★★★12月30日(月)★★★
2日目のぶっ飛び。暑くてだだっ広い農場の真ん中で起きたこの10年で一番つらかった出来事。
 
朝、食堂から聞こえてくるみんなの声で目が覚めた。田村の部屋はちょっと変な位置にあって、食堂の隣というか裏側になるのだが、もともとこの部屋の外が家の外壁だったらしく、その外側に食堂スペースを増築したので、部屋の窓を開けると食堂という構造になっている。そんなわけで部屋には厳密に言えば外につながる窓はなく、食堂に面した窓は常に一部開けてカーテンで目隠しがしてあった。で、声は筒抜けでこれでは起きないわけにいかない。
 
朝ごはんは和洋折衷のビュッフェ形式。オレンジジュースとアップルジュースとミルク。味噌汁やわかめスープのインスタントパックも用意されている。ソーセージのバター焼き、卵、(フライドエッグ、スクランブルエッグ、ボイルドエッグが日替わり)トースト、ご飯、コーヒー、いろんなお茶のティーバッグ(フツーの紅茶、ジャスミン茶、緑茶、よくわかんないアジアのお茶)、それにフルーツ。ドットのアジア趣味を反映してか、日本人があまりに多く訪れるので日本人向けにしてくれているのか、結構バラエティにとんでいて、気分に合わせて好きなものをチョイスできる。

 
 

今日も飛べそうなのだが、昨日の反省から体力温存で慎重に構えることにする。冷静に考えれば、真冬の日本から真夏のオーストラリアにきて20度も温度差のあるところで、同じように動けるわけがない。もともと体力ないし、すぐに風邪ひくし、強い日差しで発熱する体質なんだから少しは自重しなくちゃね。
テイクオフに上がって木陰でひたすら待つ。昨日に引き続きちょっと渋いコンディション。昼ごはんがわりにオレンジを食べて、水を飲んで脱水症状にならないように気をつける。

午後1時くらいか。そろそろいい感じになってきたので出てみる。昨日よりはちょっとましかな、とテイクオフ左に流していって、あたりそうであたらないサーマルをはずしてしまい、先のほうで宮田さんがあげてきているグランドサーマルに乗り換えようと、走らせるがちょっと高度が足りなかった!・・・撃沈。しかもランディングからかなり遠い。いや、上から見たときはもっと近くて、他のパラもハングも同じサーマルをはずして撃沈しているので、まてば回収車がきてくれるところなのかと思いきや、ただのだだっ広い牧草地のど真ん中だった。あちゃー、やられた。エディに距離感が狂うから注意してって言われてたのに。グスン。歩くしかない。
ほとんど木のない牧草地をとぼとぼ歩く。東ランディグの大きな木が見えているのになぜだかちっとも近づかない。暑いよーー。遠いよーー。パラザックは、計器類がいつもの倍入っているのと冬装備のウエアと水2リットルでいつにもまして重い。無線で今日から参加のメンバー(Mr.A)がテイクオフに到着したことがわかる。やだなあ、こんなことでぶっ飛んでて。テクテク歩いているとクリークっていうのかかなり段差のある溝にぶつかった。多分大雨のときはここを水が流れるんだろう。むき出しの赤土と石ころと枯れ木で草が生えていない。ここを歩いて超えるしかない。足元は結構不安定でパラザックの重さでバランス悪い。ちょっと下がりかけたところで、なにがどうしたのかわからないがいきなり足が滑って下まで転げ落ちた。昨日ぶつけたとこをまたまたぶつけて、最後はなんか硬いものに脇のほうぶつけてもう息ができないくらい痛かった。(T_T)
 




クリークの下で痛みをこらえてうずくまる。こういう場所に毒蛇がいるって誰か言ってたっけ、早く移動しなきゃ、と動こうとするが、痛くてどうにも動けない。ようやく立ち上がるが、今度は腰が痛くてどうやってもパラザックが持ち上げられない。この感じは、なんか10年前にやった圧迫骨折後の痛さに近い。まじやばいなあ。骨いっちゃったかな。しばらく待って再度担ごうとトライするがだめ。力をいれると激痛が走り立てない。今、宮田さんはフライト中でたぶんXCのサポートに出てるし、エディはテイクオフで無線誘導中。こんな農場のクリークで滑落して痛くてパラ担げませんなんて無線、とてもじゃないけど格好悪くて言えない。(これが間違いの元でしたね)絶望的な気分で涙目で空を見上げるとエディの誘導機がそこそこ上げている。日差しは強く、痛さで頭はがんがんしてくる。どうやって戻ればいいんだろう。遭難しちゃうのってこんな気分なのかな。あー、だめだめ弱気はだめ、どうあっても自力で帰らなきゃ。空身でいったんクリーク底から這い出した。残る距離はあと500-700mくらいか?パラザックはとても持ち上げられないから、中身をばらしてハーネスとキャノピーにわけて、往復して運ぶことにする。まずはキャノピーから。頭にのっけてそろそろ歩く。痛い。ぎっくり腰の直後みたいだ。なんとか農場の端まできたがそこには高い鉄条網の柵が。無理だ。これは自力では超えられない。でもとにかくここまでハーネスも運ばなきゃ。足を引きずりクリークまで引き返す。この距離が永遠のように思えた。パラザックに入ったハーネは、キャノピー単体の倍くらいの重さで持ち上がらない。さらに荷物をばらす?でもハーネス本体だけって運びにくいんだよね。で、考えた末、デカバッグに入れて引きずることにした。デカバッグだから多少穴があいても問題ないし最悪だめになっても諦めがつく。とにかくこの状況を抜け出そう。さっきの半分以下のスピードでしかすすめない。途中エディからもう1本行きましょうの無線がはいるがとてもそれどころではない。それなのにこの状況を隠しておくっていうのが自分でもよくわからない心理だ。自覚してないけど実はすっごい意地っ張りなのかもしれない。本当に必死の思いで柵まできた。東ランディング集合場所の木まではあと100m-150m。車の音まではっきり聞こえる。でも田村の頑張りもここまで。このハーネス頭の上まで持ち上げて柵を越えさせることは普段だって難しい。無線で柵超えができないので手を貸して欲しいと伝えるとすでにビールタイムに入っていたハングチームがきてくれた。・・・・助かった。
 
 
永遠のように思えたランディングに戻ってきたのは、ちょうどMr.Aがアプローチしてきた頃だった。東ランディングの木の下で仰向けにダウンしていると、Mr.A登場。長旅を労って明るい顔を見せたいところだがとてもその余裕はない。Mr.Aはランディング直前に空中からなにかを落としてしまったらしく、ハーネスを脱ぎ捨てるとランディングに捜索に行ってしまった。ハングチームも手伝ってくれたが田村は動けず木の下に寝たきり。ごめんね。
 
ハングチームとMr.Aはもう一人遠くへアウトランしたハングの回収に向かった。田村がクラブハウスでぐったりしていると自衛隊医療班の栗原さんがきて、田村が脱水症状を起こしていると思ったのか、なにくれとなく世話を焼いてくれてどこからか扇風機までもってきてくれた。クラブハウスのソファで扇風機に当たりながらうつらうつらとしていること1時間以上。頭痛はおさまったがちょっとでもかがむと腰に激痛!たとえ骨折までいってなくてもこれはこのあとつらいなあ。


                                              (仰向けに寝っ転がって死にそうになっていたらやけに木がきれいに見えたのでそのまま撮ってみました↑)


この日は、中川さん鈴木さん渡辺さんのパラチームはそこそこまで行けたらしい。ハングチームはほぼぶっ飛びでひたすらビール。 夕方、マニラの町の反対側にあるキャンプ場のレストランでオージービーフステーキのフレンチ風ディナー。つけあわせのポテトもどことなく仏風。暮れかかったリバーサイドのキャンプ場には、白いインコの群れが飛び交い、ゆったりとした時間が流れていた。腰の痛みは動かなければ耐えられないほどではなかったが椅子から立つのも肘掛に頼らなければならない。それでも食い意地の張った田村は、平気な顔して食べていて、おまけにジュジュリジュの吹き比べまでやって、我ながらなんでこんなに無理して遊んでるのかと呆れてしまう。

ジュジュリジュはアボリジニが使用していた木管楽器で、上手くふけるとなんとも神秘的な音がする。宮田さんは以前ちょっとだけ上手く吹けたことがあるらしく、なんとか音をだそうと真剣。3種類のジュジュリジュをみんなでぐるぐる回してトライするがなかなか音がでない。レストランのマスターとその娘さんの10歳くらいの女の子がいい感じの音をだしていて、みんなだんだんむきになってきた。ハングチームの方が音の出がいい。今日はフライトで全敗した松井さんの「これくらい勝たせてくださいよ」の発言は笑えた。松井さんはじめ、ハングチームのメンバーは揃ってキャラが濃くて面白い。
 
 
 
 
  

宿に帰った。車の振動ですらこたえた。乗り降りもつらかった。これはどう考えても明日は無理だ。宮田さんに明日はお休みってちゃんと言わないと。と思うも、みんながいるとなんとなく言い出しにくくて、結局、夜部屋をノックして呼び出してしまった。それも部屋をノックする前3分くらいドアの前で躊躇して、なんだか『告白』しにきたみたいで自分でもおかしくなった。ちょっと控えめに状況を話して、明日はホテルで留守番する旨を伝えると、宮田さんはちょっと表情を曇らせて「じゃあ、無理してもしかたないんで明日は休養ってことで、」と優しく言ってくれた。(ごめんね、ツアーで怪我人出すのって一番いやだよね)言ってしまったら少し気が楽になった。部屋に帰って高いベッドに登れないので椅子を踏み台に使ってそろそろと身体を横たえた。枕もとの鎮痛剤と睡眠導入剤を一気に飲み込んで寝る。

密かに孤独にたいへんな1日だった。農場往復はここ10年間くらいで一番つらかったこととして記憶に残るだろう。

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