロカンシーズン中のフライト復帰は難しいだろうな。そのことを思うとちょっと気が滅入ってしまうのだが、三週間分の仕事の片づけでゆっくりと落ち込んでもいられないのだった。


2005/1/11
 とりあえず
 扉絵だけ変更


松も取れたというのにいつまで年賀バージョンの扉絵なんじゃ!
と、K嬢から怒られてしまったので、更新ネタがないけど、TOPページいじってみました。だって、この3連休8・9・10日と、ずっと朝霧してたんだもん。『K塾』ののんびりコースに混じらせてもらって、どっぷり3日間とびました。でもな〜、軟弱アラーム全開ですぐ降りちゃって、アドレナリンがでるような飛び方できないから、本人としては不完全燃焼ぶすぶす。
(-_-)

「機体はあがるんだけど、気持ちがあがらないのよね〜」って言ったら、「バリオの高度と連動するアドレナリン注射でもすれば」と某氏。ふむふむ、それはなかなか面白いアイデア。「でもF1で、ドーピング疑惑もたれて、失格になるかも」だって。

マジメな話、この3年くらいバカがつくみたいに、飛べる週末は何をおいても飛んでたから、怪我のブランクによって勘が鈍ったとかそういうことはあんまり感じないけど、気持ちの後退度は甚だしくて、たぶん4−5年前のレベルだな。あのころは、30分も飛べばもう十分って感じで、西富士行ければ宝くじにあたったくらいラッキーって思ってた。さて、この4−5年分の後退は、どれくらいで戻せるんだろ。それともある種の変質を伴って、完全に元通りってことにはならないのかな。ま、元の通りってことでなくて、もう少し成熟したマシなフライヤーになれれば、そのほうがいいのかもしれないけど。。。


2005/1/1
 今年最初の更新

あけましておめでとうございます。除夜の鐘を聞きながらHP更新するとは思ってなかったのですが、いつもイラストを書いてくださるぞうアザラシ画伯の新作が、正月限定バージョンなので、どうしても元旦からトップページにだしたくって急遽更新しました。今年もこうやていろんな人に後押しされて続けていくんだろうな。HPもパラも。
親方からは2周年の2/1までにまた記念事業を企画せよとのオーダーが入ってるし、替え歌集のパート3もリクエストが。HP管理人冥利につきる状況ですが、いかんせん才能不足でネタの枯渇がぁぁ。。。でも、あんまり気負わず、なんでもありのいい加減さで、このささやかなサイトを運営していこうと思う元旦でした。みなさまぜひ今年も遊んでやってくださいませ。



2004/12/26
 今年最後の更新です


替え歌の神様より、風の神様がいいなんて贅沢言ったせいか、風邪の神に憑依されてしまい晴天の週末に朝霧できなかった。おとなしく寝ていようと思ったら、あちこちこちからの更新圧力も重くなってきたので、ちょっとだけ更新。今年最後の作業に着手。

ついでに今年の更新履歴を見直したら、19回も更新していたらしい。夏のアクシデントのせいで8月が抜けていることをのぞけば、結構マメにやっている。感心感心(と自己満足。。。)

ここまで続いてきたのは、ネタを提供してくれたみんなのおかげ。そうそう、『ぶ主連』の仮想敵の塾長とF1にも大いに助けてもらった。『K塾』ネタとF1ネタがなかったら、新規の話題こんなにつくれなかったもんね。この2大ネタ供給源のせいでちょっと土俵の路線が、まったりのんびりぶっ飛び路線から変わってきちゃったけど、その反動か、マニアな少女漫画ネタでなんでもありのぶしゅ路線に揺り戻しがかかった。別にTが誘導したわけでもないけど、結構絶妙なバランスを保っている。

来年は、いまや国宝・天然記念物級となりつつある、ヤンバルクイナの保護がテーマか?いや、いまのところT自身が、軟弱アラーム常時発動中のヤンバルクイナみたいなものだから他人ことはともかく、自分のことをなんとかしよう。



2004/12/16
 土俵ネタ再録



今日の手術室での会話 投稿者:管理人T  投稿日:12月 9日(木)16時28分39秒

■執刀開始直前
すでに手術台に固定されたTと執刀医との会話
T「先生、抜いたピン、欲しいんですけど持って帰っていいですか?」
D「もちろんいいですよ。患者さんのですから」
  (後ろの看護婦に向かって)
D「ピン、お持ち帰りでお願いします」
     。。。ここはハンバーガー屋か?

■縫合が終わって事後のレントゲンのセッテイング待ちの時間
D「傷も小さいですからあとはしばらく通院して消毒とか包帯かえたりするだけで大丈夫ですよ」
T「え、じゃすぐ普通に左手使っていろいろしてみていいんですね」
D「いろいろって???べつにピンで骨を固定してたわけでもないんで、今日までやってたような
  ことならいいいですよ、まあ、空飛んだりするのはダメだけど」
T「・・・あの〜、すでに飛んじゃってます。」
D「!!!  ん〜、じゃ〜飛んでてください。」


オペって初めてだったけど(フランスでの緊急手術はほとんど記憶ないもんで・・・)準備が大変だし、手術台にのるのってそれだけでキンチョーして具合悪くなりそう。棘かなんか抜く程度と、すごく軽く考えて一人で行ったら、「ご家族は?」って聞かれてしまった。そうか、ふつう手術には家族が付き添うものなのか。
うちの家族はわりとクールな人が多くて、10数年前に初めてパラで墜落・圧迫骨折で入院したとき、病院から電話して事情話したら
母「それで、すぐどうにかなりそうなんか?ちゃんとしゃべってるから生死に関わることでもないやろ」(ウチの母は関西人)
T「。。。えーーまーー骨折しただけなんで・・・たぶん死なへん思うわ」
母「そしたらな、いま晩ご飯つくってるさかい、食べ終わったら行くわ」
 おおらかな家庭で良かったなぁ。。。


2004/12/8
 続・魔法のはなし

1ヶ月前の雑記帳の独り言。魔法の話が舞い込むことなど期待してたわけでないことはもちろんなのだが、なんと!一通の魔法のメールがまったく予期せぬ人から届いたのだった。

その人と知り合ってから10数年にはなるかもしれない。パラの人間関係にありがちな、顔も名前も飛びもよく知ってるけど、友達というには遠すぎて、知り合いと言ってしまうとよそよそしすぎるってくらいの距離感の人。向こうの飛びは名人級でこっちはただの”ぶしゅ”。メールなんて個人的にはやりとりしたことがなく、どこかのエリアで偶然会う以外にはコンタクトしようのない関係。

そんな人からもらったメールには、かつてその人が怪我したときの体験と、再び飛べるようになるまでの過程が、気負わず飾らない言葉で語られていた。冷静に症状を見据えつつも、いかに希望を捨てずモチベーションを保ったか。その体験談は1ヶ月前のTの気持ちのど真ん中に当たった。メールは最後にこう結ばれていた。
  『また飛びたいっていう気持ち、それがあなたの唯一の魔法になるでしょう。』
じ〜〜〜ん。 (;___;)ウルウル
感動しました!
もうこのメールだけでこの人に惚れ直しちゃうくらい。10年ものあいだこの人がこんな格好いい人だなんて気づきもしなかった。。。。(迂闊っ!)
で、ノリやすいTは、その日からせっせせっせとちょっとやりすぎってくらいリハビリに励み、1ヶ月が過ぎた。
経過は順調で明日、骨折箇所を留めているピン(ほとんど釘みたいなもん)を抜く手術をする。

その人はきっとそんな大層な気持ちでメールをくれたわけではないだろう。けれど、ぴたっとシンクロする真実の言葉というのは、魔法のようなすごいパワーを発揮する。

Tは普段から、無意味にだらだら長い文章を書き散らしているけれど、たまにはこんな、すごい『魔法』を使いたいもんです。

魔法のメールをくれた長い付き合いの友人に心から感謝!!


2004/11/1
 魔法のはなし

地道で痛いリハビリが性に合わないので、なんとか楽して早く直す方法はないものかと、とりあえず鍼灸院を訪ねてみた。で、正直に「普通の病院のリハビリも毎日行ってて、別に治らないってわけじゃないし、一般的な治癒期間に比べて特に遅いというわけでもなさそうなんですが、痛くてヤダし、早く飛びたいんでなんとかなるモノならなんとか早くしてください」と言ってみた。すると院長「魔法みたいなコトを期待されても困るんですが、少なくとも痛くはないし悪くなることはないので併用したらどうですか」というかなりまっとうな回答だったので、鍼治療も続けることにした。魔法みたいにぱっと良くなることを期待して行ったのに、それは不可能と言われて失望するより、かえって安心してしまう。不思議な心境である。

そもそも裏技なんかないとし知りつつも裏技を求めてしまい、実際にその裏技を手にすると実はたいした効果のないことを知って、やっぱり世の中そんな都合のいいことあるわけないさという心理は、実はかなり普遍的なモノだと思う。世に溢れるダイエット商品や健康商品、招福グッズや楽して儲かる新ビジネス。実際にそれらを手に入れて魔法みたいな効果があったという身近な人の話は聞いたことがない。

Tはこの種のものをあまり信用していないのだが、時々好奇心に負けて、騙されることを承知でつい手を出してしまうことがある。どれもそれなりに効果があるのだが、『それなり』でしかなかった。

と言うわけで、骨折後のリハビリについて本当にあった魔法の話をご存じの方はご一報ください。ただし、本人の話に限ります。


2004/10/3
 飛びたい・・・
けど飛べない
 

骨折した左腕のギブスがとれた。替わりにベルクロのベルトを組み合わせたみたいなサポーターになった。重たいギプスがとれたのは良いのだけれど、手首が全然動かなくい。まるで手首の部分になんて最初から関節がなかったかのような固まり方なのだ。手のひらを上に向けるなどという無意識の動きが、どうやったらできていたのかさっぱり思い出せない。おいおい、まさかこのままじゃないよな、ギプスで固定してたのたった1ヶ月ちょいだよ。それで関節一個死んじゃうの、そりゃないだろー!!って思って、医者とかリハビリ室のナースに「いつ治るの?」と聞くと、みんな「しばらくかかるね」「大変よ、半年とか1年かかる人もいるし」とか全然嬉しくない回答が。しかもリハビリ痛いらしい。。。
う〜む。ぼちぼち秋晴れになってきたから飛びたいんけどなぁ、でもコーヒーカップも持ち上げられない状況じゃライザーもてないし。。。なんかウルトラCの早期完治の裏技ないのかなぁ。Tは痛いのとか努力するのが嫌いだからリハビリ生活には向かない性格なんだよね。


2004/9/16
 ひさびさに更新

この夏、初の海外事故&入院を体験する羽目になった。詳細はそのうちUPしようと思っているけど、不思議なほどお気楽に構えている自分に少々驚いている。もうちょいシリアスな心境とか悲壮感漂わすとかできないもんかなぁ・・・と思うのだが、そういうものが表出する気配もない。

このHP上の『管理人T』とは、もちろんネットキャラであり、『素』の私ではなく、おちゃらけバーチャルフライヤー団体HPの管理人として、ある程度意識して、お気楽・ノーテンキ・楽天的であることを作っているのだけれど(突っ込み入りそうだな、この発言)、どうもネットキャラが『素』の方に干渉しているような気がする。ま、Tは常々、『本当の自分』なんんていう幻想は存在しない、と思っているので、それもありなわけなんだけど、もしそういう干渉があるってわかっていたら、もう少し格好いいキャラに設定しとくんだったなぁ。。。いまさら遅いけど(ブツブツ)




2004/7/8
 パラにおける
 『萌え』





ちかごろ『土俵』はオタクな話題が花盛り。ちょっと飛べない週末が続くと、まるでパラのBBSじゃないみたいなノリ。『ぶ主連』メンバー以外も入り乱れて、Tとしてはちょっと楽しい。パラにはオタクの『萌え』をそそる何かがあるのだな、きっと。いろんなスポーツ人口の(パラはスポーツなのか?という疑問またまたおいといて・・・)オタク含有率を調査したらきっとかなりの高含有率を示すに違いない。それにしても、いったいどのへんがオタクの心性と共通するのだろう。う〜む。ちなみに親方によれば、パラフライヤーには、AB型とB型の人間が多いのだそうだが、そのへんのフライヤー特性を、どこかのパラ雑誌あたりが調査してくれないかなぁ〜

2004/6/6
おしゃべりなパラ2

久しぶりに朝霧に行った。梅雨入り前の最後の晴天(?)、コンディション良好との予報に、エリアには大勢のフライヤーが集まっていて、渋滞で少し遅れてランディングに到着した9時半には、すでにバスは3便目だった。朝からちゃんとサーマルでてて、やっぱ猪の頭は最高!。で、さっそくテイクオフすると猪の頭一の名人モチモチ様から無線。「TAMちゃん、毛無行こう!」とのお誘い。モチモチ様のアシストなら楽しく飛べそうと同行させていただいた。すると次々無線が入ってきて、遅れてテイクオフにきたMヤンから「おはよう!今どこ?」無線とか、F・セイコ嬢からも「今から行くよ」無線とか、天子で併走した『ダ』さんからは「おはようございます」無線とか。イヤぁ、Tは飛びながらおしゃべりするの大好きなんですけど、無線機は首からぶら下げてるだけで、指スイッチでもメットスイッチでもないんで、昨日みたいなサーマルコンで回してる時に即時応答はちょっとツライモノが・・・でも、嬉しいからつい応答しちゃうんだな、これが。

降りてからある人に「Tさん、無線、すごい入ってましたね〜、なんかTさんに挨拶無しに飛んじゃいけないみたいな勢いでしたね〜」と言われてしまい、これはマズイっ!そんな誤解が(もち冗談ですが)広まってしまっては、ますます応答無線が増えちゃってフライト中 忙しくなってしまう。

Tは恐がりなので一人で黙って飛んでいると、些細な現象から想像される恐怖がどんどん増幅していって、軟弱モードに入ってしまうので、なるべく無線でおしゃべりしながらそうならないようにしてるんですけど(たんにしゃべりたいだけという噂も・・・)なにごともほどよい程度ってのが良いですね。


2004/5/19
おしゃべりなパラ

そもそもパラがスポーツかどうかはさておき・・・
かなり前の話だが、スポーツ人口と関連HPの数との相関関係についてのレポをどこかのHPで見たことがある。それによるとパラは、極めてHP数が多いスポーツであるらしい。最近お友達リンクがどんどん増えていくが、基本的に『ぶ主連』のリンク集は、個人的お友達&お知り合いだけなので、それでこの数というのはたしかに異常に多いのかもしれないと実感する。パラやってる人の『IT度』とか『おたく傾向』なんてのも誰か調べてくれると面白いかもしれない。

エリアに行ってもそうだが、パラって降りてから「語り」たくなってしまうものなのだと思う。で、その「語り」の部分も含めてパラの楽しみなんだろうな。もちろんありとあらゆる趣味で、同好者間のコミュニケーションは大きな楽しみなんだろうけど、パラは飛んでいる間は一人であるだけに、空での「思い」を誰かと共有したくなっちゃうんだろう。降りてからの「またぶっ飛んじゃた・・・(ToT)」「今日の毛無は恐かったねぇ」とか「長者に良いサーマルあったよ、3000まであがった!」なんて「語り」がなかったらパラってずいぶん味気ないモノになってしまう気がする。

そうやって「語り」たいフライヤーがHP開設して、一人がHP開設するとそれにつられてまたその人の知り合いがHP作って、リンク張って、相乗効果でネットワークがどんどん広がっていく。

・・・という流れにのれたのかどうかは知らないが、今回の更新は、新メンバーの加入とまたまたお知り合いリンクの追加です。

いままで『パラって飛んでる時間より車運転してる往復の時間の方が、よっぽど長いよな〜』なんて思ってたけど、段々『ネット上でパラ関係のコミュニケーションしてるほうが断然長い』てな状況になってきた今日このごろ・・・

2004/5/4

リンク・リンク・リンク

ここのところ立て続けにお友達&お知り合いの方々が、自前のHPやプログを開設して、日々チェックするページが増えていく。F1赤岩では、なんと光栄にもあのOGAさんやツノさんからリンク張ってと言われて大感激!
だれかにホームエリアのリンクとかは?って聞かれたけど、この『ぶ主連』HPは、べつにT個人のモノってつもりでやってないし、(なんせ『連合』だから)、バーチャル組織で、冗談だけでやってるので、あんまりリアルに商売してるとことのリンクはちょっとバーチャル感なくなっちゃうので、個人的つながりだけでやってます。

冗談目標でメンバー100人を目指してはいるけど、『ぶ主連』は、あくまで顔みしり&ネット上で共感してくれたフライヤーとの連帯で自然増で行きたいし、そういう方々とのリンクはどんどん増やして行きたいです。いままではどこかのエリアで偶然にしか会えなかった人たちと、ネットを通してつながってる感じは、なかなか面白くって、最近とみにはまっちゃって、日々の時間を浸食しつつあるのが気になっているのだけれど・・・

2004/4/21

土俵の珍客・賓客

ここのところ立て続けに『土俵』に珍しいお客様がいらしゃっている。下の雑記帳に登場のOさんご本人や、Tの敬愛する足尾の女王様、そしてマジ競技志向のPさんなどなど・・・
もともと全国のぶしゅ発掘&交流が目的だった『土俵』だけど、ぶしゅに理解のある非・ぶしゅフライヤーの方々も多数ROMしてくださっている様子。ありがたいことです。

最近みんなに「もうぶしゅじゃないだろ」って言われることが多くて困ってるんですけど、Tがアクティブなイベントフライヤーを続けることで『ぶ主連』の広報ができて、ぶっ飛びに理解のある非ぶしゅフライヤーの方が増えて、それでいろんなエリアのぶしゅの人とも交流できればいいなって思います。Tと知り合ってから数年以内の人は「ウソだろ」って言うけど、Tはホントに前山から卒業するまでに10年かかったし、逆に言えば10年もの間、よくぞいやにならず前山磨き続けるだけの日々を過ごせてきたなって自分で感心しちゃいます。だから今でも気分はぶしゅそのものだし、今、正統派ぶしゅやってる方々にも「いつかきっと良いことあるさ」って自信もって言えます。

Tは、SMAPの『夜空ノムコウ』の「あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ…」ってフレーズが好きで、この曲ではあのころ思っていたほどには輝いてない未来が歌われているんだけど、Tにとっては、あのころ思っていたより今、はるか遠くまできてしまって、あららって感じです。良い方にも悪い方にも、未来はなかなか予想しがたくて、だからこの先まだなんかあるんじゃないかと期待して、飽きもせずに飛び続けてられるんだろうな。ちょっと違うのは、あのころはただひたすら「いつかは毛無行ってDKにランディング」って具体的な憧れ目標があったんだけど、今はこの先どうしたいのかよくわかんないや。
そのわりには、やけに飛んでる今日この頃・・・・答えは、空でみつかるのだろうか。

2004/4/13

クロカン不向き?

足尾のクロカンチャレンジに行った。
Tとしては、初めて足尾でみんなと一緒にクロカンにでられたので。それなりに満足したのだけれど、某ベテランおじさんフライヤーOさんから「度胸一発で飛ぶ朝霧と違って、ここは頭使って飛ぶからねー、性格的にも向いてないんじゃない」とか言われてグサッ!!

えー、まー、自分でもそうは思っているんですが・・・
なんせ朝霧ではまず歩くことないし、山バスがこなければ無線で呼べばすぐくるし、サーマルに困ったら山に張り付いていればいつでもOKだし、足尾でクロカンやるのとはだいぶ違うよね。
Tは一人で飛ぶのが嫌いで、降りてから一人ぽつーんと待つのも苦手だし、方向音痴だから降りてどっちに歩けば良いのかとか、回収車呼ぶのにどのあたりとか説明するのも下手なんだな。でもって、空中で南風が入ってくるのを待ってるとか、グライダー担いで電車に乗るとか、そういうメイドいことも駄目なのだ!ああっ!いつの間にか超コンビニ・エリアの朝霧でしか飛べない体質になっていたのね!!!こうやってだんだん朝霧からでられなくなってしまうのかしら。

ちょっとだけ方針変更を考えさせられた週末でした。

2004/4/8

『K塾』レポ連載完結

きつかった・・・
なにがきついって、塾の飛びじゃないよ、塾レポ連載。
この冬のバンバンコンディションで毎週とべて、コソレンして、毎回3時間くらい飛んで、その季節が終わったらイベント続きで、春のハードコンディションで、塾は3月に2回もあって、蓄積疲労は日に日に濃くなっていくし、いったいいつ塾レポ書く暇があるんじゃー!!\(`O´)/
ってわけで、遅れに遅れた最終回、ついにUP。もう2度と連載ものはやらないと誓うのであった。でも、けっこうあちこちで読まれてるんだよね、『K塾』レポ。

誰かに、『教わった内容的なこと、もう少し書いてよ』って言われたけど、教わったことがちょっと高度過ぎて、Tには上手く書けないし、誤って伝わるような表現になっちゃうと塾長にご迷惑だし、第一ホントのこと言えば、技術的なことより、あまりに毎回楽しくってモチベーションあがったことのほうがはるかに重要だったので(つーか、技術的な向上、はたしてあったんだろうか???)、あいかわらずの気分的レポになってしまった。
『K塾』の秘伝が知りたかった方々、ごめんなさい<(_ _)>。
内容が知りたい方は、正規に受講するか、盗聴に朝霧にいらしてください。今回、周囲の方々も興味津々で、毎回盗聴参加者いて、それも塾の盛り上がりにつながっていたけど、でも半年たって思うことは、半年同じメンバーでやってきたことの意味。最初は半年長いよーって思ってたけど、第1期生はみんなノリのいい人達ばかりで毎回楽しすぎ−って感じで、半年はあっというまだった。塾もけっこうハードだったけど楽しいから全然苦じゃなかったし(その割には空中でよく泣いてたっけか?)。
そのノリが今度はフランスにもちこされそうな勢い。どんなバカ騒ぎになるのか、いまから楽しみなような恐いような・・・

2004/3/18

土俵禅譲

親方から土俵の管理人禅譲の話がきた。いつかそういう話がでるだろうと思っていたが、思いの外早くこの日がきてしまった。
思えば、この『ぶ主連』HPは、コンセプトをAYAちゃんが作り、Tが建物を設計・建築し、親方が女将としてお客様をもてなしいていた小さな趣味的旅館のようなものだった。
親方は、これから少し空から離れた生活にはいることになるけれど、そのことを考えると自分だっていつまで飛び続けていられるのかという思いにとらわれる。多くの女性フライヤーが人生のステージの様々な局面で、エリアを去っていく。たいていの趣味がそうであるようにパラグライダーにもいつか卒業という日がきてしまうのだ。幸いTは人よりちょっと長い期間飛び続けていられるけれど、いつかこの日々も必ず終わる。今、F1や『K塾』や『ぶ主連』を通して知り合った多くのよきフライヤーに恵まれて、本当に幸せな日々が過ごせているとあらためて思ったりする。

T はしょっちゅう海外フライトに行く奴と思われているけれど、(実際そうなんだけど)いつも行く決断をするときには、今の気力・今の家庭環境、j経済的状況・今の仲間と行けるチャンスはもうないかも・・・と思って行くことにしてしまうのだ。たまたまそういう状況に恵まれた日々が長く続いたので、結果として海外フライト10数回になってしまったにすぎない。
そんなわけで、今年は行くかな・・・ヨーロッパ。

2004/2/29

ここしばらくで一番幸せだった日でした・・・

昨日2/28のJPAの大会ダミーフライトは、ここしばらくで一番幸せなフライトでした!この前のお空の結婚式は、ほのぼの系ハッピーでしたが、今回は強烈サーマルで3000mオーバーで舞上がっちゃう系です。Tは本質的にイベントフライヤーなので、イベントとなると訳も分からず嬉しくって、テンション高目なのですが、今回はメーター振り切ってましたね。PWCでお馴染みの日本のトップパイロット全員集合状態の大会で、ダミーですよダミー!それだけだって緊張とお祭り騒ぎ気分で大変なのに、Tの憧れのミヤター(Tがミヤターのファンになった経緯は、ツアー記2002フランス編2003マニラ編をご参照ください)もきちゃうんです。海外で散々ご迷惑をかけてお世話になって、でもおかげで大感動のフライトをさせてくれたミヤター。次にどこかで会うときにはもう少しましなフライヤーになっていたいと、健気な乙女心(ん?)を秘めてきたのです。ダミーって絶対飛び見られちゃうからそこであんまりみっともないことはしたくないなぁと、選手でもないのに実は結構気合いいれて飛びました。

スタート(ってもテイクオフのことじゃなくて、空中である位置から一斉に走り出すんですねー)前に、Tがダミーの責務を果たすべく選手のちょっと前の方のサーマルをあちこち積極的に探って回しておりますと、1機とっても上手い小ぶりのブーメランが近くにいて(ブーメランが30機以上いましたが、すっごく上手い人とそうでない人もいます(^o^) )なんとなく気になって誰かな〜なんて視線を送りながら一緒に回して見つめていましたら、「調子いいみたいだね〜」となんとあのミヤターの声!\(^o^)/うわー、なんでTだって分かったんでしょう?機体変えてから一度も会ってないのに・・・と思いながらもあまりのうれしさに「おかげさまで〜」と応えるのがやっとです。それからはもう大変です。気持ちがメーター振り切ってるので恐いモノはひとつもありません。アクセルだってバンバン踏み抜けちゃうし、ブーメランのインで回しちゃうしでとばしまくりです・・・・

選手のスタートタイムの少し前に南へ走り、回して後方をみると、TOP集団ブーメラン軍団がすごい勢いで襲いかかるようにこっちへ向かってきます。一緒にダミーしてたMさんと「次ぎのサーマル行こう!」と声をかけて、またまた選手の前を南へ向かいまた回し・・・快感です!世界のオギーとか塾長とかが後ろなんですよ。ダミーならではの役得です。でも、走り出したTOP集団ブーメランにあっというまに追いつかれてしまったので、じゃまにならないように通路を開けて、第3集団あたりと一緒にタスクをまわってみることにします。みんなは400mシリンダーですがTは勝手に600か800mくらい適当にハンデつけときます。TのGPSではシリンダーが分かりませんので適当にやるしかないし、ブーメランと1−2機ではこれでもハンデ少ないくらいです。
最初のスタートパイロンの天子を1000シリンダーくらいでショートカットしてしまいましたが、残りはだいたい700mくらいでタスクほぼまわってきました。あとはフォローにのって養毛経由でDK北の原っぱGOALにいくだけというところまできて、内心『すっごーい!GOALできちゃうよこれ』とほくそ笑んでいましたが、ダミー用緊急無線で風の状況が、あんまり良くない方に変わりつつあるような情報がはいってきましたので、無理せず猪の頭のLDに降ろします。よく考えたら選手じゃないんだから遠くにおろしても面倒なだけだし。

ランディングでいつものように好き勝手にしゃべくっていましたら、GOALした選手が続々回収されて戻ってきました。で戻ってきたミヤターに、「Tさん、上手くなったねー、前も回すのは上手かったけど、サーマルから離れて動くのがすごく早くなった」(って、そこまでみててくれたのねミヤター!)とお褒めのお言葉をいただき、おまけに「あのダミーはすごく役に立ったよ」って言われてもう最高です!近くにいたオギーにも「ちゃんとダミーとしていい仕事してたよ」とまで言われて、舞い上がりついでに「ハイ!ミヤターの為にダミー頑張りましたっ!」って言ったら「ダミーは個人的にしちゃいけないんだよ」と笑って返されてしまいました。アハっ!でもいいんだ、ミヤターの役に立てることがあるなんて望外の喜びだモノ。

というわけで夜のパーティーで、塾友S嬢(感謝!)がとってくれたミヤターとのツーショット。今日のハッピーフライトの記念にのせちゃいます。


2004/2/22

無題



あっという間に2月もおわりに近づき、バンバンコンディションの朝霧マジックも収束に向かっている。春は朝霧以外のエリアもいいから、少し余所のエリアに行こうかなぁ・・・なんて思っていたら、すでに3月は『K塾』が2回と家庭サービス1回で週末の予定が埋まっている。おまけに3月はあるイベントの予定が『K塾』とバッティングしそうで、なんだか週末があわただしいのだ。この冬、朝霧にきてくれたビジターさんたち「うちにも飛びにきてください」と言われているところがたくさんあるけど、なかなか果たせないまま。不義理を重ねていて申し訳ないなぁ・・・
2004/2/18

『K塾』Rコース参加


2月は『K塾』Rコースに1日勝手参加させていただき、夜のロッジ宴会もまぜてもらった。Eコースは24人と大人数でワイワイやっているが、Rコースは10人ちょっとでアットホームな感じである。Eコースの人たちは、アドバースヨーなんて言葉が当然の了解事項のように話がすすんでいくし、ベルヌーイの定理だって誰も疑問に思わないらしい。でもRコースにいったら、Kちゃんも「ベルヌーイの定理ってなんか納得いかないよね」と言ってくれて、わーい!Tと同類だぁと嬉しかったのだった。なんかRコースのほうが居心地いいなぁ、コース変更しちゃおうかなぁ・・・なんて思ってたらRコースのレベルUPは目を見張るモノがあり、いきなり天子2往復なんてことをやっちゃってるのである。誰が言い出したかは忘れたが、Rコースの上位数人とEコースの下位数人を強制コース変更でトレードさせようなんて話もでてくるし、さすがは『K塾』。Rコースといってもただノホホンでは済まないようなのだ・・・

Eコースはあと2回。根性なしのTにしては、頑張ってみんなの足を引っ張らない程度にはくっついていっているつもりなのだが、ここのところのがんばり過ぎがたたって、『K塾』以外の日にはぜんぜん気合いが入らず困ったモンです・・・・

2004/2/12

お空の結婚式参列で幸せフライト


2月8日は、何年かぶりでお隣のエリア・朝霧高原パラスクール(元・DK)で飛びました。前日にスカ朝のランディングで、うさぎちゃんRTの面々に「明日、Kちゃんの結婚式やるからこない?」とお誘いいただいたのでした。元・PWC級コンペティターKちゃんとぶっ飛びTではお友達っていうのはおこがましいのですが、顔見知りになって10数年。昔、草大会や遠征先でよくお会いし、なにかとお世話になりました。

翌日は、空までが祝福してくれたのかと思うほど良い天気で、ここのところ北がらみでウェイティングが長くなりがちなさんじゅうテイクオフも、今日は朝からバンバン飛べちゃいます。
うさぎちゃんRT主催の『お空の結婚式』は単に新郎新婦がタンデムで飛んだり、新婦が待つランディングで新郎が降りてきたりというものではありません。式そのものをすべて空中でやってしまい、その間参列者も全員空中で式を見守るという、コンディションと参列者の腕が揃わなければできないイベントなのでした。(『ぶ主連』では不可能なイベントですね(^^;  )

白のフライトスーツに手作りベール付きヘルメットの新婦とKちゃんのタンデム機には、みんなでふくらませた風船のブーケが取り付けられます。神父の衣装でセレモニーを仕切るのはもちろんあんこちゃんです。参列者もタンデム機の人が多く、ビデオ撮影も行われています。あんこちゃんがスタチンしてテイクオフの左手の雑木につっこんでしまった時には、どうなることかと心配しましたが、(ウケねらいか?)先行機はみんな空中でステイして待っています。さんじゅうテイクオフ前からゲンコツあたりまでの湾内には、30機以上が、主役を追いかけ見守りながら、ふわふわ漂い、さながらパーティー会場のようです。

神父あんこちゃんが無事Kちゃんタンデム機に追いつきようやく式がスタート。無線で誓いの言葉「新郎が禿げても太っても生涯愛するコトを誓いますか」 「は〜い!」元気で幸せいっぱいの新婦の声が響き渡ります。で、誓いのキスを神父が見届けると、次々に無線で「おめでとう!」の声が。そしてライスシャワータイムです。参列者はテイクオフでお米の入った袋を渡されていて、それを新郎新婦に向かって投げに行きます。さすがうさぎちゃんの面々はパラ鬼ごっこで遊んでるだけあって、みんな上手に近づいては、祝福のライスシャワーしていますが、これって結構難しいんです。不慣れなTは接触なんかしてこのイベントに水をさしてはいけないと、みんなの上の方でその様子を見守りながら、主役の回りが空くの待ちます。コンディションは、毛無にしては穏やかで、それでいてどこに行っても下がらないという絶好の空中結婚式日和です。

ここのところ、塾モードで、躍起になって上げたり走ったりしていましたので、こんな風にただなんとなくみんなと一緒のところをふわふわしてたり、時には誰かにちょっかいかけて遊んでみたりという飛びは久しぶり。それをこんなにすばらしいコンディションと気心のしれた腕の確かな仲間とに恵まれ、そして古い友人を祝福するために飛べるなんてもうサイコーです。Tは結婚式というモノが嫌いで今までほとんど出たことはありませんが、感激で涙でそうになっちゃいました。

新郎新婦が、ランディング近くでブーケを投げると、式は終了です。

ランディングでは、OTさんが暖かい料理をどっさり用意しておいてくださっていて、みんなでおいしくいただきました。ドイツ料理っぽいフランス料理のシュークルート。ベーコンの固まりが大胆に入っていて、その塩味がすっごくいいです。今度家で作ってみようかな。(そんな暇いつあるんだろう???)

新郎新婦の幸せそうな笑顔と祝福気分いっぱいの宴会ですっかりご機嫌な一日となったのでした。

あ、そうそう、大事なこと忘れてました。新郎Kちゃんから新婦Yさんを『ぶ主連』に入れて欲しいとの依頼がありましたので、一も二もなくお入りいただきました。みなさん、どうかよろしくお願いいたします。

そして、なんとこの週末はもうお二人、新規メンバーさんGETです。
Tの最初のヨーロッパツアー同行者のガッツさんと、『K塾』Rコースでお知り合いになった「大耳」さんです。
メンバー表更新しときます。

2004/2/1

祝!『ぶ主連』結成1周年
今日2月1日は、『ぶ主連』結成1周年の日です。去年、3人のぶしゅが風呂でしゃべった冗談が、中島牧場・真夜中の怒濤の宴会で加速され、こうして1年を迎えます。偶然にも去年のその日一緒にもりあがったジャム勝のメンバーと、1年ぶりに再会しました。彼女たちは、あの夜の冗談がここまで立派なバーチャル組織にまでなったことを知らしらなかったようですが、相変わらずぶっ飛び続けてま〜す!と元気そうでした。で、Tのことを覚えていてくれたらしく、1年ぶりなのにランディングで盛り上がっちゃいました!冬の朝霧は、雪で飛べないエリアのゲストが増えて再会の楽しさに満ちています。

さてさて、1周年なので頑張ってネタ更新しようと思ってはいたのですが、『K塾』レポが長くなり過ぎて進まず、しかも業務繁忙期と毎週バンバンの飛びで疲労蓄積、睡眠時間を削ってのHP作業が困難になり、親方からお叱りを受けてしまいましたので、あちこち ちょろっと修正でごまかし更新です。

でもぞうアザラシ画伯が新しい扉絵をくれたので(いつもありがと!)表紙の感じ、ちょっといいでしょ?

そうそう、年末の車の事故、事務処理片づいたので、詳細レポ、秘密にしといたけど公開しちゃいます。先週、新車がきたんだヨ!(また保険太りって言われそう・・・)

2004/1/20

『ぶ主連』結成1周年記念準備委員会?
そんな委員会があるわけないのですが、なんとこの冗談だけのバーチャルサークルも、2月1日で1周年を迎えてしまいます。親方から、なんかやんないの〜との圧力がかかり、現在構想中なのですが、その手始めに二つほどやりました。(これで許してくれるかな?)
 1.『ぶっ飛びの日』 制定  2月10日
 2.バーチャルクラブ活動ページ 試験的開始
   メンバーの意向をまったく無視して、勝手にはじめてます<(_ _)>を行いました。

クラブ活動のページはこれから皆さんのアイデアでどんどん新部を立ち上げて行きたいと思います。また、演劇部でこんなのやって〜とかぶしゅソング考えたよ〜とか、ネタいただければ、どんどんUPします。管理人の暴走に近い暴挙ですが、まあ実害がないので笑って許してやってください。

そう言えばここのところ、土俵に新たなメンバーが加わり、楽しいですね。ぶしゅ・ぶしゅ候補・ぶしゅの遠隔地のお友達の方々との交流が始まり、設立時に目指していた全国ぶしゅネットワーク構想に近づきつつあるのを感じます。継続は力なり って昔からいいますもんね。でもそんな中、気になるのが松田・朝霧のぶしゅ壊滅作戦の動きです。XCに目覚めた元祖ぶしゅAYAちゃん、『K塾』特訓中のろうたんさん&薫ちゃん夫妻とT、同じく『K塾』無線誘導でフライト技術急上昇中のみえちゃん&かおち。このままでは、ぶっ飛び主婦がいなくなってしまう!AYAちゃんは、ぶっ飛び日記の閉鎖を妖怪軍団に迫られている様子だし。危うし!『ぶ主連』!真性ぶしゅの新規発掘を急がねば・・・

 
2004/1/1

お正月
新年あけましておめでとうございます。

Tの個人的ツアー記から始まったこのHPが、『ぶ主連』HPとしてここまで大きくなり、またこれほど多くの人にみていただけるようになるなんて想像もしませんでした。ぶしゅ3人の冗談につきあい続けてくださった皆々様、本当にありがとうございました。どこのエリアに行っても「HPみてます」って言われるようになり、嬉し恥ずかしの半年間でした。

2003はTにとってパラ関係のイベント続きの超ハードな1年でした。
正月にマニラで初クロカン、そして地面で転んで胸椎圧迫骨折。それにもめげずに飛び続け、2月に『ぶ主連』発足し、4月にHP拡大。5月から月1回以上F1に参加し続け、ニセコにまで行ってしまい、秋の初めに機体の買い替え、11月のF1終了と同時に『K塾』スタート。その間にも、HPは拡大し続け、『ぶ主連』メンバーも20人を軽く突破。もうやらないと誓った『ぶしゅの友』もあまりのリクエストに7号までやってしまい、今ではネタ考案が生活の一部に。つらいこともありました。天候不順で飛べない夏休み。ハード過ぎて体調不良が続いた日々。そして身近なフライヤーの重大事故。
2004は『ぶ主連』設立の原点に立ち返り、それぞれが楽しい範囲で、安全に飛んで、幸せなパラ・ライフを長く続けていけるように、ぶしゅの提言発信し続けていきます。これからも騒がしく頑張るぞー!と決意する元旦の朝でした。
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なんとな〜く、だらだら、ぼやーっと更新のついでの独り言・・・