《Lackenhofにて》

Hansの家から緩い丘陵地帯を抜け、低い山間部を通り1時間足らずでLackenhofに到着。

車の中では、英語でいろんな話しをしたが、私の会話が拙く間がもたなくなったのをみかねてか、Hansは自分の過去のフライト写真を見せてくれた。
彼は、オーストラリアや南アフリカやインドネシアにもいったことがあるようだった。オーストラリアのトーイングスクールでは何年か働き、トーイング技術を磨いたらしい。彼の使っているトーイングマシンは自作で、DHVに出したとか、出す予定だとかで、結構本格的なトーイング野郎だ。ここでトーイングするんだよ、といった牧草地は緩やかな起伏の中の平地でそれほど大きな土地ではなかった。彼の話によれば、この辺は山はないが良いサーマルがでるので実は飛ぶのに適しているのだとか。オーストラリアの東半分は平野だから、最近トーイングする人も少しづつではあるが増えてきているという。


Lackenhofはとても小さな村で、小規模なスキーリゾートだ。一番近い駅Kienberg-Gamingまでだって5キロ位はあるし、バスは一日10本もない。その駅はローカル線とはいえ終着駅なのに、駅から見える範囲には何もない。その分一人旅の身には、安全でどこでも徒歩で行けるという安心感はある。



スクールは、メインリフト乗り場に向かう途中のカフェの1階にあった。入山ノート?らしきものにサインし、いくつかの決められた質問に答える。今までの飛行時間と回数は?最後に飛んだのはいつどこで?等。いちおうスクールで受け入れということで、安全管理はきちんとしたいらしい。今まで海外ではずっとフリーフライトしてたから、そんなことが必要なんて思いもしなかった。Hansが私の機体とハーネスを選んでくれる。体重を告げると、じゃあ小さいやつね、といって探しだしたが、なかなかみつからない。私は日本人女性としてはかなり重いほうだがそれでもヨーロッパの標準からみると軽いほうらしい。棚にはパラテックやUPの機体が多かった。「これでどう?」と彼が引っ張りだしてくれたのは、ペルケのグラフティーで、私はそれがどんな機体なのか名前しか知らなかったが、確か初中級機だったような記憶があったので、「Very Good」と一言で決めてしまった。なんでもいいから早く飛びに行きたかったのだ。後はハーネスにレスキューをセット。道具は全部貸してくれることになっていたが、私はヘルメット、グローブ、バリオは持ってきていた。


道具を積み込んで、まずはランディングへ。ここで丁寧なエリアの説明があって、ランディングアプローチの方法、風のふき方、高すぎた時の高度処理等こと細かに話してくれた。山頂からパラが2機飛び出した。残念ながらサーマルコンではなく、ただ穏やかに滑空しているだけ。まあ、初めてのエリアで借り物の機体だからこんなもんでちょうどいいか、一人だから事故は絶対起こせないし、と思いながら山を見上げる。特にプレッシャーのある地形ではない。ランディングも形は悪いが長さは十分だし、テイクオフからも遠くない。風の向きが変わりやすそうなのが気になると言えばなるが。山は日本の東北辺りあるようなおなじみの形で、高低差は600程度。ヨーロッパフライトというにはちと寂しいが、牧草地が広がる緑の景色はやはり美しい。観光がてらのお手軽フライトには十分と言える。



車でリフト乗り場(といってもすぐ近く)に向かったが、車はそこを通りすぎ50m程山を登ったところで止まった。ランディングを一気に見通せる場所だ。もう一度上からみて、ランディングアプローチを説明してくれる。意外と安全管理がきちんとしてるんだな、それとも私の腕が心配?まあそれも仕方がない。どうみても私は運動神経良さそうなLooksではないし、何と言っても彼らにしてみれば、一人で飛ばせろなんて押し掛けてきた迷惑なゲストなのだ。ともかくこういう基本は大事だと、最近の自分の行動を反省。


そうして、ようやくリフトにのって山頂へ。ドキドキしてきた。風は、穏やかなアゲンスト。飛べるんだという実感に、思わず顔がほころぶ。たとえBig Frightにならなくても、多くの好意と幸運に恵まれ、こうしてテイクオフに立つことができる。なんという幸せ!すべてのことに感謝したい気持ち。こんな気分で飛ぶのは久しぶりだ。よいフライトになりますように。


《ささやかな、でも気持ちのよいフライト》

リフトを降りて、乗り場からストレートに10分程登る。いやホントは5-6分程度の道のりなのだが、ここのところの運動不足がたたって足が進まない。一緒にきた男の子・マークが先にたって道案内してくれる。彼も大きなパラザックがつらそうだ。しかし私は子供にも負けてしまう。Hansはこの事態を見抜いていたのか、リフトのおじさんとのんびり話し込んでいる。きっとこの村には珍しい東洋人の説明でもしているんだろう。我々が、はーはーいいながらテイクオフポイントについた頃、Hansが下から軽々と登り始めた。いけない、準備、準備。風は2-3mのアゲンストでテイクオフにはもってこいなのだ。


タンデムの彼らは私を先に飛ばせてくれる気らしい。二人で機体を広げてラインチェックをしてくれる。マークはよく働くとてもよい子だ。こっちの子供は大人に言われると実に素直によく手伝う。あっと今にセットアップが完了し、私は自身で最終チェックをする。テイクオフは、理想的な斜度で幅は機体3-4機程度と広さも十分。、空を見上げ、風をみる。すこしかすんだ空。上からみるとランディングはちょっと周りの地形が複雑で、荒れたら降ろしにくいかもという印象もあるが、初秋のこの穏やかな風なら問題ないだろう。Hansがテイクオフの説明もしてくれた。機体が頭上まできたらこうして押さえて云々…。大丈夫だって、マカせといてよ、そいじゃ行きマース。
機体は素直にあがり、問題なくテイクオフ。普段やらないフロントで出たので(いきなり説明を無視してクロスなんてことはしにくかったのだ)内心ちょっと心配してたんだけど、さすが初級機、扱いが楽だ。あら、フットバーがないっ!、座り直しできないなあ、仕方ない、手で座り直すか。ヨイショット。


ハーネスにちゃんと座り直し、一息ついて周りをみわたす。言われたとおりリフト乗り場の先まではストレートに進む。まろやかな風。緑の牧草地。鳥の声。箱庭みたいな小さな村。隣の山の中腹に丸い貯水池が光る。Hansが無線でテイクオフがよかったとか、いいぞ、いいぞそのままいけとか行っているが、無線を通したドイツ訛りの英語は半分も分からない。でも、こうして誰かが見ていていてくれているか思うと安心だ。

ちょっとバリオが反応する。ステイを試みる。ぎりぎり回せるかどうかのリフト。でもこれを外したら外にヒットしそうな場所はない。ブレイクを引いて回そうとするが回らないっ!!旋回がトロイ。引きしろが自分の機体より大きいのだ、どこまで?と慎重に引いていく。思いきり体重を入れてみる。弱いが大きいサーマル。外さずにすんだ。Hansがそのままステイしろと言ってる。バリオは弱く鳴り続け、グラフティーはテイクオフレベルまで戻った。結構いけるか なんて期待して回し続けるがテイクオフ・プラスちょいで打ち止め。でもそのあともあまり落ちない。隣の山をめざそう(といってもとても近い)と機首を向けるが、足がない機体でちょっと落ちる。
結局、隣山の山頂はとれず中腹ですこし遊んでそのまま、十分な高度を残しランディングへ。
下は風がほとんどないようだ。ここで私は一つミスをしてしまった。アプローチを決める前に吹き流しを確認し忘れたのだ。無風に近いから問題ないとはいえ、初歩的なミス。慎重に高度処理してファイナルターン。問題なくランディングしたものの、弱いフォローだったので機体はしっかり被ってきて、私はあとからそのことを指摘されてしまった。



それでもランディングの後の充実感は格別だ。これは私にとって本当に特別なフライトだったのだ。草のなかにしばし座り込み、この嬉しさを噛みしめる。ランディング脇のの道にシルビアが座って待っていて(彼女はマークのお母さんだったのだ)にこやかに手を振ってくれた。私は今の気持ちを伝えたくて思わず万歳をしてしまう。シルビアが、それなに?ってちゃんと聞いてくれたから、日本人がとってもhappyな時にするんだ、と説明したら笑顔で納得してくれた。


機体を片づけ終わるころタンデムで二人も降りてきた。機体を片づけるとHansは、フライトの講評をしてくれた。おおかたは褒めてくれたが、(テイクオフが良いとか、機体の扱いが良いとか、適切に回したとか)ランディングアプローチ前の吹き流しの確認ミスについてはきっちり言われた。あと、おまけにと言う感じで、テイクオフで機体が上がってきてからの助走はもっと歩幅を取ったほうがいいよと、いう助言があった。適切な助言だ。私はその点を指摘されたのは初めてではないのだ。ちゃんとみてるんだなあ、と感心した。

もう一本行く?と聞くので、どうしようかなと正直迷った。日は傾きだし、風は止まりつつある。ヘタしたらフォローになるような気がした。よくてほんとのブッ飛びだろう。さっき飛んでいた二人のフライヤーも帰ったようだし、一人でぶっ飛ぶのはちょっと寂しい気がした。だから、「タンデムで飛びたいんだけど」と言うと、「なぜ?君にはぜんぜん必要ないよ、十分な技術じゃないか、今度はオレもシングルで飛ぶから行こうよ」とHansが言う。そうだね、せっかく来たんだからもう一本行きましょう。



2回目のリフト。風がさっきより冷たい。とても静かだ。Hansが黙って下を見てるので私も黙っていたら、彼は急に顔を上げて、黙ってという仕草をして、下のある一点を指さした。鹿だ。まだ若くて小さい。草でも食んでいたのか立ち止まっていたが、視線に気づいたのだろう、軽々とした足取りで森の中に消えていった。

テイクオフは、フォローでこそなかったものの無風。やだなあ、苦手なんだ無風は。でも待っても状況は悪化するだけだろう。きれいに広げたキャノピーの真ん真ん中に立って、立ち位置を何度も確認して、思い切ってスタート。良かったちゃんと上がってくる。そして歩幅は思いきり大きく。無風だからちょい気合い入れて走る。OK,我ながら良いテイクオフ。ホッとする。でも完全なブッ飛び。ここまで何にもないのも珍しい。でも暮れなずみはじめたLackenhofを眺めながらしみじみする。飛べてよかったなあ。
そして丁寧にランディング。風はまた方向を少し変えていたけれど、今度は大丈夫。ちゃんとアゲンストで入る。この方向からだと斜面を下る感じでの進入になるので、延びるかと思っていたが、初級機のグラフティは狙い通りのところで降りてくれた。なるほど楽だ。こういう感じの飛び方ホント忘れてた。基本に忠実、一番危ないランディグで無理のない操作。昔は、私だってこういうことすごく気をつけてた。


Hansも降りてきて、何にもなくてどうしようもないぜ、って仕草。で、2度目の講評。「とっても良かった。テイクオフはパーフェクトだ。ランディングも正しい方向から入った。オレとは違うアプローチをとったが、Yasukoのでも正しい」そりゃそうでしょう、そこしか気を付けるとこなかったんだから。




《Lackenhofでお泊まり》



ランディング脇には、ランクルが停められていて、さっきのフライヤーとは別のひげ面のフライヤーらしき男がきていた。Hansは「友達のMichal だよ」と紹介してくれた。その発音がどう聞いても‘みひェーる’と聞こえるので、どういうスペルなのか想像もつかず、聞こえたままに「Hello,みひェーる」と挨拶して自己紹介した。ファミリーネームは?と聞くと、「難しいからきっと覚えられないよ」といって教えてくれず、さっさと車に行ってしまった。私の発音に無理を感じたのかもしれない。Hansに比べてちょっと不愛想な感じだが見た目ちょっしぶくて私の趣味だ。


Hansが、「明日どうする?飛ぶよね?」と聞いてくれた。明日は予報では今日より天気が悪いはず。それにこれ以上Hansを煩らわせたくなかった。でもそのことがうまく伝えられなくて(外人に、何だか悪いわ、という日本人の遠慮をどうやって伝えたらいいんだろう?)
逡巡していると、明日はMichaelが面倒みてくれることになっているんだと言う。マークは明日から学校だしね、オレは帰らなくちゃならないけど、明日も天気は今日と同じで飛べるだろう。彼もイントラなんだよ。と言う。ふーん。してみるとMichaelもここのスタッフで、私のために出てきてくれたんだ。それじゃ、ご好意に甘えましょう。私は明日も飛ぶことにして、機体一式ををMichaelの車へ積んでもらった。


そして、「あれが君が今日止まる家」と指さされた家はランディングから300-400m先にある小さな可愛いペンションだった。先にチェックインしとこう、というので、行ってみると宿のお母さんは、とてもテキパキとした、でもやっぱり英語をほとんど話さない人で、Hansがいろいろ話をつけてくれた。明日は9時にMichaelがここに迎えにくるから、朝食は8時にしてやってくれとかなんとか。


日は完全に落ち、すっかり夕方となった。
Michaelを除く4人でスクール2階のカフェでお茶をした。これでHansとはお別れだ。今日のプライべートレッスンの精算をして店をでる。今日こうして飛べたのは全部Hansのおかげだ。感謝の言葉もない。その思いがちゃんと伝えられないのがもどかしい。Hansが宿まで送ろうと行ってくれたが、私はその辺をすこしみて歩きたかったのでそう伝えると、宿までの道を再度確認してくれて、もし食事するならこのあたりは9時で全部閉まるから気を付けて、と教えてくれた。必要なことはちゃんと教える、でもそれ以上余計なことはしない。そんな感じがとても心地よい。そうして彼らは帰っていった。もう多分会うことのない人たち、彼らの目に私はどういうふうに映ったのだろう。あまり悪い印象で無いことを願った。

一人になった。周りがやけにしんとした。暗くなるまでにはまだ少しあるよ、という感じの夕暮れの村を歩きながら、一人の寂しさと気楽さを同じくらい感じた。

村を1周してから適当なガストホフに入り、夕食をとることにした。英語のメニュはなかった。ドイツ語のしかも手書きのメニュは、どれだけみても分からない。私はあきらめて、英語の怪しいウエイトレスの女性に、お勧めをきいたところ、シュニュッツエルはどう?と言う。シュニュッツエルじゃないものがいいんだけど、これ以上のことを聞くのは困難と感じたので、それをオーダーし、他の団体客(なんとこんな村に少人数とは言え初老の団体客がいたのだ。)が取っている、サラダバーを指して、自分もとっていいかどうか聞いてみた。料金がどうなっているのかよく分からなかったが、現物が見えるものを食べられるというのは安心だ。私はたっぷりの野菜と文庫本くらいの大きさのシュニュッツエル2枚とマックのLサイズ程のフライドポテトを食べ、おなかたぷたぷで、宿に帰った。すでに鍵はもらってあったので誰にも会わずに部屋に入り、どうやら客は私だけのようなので、共同のシャワールームも好きなように使わせてもらった。
とても静かな夜。そして昼間と違って肌寒いくらいの気温。
外では馬の蹄の音がする。前の家の女の子が、真っ暗な中ずっと、乗馬の練習だか、調教だかをしている。その蹄の音を聞きながら、まだ10時にもなっていないのに眠りにおちる。







《Lackenhofを離れる》


どれだけ深く寝入っていたのか、起こされるまで、まったく気づかずぐっすり寝てしまった。
宿のお母さんが、ドアを叩く。朝食よ、9時に約束なんでしょとか言ってるようだ。反射的に日本語で「今行きまーース」と叫ぶ。時計をみると8時20分だ。いけない、いけない、とにかく朝御飯。髪もとかずに服だけ着て、ダイニングへ降りる。お母さんは、何やらどこかへお出かけの様子。ドイツ語とわずかな英語でと身振りで「私は出かける。3時には戻るけど、部屋は何時まで使っててもいい。食事はたべたらこのままにしておいて、入り口の鍵は閉めたら裏のポストに入れておいてね」
私は先に精算を済ませ、お母さんが出かけるのを見送った。1泊朝食付きで220シリング(2100円くらい)。安過ぎる。Fred Dannebergは私の希望をすべてかなえてくれたらしい。それにしても、いくら田舎とはいえ、こんな訳のわかんない外国人を家に一人で残していいのか。


朝食は、この国でのワンパターンのパンとハム・チーズ・ジャム・はちみつ。パンが4つもあって食べきれないので、昼ご飯にもって行くことにする。

急いで身支度を整えて、窓のカーテンを開けると、なんと雨。今まで慌てて気づかなかった。空は明るいが細かい雨が降っている。やられた、天気予報の方が正しかったか。山頂はガスに覆われ見えない。

私は2階の部屋に続く花に囲まれたベランダに座り、雨のLackenhofを眺め、Michaelがくるのを待つ。
Michaelのランクルがやって来た。ベランダから声をかける。できるだけ明るく元気に。
「Morgen!Michael。雨だね」
Michaelは、まったくね、と言ったふうに肩をすくめてみせて山を見上げる。


「ごめん。降らないと思ったんだけど」
「大丈夫。昨日飛べたから。雨はだれのせいでもないし、パラは雨の時には飛べないものよ」「とにかく一度リフト乗り場まで天候を チェックしてこよう」
どうやら彼はまだ完全にはあきらめていないらしい。リフト乗り場まで車で行って、リフトのおじさんに上の状況なんをかを聞いている。
「この雨、止むと思う?」
「たいした雨じゃない、でも止むかどうか…」
難しい状況らしい。なんとか飛ばせてあげたいんだけどナ、って感じが伝わる。昨日は、ちょっと愛想無い奴って思ったけど、なんかいい感じの奴だ。私はなんだか申し訳なくなって、昨日の飛びを十分楽しんだこと、Lackenhofにきて満足したから今日飛べなくてもがっかりしてないこと、来てくれて感謝してることを、あまり持ち合わせのないボキャブラリを総動員し伝えた。Michaelは、
「わかった、じゃ、これからどうする?このあたりをドライブでもする?チョコレートでも飲みにいこうか?」
「うん、チョコレート好き。カフェ行って、その後一番近い駅まで送ってくれる?」
「OK,そうしよう」


我々は、観光案内所にいって、列車の時間を聞いた。最寄り駅Kienberg-Gamingには、2-3時間に一本しか列車が来ないのだ。
オーストリアの国鉄のサービスは、スグレモノで、端末を叩けば、行き先までの列車・乗り換え駅・停車時間まで一覧を打出してくれる。(インターネットで誰でもできるらしい。JRもやってるのかな?)次の列車までは2時間弱。駅までは車で20分。時間は十分過ぎるくらいある。

列車時刻のシートをもらって、村の小さなスーパーに併設されたカフェにいく。Michaelが
「チョコレート、eating とdrinkingどっちにする?」
と尋ねる。なるほどチョコレーットってのは、そういう選択で考えられるものなのね。私が、ドリンクを選択すると、ケーキか何かはどう?って勧める。いらない答えると
「なぜ?」
と、真剣な顔で聞いてくるので、答えに困ってしまう。だってまだ朝の10時前だよ。
このあと1時間以上、カフェと車の中でMichaelと私のとりとめのない話が続くのだが、私はこのMichaelの「なぜ?」攻撃に結構まいってしまった。なぜ?にきちんと答えるのは日本語でだってなかなか難しいのに、Michaelはまったく容赦なく、それこそこっちが「なぜ」そんなことの理由が必要なの?と言いたくなる位いろんな「なぜ?」を問い掛けてくるのだ。


車の中で一番続いた話題は、外国語を学ぶことに関する話で、彼はなんと5カ国語が話せ、かつ現在ロシア語も習得中だと行っていた。でも日本人が英語すら満足に話せないことについては、私が日常生活の中での必要度を説明すると理解を示したようで、逆に日本人が文字(つまり漢字)を1000も2000も覚えていることを驚いていた。
「僕らははたった26文字だけでいいんだ。とても簡単、それだけだ。ところで、その漢字で僕の名前は書けるかい?」
こりゃ、また難題。確かに中国じゃコカコーラやクリントンですら漢字で無理やり音をあててしまうけどね。私は困って
「Michaelの名前を漢字の音で表記するのは難しいわ」と正直に言ったら
「やっぱりね」
とちょっとがっかりした様子だった。私はしばらく考えて
「漢字は意味を表すものなの。Michaelの名前の意味は?」
と聞くと、今度はMichaelがちょっと困って、
「意味ねえ、意味は、…そう….angel かな」
私はいつも持ち歩いている筆談用メモに大きく漢字で『天使』と書いて『ten-shi』とルビ?を振った。
「tenはskyで、shiは messenger の意味よ」(ほんとか?)
と説明すると納得して満足した様子だった。



無人の駅につくと発車の時間までは15分以上もあった。ほどなく列車がくると、Michaelは列車の車掌と何か話をして、(どうやらキップは車内で買うらしい)ウイーンまでの運賃を教えてくれて、さらに乗り換えの指示を私にしてやってくれと頼んでくれた。(のだと思う。なぜならその後車掌が2回も乗り換えを教えてくれ、その上乗り換え駅のホームで、あの列車に乗れと指示までしてくれたのだから)

私はMichaelに今日の送迎等の費用を払いたいと結構しつこく申し出たが、Michaelは飛べなかったことを理由に一銭も受け取ろうとはしなかった。彼の半日を潰してしまって、たとえ飛べなかったとはいえここまでしてもらって、私は彼に何ひとつ返すことができない。感謝を表す表現を、これほど切実に求めたことはなかった。

定刻とおり列車は動きだし、私は雨のLackenhofを後にした。
Hans、Michael、そしてついに会うことはなかったけれどFred Danneberg。本当にありがとう。
Lackenhofでの1日半は、私にとってBig Frightに負けないくらいの大事な思い出。今日のこと絶対に忘れないなんて、約束できないけど、でもそんな気持ち。
こういうことのひとつひとつが、へぼフライヤーの私にパラを続けさせてくれるんだよね。

列車は、緩い山間部を抜け平野にはいる。空が明るくなってきた。流れる雲はグレーから軽やかな白に変りつつある。もうすぐ晴れる。待ってたら今日飛べたかな。私はOetscherの山頂にかかるサーマル雲を思った。